【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

 本質という言葉の意味がいまいちよくわかりません。
辞書を引くと以下のような解説が出てきました。

 (1)あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質
 
 (2)変化常ない現象的存在に対し、その背後または内奥に潜む恒常的  な
  もの。

 (3)実在に対する語として、なんらかのものが現に存在しているとい  う事実から離れて、そのものが「何」であるかという定義によって
  いわれているもの。

    あまりにも抽象的すぎてわかりません。
   (1)~(3)までの本質の意味を具体例を交えてご教示いただけまし   たら幸いです。
    又、僕なりに(1)と(3)の意味を考えて、具体例を交えて書くの    で、
   それが正しいかそうでないかの判断もお願いします。

    (1)は、ある物事の定義されている性質の事でしょうか?哲学    の本質を言うならば、「前提や問題点の明確化、概念の厳密     化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な    主題について論じて研究を進める学問」がその本質なのでしょ    うか?(WIKIPEDIAを元にして本質を定義しました。

    (3)は、例えば1+1はいくつか?という問題があったとした    らその問題の本質は「足し算」。

   

A 回答 (4件)

この辞書の説明は、西洋哲学の代表的な「本質」のとらえかたをおおざっぱにまとめたものです。



「本質」という言葉は、西洋哲学にとって基本的な用語のひとつなんです。だから、それぞれの時代、繰りかえし「本質とは何か」と考えられてきました。
だから、その対義語と合わせて、「本質」のとらえ方として理解した方がわかりやすいかと思います。

>(1)あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質

これはアリストテレスのいう形相と質料から来ています。

ある「椅子」がある。
その椅子が「何でできているか」の答え、すなわち「木材」に当たるのが質料。
それが「なんであるか」の答え、すなわち「椅子」というのが形相です。

そうしてこの椅子にはさまざまな性質があるけれど、それを失ってしまえば、その椅子が椅子でなくなってしまうような性質、「そこにすわることができる」という性質を「本質」と称したのです。

たとえば遠山の金さんは何かひどいことをやった人に対して「そんなことができるやつぁ、人間じゃねぇ」と言います(ほんとに言ったかどうかは知りませんが、言うんじゃないかな、とわたしは想像しています)。だけど、そんなことをした「やつ」は、ちゃんと人間の姿かたちをしている。

このとき、「金さん」は「他人を尊重し、自分の利益のために人を傷つけたりしない」という属性を本質として「人間」に与えているのです。その本質を、「やつ」は欠いている。だから「人間じゃねえ」と。

このときの「本質」というのは、こういうことです。

>(2)変化常ない現象的存在に対し、その背後または内奥に潜む恒常的なもの。

これはアリストテレスに対してプラトンのイデア説のことを言っています(時代的にはこちらの方が先ですが)。

たとえばわたしたちは「美しい女性」「美しい花」「美しい車」とさまざまなものについて「美しい」という言葉をかぶせるんですが、その女性と花と車に何か共通点があって、その共通点をとらえて「美しい」という同じ形容詞をかぶせているわけではありません。本来なら似ても似つかぬ「女性」と「花」と「車」です。
けれどもわたしたちが同じ言葉をそれにかぶせるのは、どこかで具体的には指摘できない、眼には見えない「美そのもの」を知っていて、その眼に見えない性質を、その「女性」や「花」や「車」のなかに見いだしているから「美しい」という言葉を使っているのだ、とプラトンは考えたわけです。

あるいは「正しい」ということにしても。
みんなが「こうするのが正しい」(パワーバランスから考えて自分の得になる)、「ああするのが正しい」(あんなやつの言うことなんてまともに聞けるもんか)とざわざわ言っているなかで、ある人がひとり静かに考えたとする。
「ほんとうの正しさってなんだろう」
正義はあくまでも正義であって、不正はあくまでも不正であるような、相対的なものではない、絶対的なものがあるんじゃないか。
そう考えていくとき、その人は「正しさ」の本質を見きわめようとしている。
さまざまな状況やしがらみのなかでころころと移り変わるような、灰色のものではない、現実には困難なものかもしれないけれど、遠い遠い目標として設定できるような、それに向けて努力を続けることができるような「正しさ」ってあるんじゃないだろうか。

そんなふうに考える人は「正義の本質」を考えている、ってことになります。

>(3)実在に対する語として、なんらかのものが現に存在しているという事実から離れて、そのものが「何」であるかという定義によっていわれているもの。

中世に入ると、キリスト教の影響がつよくなるなか、ものごとが「ある」ということは、「それがなんであるか」と「それがあるかどうか」という2つの観点から問題にすることができる、と考えられるようになってきます。
「それがなんであるか」を問うものが「本質」
「それがあるか」を問うものが「実存」(この「実存」は、のちの実存主義の実存と区別するために、辞書では「実在」という言葉が当てられているのだとおもうのですが、通常は「本質存在と事実存在」略して「本質と実存」というふうに区別されます)。

