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ドイツはナチスドイツが戦時中に行った行為の責任を負い、謝罪しています。ナチスを支持する者は逮捕されるほどの徹底っぷりです。

罪のあるなしに関わらず責任を負うという言葉の揚げ足を取って、責任は負っても罪は認めないなんて曲解する人がいますが、戦後の世代に罪がないのは当然ですし、それにも関わらずそういった人々が戦前の責任を追い続けるというのは正しい姿勢だとも思います。

ですが、私は思うのです。フランスやイギリスのような他の欧米諸国が行った戦争犯罪や侵略行為は未だに謝罪される事はないのに、ドイツだけが戦争犯罪や侵略行為を謝罪し続ける事に違和感を感じます。ロシアなんて周辺諸国に侵略行為を続けまくったのに、その行いを謝罪したという話は聞いたことがありません。
彼らはナチスの行ったホロコーストだけを謝罪しているのでしょうか?それならば、特定の人種の根絶を目論むという行為はドイツだけが行った悪行ですので、その事を永遠に謝罪し続けるのは当たり前だと思います。ですが、他の国に行った武力侵攻まで謝罪しているというのなら、何故他の国も行った事をドイツだけが謝罪しているのでしょうか?
結局自分たちが負けたから謝罪しているとするならば、それは自分たちが悪いから謝罪しているという事にならないし、ましてや反省していることにはならないのでは?

ドイツは自分が悪だから謝罪しているのではなく、自分が敗者だから謝罪しているとすれば、それは本当に自分の行いを反省しているといえるのでしょうか。私は勝敗によって決められる善悪に価値はないと思っています。

戦争犯罪に対する謝罪について、ドイツと比較して日本を非難する人がいるのに違和感を感じたので質問する事にしました。
それとも、私の考えが間違っているのでしょうか?勝った方が正義で負けた方が悪である以上、敗者であり悪であるドイツの謝罪は心から反省しているということになるのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

>ドイツ人はナチスの罪を己の罪として認識しているのか、それとも


>自分たちはナチスに騙されていたわけであり、悪いのはナチスだと
>主張しているのか、詳しい情報源込みで説明をお願いします。

ドイツにおける基本的な立場は「悪いのはナチス」というものです。
1952年にコンラート・アデナウアー首相が連邦議会にて
『ドイツ国民は、ユダヤ人にたいする犯罪を大多数が嫌悪し、その犯罪にも関与していませんでした。しかしドイツ国民の名において、言葉に言い表せないほどの犯罪が行われました』
との政府声明を出しています。
これは言わば「ドイツ国民の知らない内に、その名を騙って犯罪が行われた」というものですが、これが現在に至るまでドイツにおける公式の立場となりました。
例えば質問者様の取り上げたヴァイツゼッカー大統領の演説もこの立場を踏襲し、ユダヤ人虐殺について
『この犯罪は少数の者の手によって行われました。世間の目からは遮られていたのです』
として一般的なドイツ人の知らなかった事を述べています。
またドイツの敗戦については
『5月8日は解放の日でした、ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制から、あの日はわれわれすべてを解放したのです』
として「ナチスドイツの敗北によりドイツ人は解放された」という見方を示しています。

>また、ドイツは戦争犯罪や侵略行為について戦った相手や旧植民地に
>どのような対応を取っているのか、これもソース込みで解説お願い
>します。

まずドイツが植民地を放棄したのは第一次大戦の敗戦によるものであり、その当時は植民地の獲得は正当とされていました。
アフリカのナミビアで1904~1907年にかけて行われたヘレロ族およびマナクア族の虐殺について100周年の式典で謝罪はしましたが、植民地支配そのものに謝罪した事はありません。
なおヘレロ族は賠償を要求していますが、ドイツ政府はそれを拒否して経済援助を行っています。
戦争犯罪についてですが、ドイツはユダヤ人迫害などの『人道に対する罪』とそれ以外を明確に分けています。
言い換えると『平和に対する罪』『通常の戦争犯罪』については殆ど問題にされません。
一例としてニュルンベルグのグラーザー博士
「このカテゴリーA(平和に対する罪)は、国際社会の合意をえるにはひじょうに難しい問題なんです。1945年以降、ヴェトナム問題でのアメリカを含む多くの主要国が戦争を行いました。ですから、アメリカと深い関係を持っているドイツの政治家は、あの条項について知ってはいても、それほど気にとめようとしなかったんです。戦後あまりにもたくさんの新しい戦争が起こされ、ナチス・ドイツについての問題は忘れられたわけです」
(「戦争責任とは何か」中公新書より)
またドイツは当然ながらドイツ軍に『通常の戦争犯罪』がゼロだった、と主張しているわけではありませんが、それは「戦時中ならどこにでもあった事であり、一部の犯罪者が行った行為に過ぎない」としています。
このため戦時中のドイツ軍の犯罪行為を取り上げた「国防軍の犯罪展」については保守派を中心に非難が行われています。
左派である社民党のヘルムート・シュミット(元首相)もかつてドイツ軍人であったことから、激しく批判していました。
「ここ数年、ある巡回展で、何百万ものドイツ兵を、茶色や黒、灰緑の制服を着た犯罪人といっしょくたにした者がいる。こういう極左の意見は、危険なのにもかかわらず、禁じられていません」
(1998年3月1日の発言)
またドイツは周辺国の戦争被害について原則的に「戦後接収されたドイツ人の財産と相殺され解決済み」としていますが、多数のドイツ人が追放されたポーランドやチェコとの間では条約が結ばれず法的な根拠が明確になっていません。
このため2006年にドイツ人追放者が欧州人権裁判所に財産の返還を求めて訴訟を起こし、これがきっかけとなって2007年には両国関係は「戦後最悪」と言われる程悪化します。
このようにドイツの戦後処理は周辺国からはあまり好意的に受け取られていません。
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この回答へのお礼

何というか、これで本当に反省した気になっているのなら随分としたたかな国ですね。
日本もドイツを見習えというのなら、こういった外交を見習えというのでしょうかね。

お礼日時:2009/03/17 07:16

>そもそも、私の言う事が考え方の一つにすぎないのならあなたの言う事だって


>考え方の一つにすぎないじゃないですか。

いや、私か質問者様のどちらかが正しいかという話ではありません。議論を始める前には前提が重要で、そこが定まらないと議論にならないということです。

>少なくとも当事者の罪ではないでしょう。
>罪状は親が罪を犯した罪ですか?アホらしい。本人の罪状ではないじゃないですか。

親の罪に子は関係ないというのは、質問者様や私の考え方です。少なくとも属している社会での常識です。でも世界的には親の罪が子の罪になるという考え方もあるのです。それをアホらしいと一刀両断してしまうなら、「罪に謝罪する?アホらしい」で話が終わってしまいます。
中国企業などが自分の常識を振りかざして、世界から反感を買っているのもご存知かと思います。世界という広い社会を語るにあたって、自分の社会の常識を持って他の世界の常識をアホらしいと切り捨ててしまっては話にならないかと思うのですが・・・
多様な価値観が混ざってしまう国際社会という舞台において、反省などと感情に入る議論をするには、この無意識の暗黙の了解の意識化が重要でしょう。

この回答への補足

少なくともあなたは裁きを受けるという事と罪を犯すという事の区別をつけるべきです。
親の罪が子の罪というのは、子が親の代わりに罪に対する裁きを受けるということであり、子自身が罪を犯したということにはなりません。

補足日時:2009/03/17 07:17
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指摘されている方がいらっしゃいますが、ドイツでは、あくまで「ナチスドイツ」の犯罪です。

これには、ヒトラーによる独裁とユダヤ人の虐殺が密接に絡んでいます。ニュルンベルク裁判で、戦争犯罪の実行者としてナチスなどが具体的に指定されたのも絡んでいるでしょう。
 当時のドイツ人は前者は大多数が支持していましたが、後者は戦後になって知った人がほとんどであり、驚愕をもって迎えられました。
 彼らには、そのナチスへの嫌悪感、罪悪感があります。また一方で、それを逃げ口上にしている面も確かにあります。
 昔、東部戦線で国防軍が残虐行為をやっているという写真の扱いを巡ってドイツで論争がありました。要するに「知的で優秀な国防軍や参謀本部はただ懸命に戦った。戦争に負けたのはヒトラーのせいで、残虐行為はナチスとSSがしたことだ」。日本で言う「善玉海軍、悪玉陸軍」思想です。史実はどちらも違うのですが。ここは資料があちこちに溢れています。お調べください。

 また戦争犯罪ですが、戦争つまり侵略行為の善悪は第一次大戦後のパリ不戦条約からです。この解釈はウィキでも適当なことが書かれてますが、確実なことはこれ以降、侵略(侵攻)戦争に「善悪」ができました。
 日本は先の大戦について謝罪しています。ですが、同じく戦争をしかけた日清・日露戦争については謝罪していませんし、その必要を認めていません。何故かと言えば、第一次大戦前のその当時、戦争は国家間紛争を解決する一つの手段だったからです。外交上、相応の理由があれば戦争を仕掛けるのに善悪はありませんでした。
 ですので、パリ条約以降の善悪の区別ができてからは、イギリスによるアメリカとともに行ったイラク戦争を除けば、英仏による侵略行為はないのでは? そして、二度の大戦ともドイツが戦争を仕掛けています。
 イラク戦争で、米仏の論争が生じたのも論点はここです。