こういうとずいぶん大仰なんですが、簡単に言ってしまえば
A「あそこにあるのが、“ものごとの本質について書かれた本” です」というのと
B「あそこに、“ものごとの本質について書かれた本”が、あります」と言っていることのちがいです。

もう少しいってみましょう。

A「写真のなかにいる、かわいい女の子が、ぼくの彼女です」
B「写真のなかに、ぼくのかわいい彼女が、います」

Aでは、「かわいい女の子」というやり方で「ぼくの彼女」を説明していますね。これが定義に当たります。話し手は「かわいい女の子」というのが、彼女の本質である、と規定しているわけです(なんかミもフタもない言い方ですが)。
Bでは話し手は「ぼくの彼女」が「いる」ということが言いたい(もちろんその彼女がかわいい、ってことも言いたいんですが)。

だから質問者さんが出された例をこれに当てはめると

本質「この問題は1+1はいくつかを問うものである」
実存「ここに1+1を問う問題がある」

ということになります。
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この回答へのお礼

 具体例がかなりわかりやすく、本質の全体像が見えたと思います。
本質の意味の歴史的背景までご教示いただけるとは感動です。
回答者さんの回答を見て、思わず「これはわかりやすい!」と三回くらい連呼しました。
本当にわかりやすいご回答ありがとうございます!

お礼日時:2009/02/23 00:34

 ○ 《本質 Wesen 》とは 《存在 Wesen 》です。


 ☆ こう考えると分かりやすいです。
 
 ▲ 現実存在( existentia )は 本質( essentia )に 先行する。
 ☆ とも言うほどで この
 ★  (1)あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質
 ☆ という意味の《本質》は 
 ○ 表面を見ただけでは分からないところ
 ☆ くらいに採っておけば よいはづです。
 ○ 《 essentia 》も 《存在》という意味です。
 ☆ 《いま・ここに いる》という意味にとればよいはづです。その《現存在 Dasein 》が 《見てくれだけで 判断できない内面のゆたかさを持っていないという法はない》からです。

 ☆ 《存在》という意義をおさえておけば あとは足ります。
 ★ (2)変化常ない現象的存在に対し、その背後または内奥に潜む恒常的なもの。
 ☆ したがって これは ただ 勿体ぶって言っているととって 正解です。
 たとえば 生半可な知識を得ると 《さとり》だ《空》だと言いますが そして その背後に深遠な《本質》があると 間違って言ったりしますが 要は 現実の存在関係を しっかりと明らかに見るかどうかです。表層だけに囚われないというのは いろはのいですから。小学生でも 知っているでしょう。そもそも 《それ独自で 自立し存在しているものはない》と そのブッディスムは 言っているわけですから 《格好をつけた言いまわしで説くところの〈本質〉》は まやかしです。それでも そのように説くと えらそうに見えるようですね。

 ★ (3)実在に対する語として、なんらかのものが現に存在しているという事実から離れて、そのものが「何」であるかという定義によっていわれているもの。
 ☆ これは あまり 《本質》という語に繋げる必要もないように考えます。
 ○ 《いま・そこにいるおまえは 誰だ?》と問われれば 《アウグスティヌスです》と答えます。
 ○ 《何ものなのか?》と問えば 《人間です》と言うでしょう。
 ○ 《どういう人?》と言えば 《あぁ アデオダトゥスの父ですよ》と答えます。
 ○ 《職業は? 趣味は? ・・・》・・・
 
 ★  (1)は、ある物事の定義されている性質の事でしょうか?
 ☆ 《定義》は 定義です。《人間とは 生命存在であり 言葉を話し道具を作って使い社会性を持ち笑うことのできる動物である》。その本質は 《存在》です。存在には 自然本性として 良心があり 意志が 自由意志としてありうんぬん・・・と続きます。
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正直、私も解りませんが。

(1.2.3.の内容)
たぶんこんな感じの事ではないでしょうか。

例えば、本があったとします。

物的に、これは何で出来ていますか?と言う質問に対し、紙を重ねた物と言う本質があり。

これは何の本ですか?と言う質問には、その内容が本質にあたり。

本って何ですか?と言う質問には、見たり読んだりする為のものと言う本質があると思うのです。

みたいな事を、言ってるのではないかと思います。
何がどこにあてはまるか、どうかは分かりませんが。どこにも当てはまらんかもしれないが・・・・・。

上手く説明出来なくて、ごめんなさいです。
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 (1)あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質



安全の本質とは、危険の無いことである。
 
 (2)変化常ない現象的存在に対し、その背後または内奥に潜む恒常的なもの。

モーター回転の本質は、電磁力である。

(3)実在に対する語として、なんらかのものが現に存在しているという事実から離れて、そのものが「何」であるかという定義によっていわれているもの。

中川前財務相の14日の記者会見の本質は、日本の恥である。チガウカ。
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