 ドイツと日本を比較して違和感を抱かれるのは当然なのです。
 本来、ドイツの謝罪していることと、日本も謝罪しなければいけない、とされていることは違うのですから。
 そうすると共通項ばかり見出そうとします。敗戦国だからか、とか同盟国だからかとか、何かしらの虐殺があったからか、とか。謝罪してない、というのは結局、「謝り方に誠意が足りない」といったイチャモンが強いだけで、外交上するべきことはしています。

 また、こういう話題になるとよく引き合いに出される広島・長崎の原爆ですが、これは何が問題化について考える必要があります。
 犠牲者の数でしょうか? 放射能でしょうか?
 後者は後に大きく問題となりましたし、当時も今も注目されるのは前者だと思います。
 ですが、こちら甚大な被害と生命が失われた東京大空襲とどう違うのでしょうか? 私には未だにそこに明確な区別をつけることはできません。当時の米国自身にしてもそうです。
 1発の爆弾で街を破壊するのと、1万発の爆弾で街を破壊する行為、ここに人道上の差はありません。亡くなった方にしてもそれは同じでしょう。何かしらの空襲で亡くなった方に、でも、原爆で死ななくて良かったな、など冒涜以上の何物でもありません。
 そして、戦争には「同害報復」が認められています。つまり、「やられたらやり返す」です。戦争末期、日本がBC兵器を使用とすると聞きつけたアメリカは「なら、こっちもやるぞ」と公式に警告しました。
 そして、この同害報復は同盟国にも適用されます。
 つまりドイツが無差別爆撃を実施していたのですから、この都市爆撃については国際法上非難はできないのです。
 ですので、原爆のみを取り上げてアメリカを非難するのは、本質的に筋違いであり、ましてや外交上日本政府は力関係はさておいても、認められておりませんし、もし、現在優勢な力関係にあったとして、それを背景に謝罪を求めるとしたら、それは野蛮な行為です。中国や朝鮮を笑ったり軽蔑する資格はありません。

 勿論、原爆を理由にアメリカを嫌う、憎む、あるいはアメリカに原爆の残虐さを理解させる必要があると思う、と個人が考えるのは自由です。
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この回答へのお礼

ナチスの、というのが少しややこしいですね。ヒトラーがオーストリア人である以上、ナチス政権のせいにしてしまえばドイツは他所に責任逃れすることができるのですから。いっその事ドイツが悪い、とはっきり明言してしまえば堂々としているのですけどね。

流石に今の日本で原爆『自体』を反米の理由にしている人はいないと思います。大分昔の事ですし。
ですが、日本を悪だとして原爆を投下した己の行為を正当化するのはどうしても許せません。それでアメリカは自分を正義と称して、他の国への武力行為も正当化し続けているのですから。
そう考えると、やはり日本人はアメリカにならないために先の戦争を反省する必要があると思います。あくまでも『事実』に対してですが。

お礼日時:2009/03/15 06:09

>業を犯した当事者でないのなら、責任をとる立場ではあっても罪人というのとは違うでしょう。


>罪と責任はまた別の問題でしょう。

そんなことはありません。それも考え方の1つにすぎず、絶対不変の真理ではありません。信仰によっては親の罪が子に引き継がれるという考え方もあります。

ですので、反省などという心の内部に入っていく問題に関して論じる時には、どのような思想を前提として話を進めるかが重要になります。

この回答への補足

少なくとも当事者の罪ではないでしょう。
罪状は親が罪を犯した罪ですか?アホらしい。本人の罪状ではないじゃないですか。

そもそも、私の言う事が考え方の一つにすぎないのならあなたの言う事だって考え方の一つにすぎないじゃないですか。

補足日時:2009/03/14 20:08
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定義や考え方を整理されるとよいかと。




>戦後の世代に罪がないのは当然ですし

違います。
そういう考え方もありますが、それは普遍的な考え方ではありません。親の業は子に引き継がれるというのも一つの考え方です。
日本でも昔の村社会などでは、親が悪いことをすると子がその罪を償うということも結構あったようです。



また、謝罪=反省ではありません。

非常に優秀な人がいて、普通の人なら失敗率5%のところを彼は彼独自のやり方で失敗率を0.1%まで下げています。このミスはなくすことはできません。その人が0.1%のミスをすれば謝罪することはあるでしょう。でも反省すべきかと言われると別です。

この回答への補足

罪の定義からして考えてください。
業を犯した当事者でないのなら、責任をとる立場ではあっても罪人というのとは違うでしょう。
罪と責任はまた別の問題でしょう。

補足日時:2009/03/14 02:17
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>ドイツはナチスドイツが戦時中に行った行為の責任を負い、謝罪しています。



基本的には「戦時中」ではなく「ナチス政権下」です。
該当する行為の大半は戦時中に行われましたが、戦争と直接の関係はありません。

>罪のあるなしに関わらず責任を負うという言葉の揚げ足を取って、
>責任は負っても罪は認めないなんて曲解する人がいますが、

これはヴァイツゼッカー大統領の発言ですね。
実際にドイツでもそのように受け止められています。
シュピーゲル誌エルテル編集長
「あの演説では、罪についてほとんど何も話されず、責任や悲劇的な運命への告白が語られただけです。ヒトラーの元で行ったこととその結果引き起こされたものへの責任だけです。罪については語られず、したがって謝罪もありませんでした」
(中公新書「戦争責任とはなにか」より引用)

またヴァイツゼッカー大統領の父親はA級戦犯として有罪になりましたが、ヴァイツゼッカーは回想録(日本では岩波書店より出版)にて父の罪状を全面的に否定し、戦犯裁判の不当性を非難していますし、ドイツ軍の戦争犯罪を取り上げた「国防軍の犯罪展」についても強い批判を行っています。
(最近、日本のマスコミでヴァイツゼッカーの演説が殆ど取り上げられなくなったのは、このような理由があるからです)

>彼らはナチスの行ったホロコーストだけを謝罪しているのでしょうか?
>それならば、特定の人種の根絶を目論むという行為はドイツだけが行った悪行ですので、その事を永遠に謝罪し続けるのは当たり前だと思います。
>ですが、他の国に行った武力侵攻まで謝罪しているというのなら、何故他の国も行った事をドイツだけが謝罪しているのでしょうか?

ドイツは質問者様がおっしゃるように「特定の民族の抹殺」という『人道に対する罪』への謝罪を行っていますが、一般的な戦争犯罪や侵略行為についてはほぼ無視しています。
これは現在の世界における主流の考えであり、例えばイラクのフセイン大統領も『人道に対する罪』で裁かれたのであって、戦争犯罪や侵略行為を罪に問われたのではありません。
またドイツでは戦後、連合国が行ったドイツ人追放も同じように『人道に対する罪』として非難の対象としています。
ユダヤ人犠牲者の碑でひざまずいたことで有名なヴィリー・ブラントも戦後にポーランドが行ったドイツ人追放については「いかなる理由があろうと許されない不正行為」と非難しています。
このためドイツとポーランドやチェコなど周辺国との間では歴史認識や第二次大戦の戦後処理を巡り、関係がしょっちゅう険悪化します。
例えばポーランドの議会がドイツに対し「戦争被害賠償請求決議」を行ったのは2004年、ドイツ・ポーランド関係がドイツ人追放者を巡って「戦後最悪」とまで報道されたのは2007年とごく最近の話です。
日本では以前に「ドイツは誠実な謝罪を行ったので周辺国とちゃんと和解した」などと報じられた事がありましたが全くの誤りです。

要するにドイツは決して自国を一方的な「加害者」としているのではなく、周辺国がドイツに対して行った加害行為も、相手の反発を承知の上で指摘し続けているのです。

この回答への補足

すみません、詳しいソースをお願いしたいのですが。
ドイツ人はナチスの罪を己の罪として認識しているのか、それとも自分たちはナチスに騙されていたわけであり、悪いのはナチスだと主張しているのか、詳しい情報源込みで説明をお願いします。

また、ドイツは戦争犯罪や侵略行為について戦った相手や旧植民地にどのような対応を取っているのか、これもソース込みで解説お願いします。

ドイツを見習えという声を改めてちらほらと見かけましたので、その辺に対する詳しい解説が欲しいのです。

補足日時:2009/03/14 20:09
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>戦争犯罪に対する謝罪について、ドイツと比較して日本を非難する人がいるのに違和感を感じたので質問する事にしました。



敗者が謝罪するのが戦争。心からの反省なんてどの国も求めてない。
仮に何ら謝罪しなければ占領されたままの状態が続くだけ。
どちらがマシかを検討し答えを出すのが政治。
少なくともそのおかげで、ドイツでは子々孫々まで謝る必要はない。
日本では放ったらかしにしてるせいで、いつまで経っても謝ってばかり。
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この回答へのお礼

うーむ・・・反省のない謝罪に意味はないと思うんですけどね。
所詮暴力で決められた結果にそういった考えを求める事が間違いなのでしょうか。

お礼日時:2009/03/14 20:14

私もNO.1の方の意見と同じです。


それから、ドイツの前に日本のことを考えましょう。

日本は、アメリカから東京はじめ全土に爆弾投下され、原爆も2発投下されて多くの一般市民が犠牲になりました。
ドイツが行った行為とアメリカの行為の違いは何でしょうか?
ユダヤ人の国イスラエルもガザ地区に爆弾投下して多くの市民が亡くなっています。立場が強いと何やっても許されるのでしょうか?
世界でアメリカが連続して戦争し、多くの死者の山を作ってきています。日本、ドイツの前にアメリカの謝罪があって当然です。

今の日本は平和ボケし、戦後アメリカから洗脳され、日本人自身大きな勘違いしていることに気づくことです。

アメリカの原爆投下は永久に許されない行為です。
そこには偏見があり、有色人種であるアジアの日本だから、できた行為だったと思います。
広島、長崎の人の立場で日本人は真剣に受け止め、アメリカに謝罪を求めるべきです。
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この回答へのお礼

アメリカは日本を悪の侵略国家とする事で原爆の投下を正当化しました。
そんなアメリカは今も自分たちを世界の警察などと吹いてはイラク侵攻を行っています。
私は日本と同じ境遇になるであろうイラクに同情をすると同時に、アメリカの言いなりになってイラクに自衛隊派遣を行った日本を情けなく思います。

暴力による勝負での勝敗で正義や悪が決まるだなんて考えを蔓延させていたら、いつまで経っても戦争はなくなることはないでしょう。

お礼日時:2009/03/14 20:27

それ以前に、戦争=反省。

戦争=謝罪と考えているのは日本ぐらいのものではないですか?
ナチスドイツの残虐行為は許されるものではないですが、さりとて国民全てが謝罪するという
おかしな考え方は日本でのみ成立する考え方だということを理解して下さい。

ヨーロッパは戦争の歴史です。ローマ帝国から始まり、イングランドとフランスの100年戦争。
オスマントルコ帝国が出来たかと思えば、東ではオーストリア帝国が勢力を広げ
フランスはナポレオンがアフリカに進出
イギリスがが大航海時代に一大帝国を築くなど戦争のたびに国境線は
幾度も書き換えられてきました。

世界の中でたった一度の戦争を、これほどまでに徹底的に利用して
或いは利用された国は日本位のものです。
ヨーロッパのように幾多の戦争によって自分の領土を守ってきた国にしてみれば
たった一度の戦争をあげつらっても意味はありません。

例えばドイツに反省しろといったら、じゃ第一次大戦前の
ウィーン、オーストリア帝国時代の領土侵略はどうなるとなり、
論争は際限がなくなります。

そしてもう一つ。
ヨーロッパは戦争で勝った事は教えても、負けたことのみ教えるという教育はしていません。
日本ぐらいです。毎年戦争に負けたことを繰り返し思い出して、反省しろ
、反省しろと言っているのは…

それがどれほど中韓、北を付け上らせ、どれほどの国益を失う結果になろうとも
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この回答へのお礼

結局日本は戦争慣れしていなかったのでしょうね。戦国自体には世界で三本の指に入る軍事国家だったとはいえ、当時の戦争はその大半が国内紛争ばかり。
日本は外国との戦争経験が薄いので、戦争に関わる外交や戦争に対する認識が下手なんでしょうね。
だから戦争に対する認識や教育が他の国と違うのかもしれません。

お礼日時:2009/03/14 20:23

国家が「心から」反省するなんてありえないし、謝られた方も「心から」許すことはないでしょう。

国家に心はありませんからね、あるのはそれを実行支配している政治勢力との妥協です。

言葉的に無理のある言葉だとおもいます、「国家の謝罪」政治的な妥協点として導きだされる言葉です。

成功した侵略行為は侵略とは言わないように、すべて結果オーライなんですよね。
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この回答へのお礼

揚げ足取りが入ってるような気がしますが、確かに国家間の謝罪だの賠償だのという問題に誠意はないような気がします。暴力で得た結果なんて所詮そのようなものなのでしょうね。

お礼日時:2009/03/14 20:20

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