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広島の原爆ドーム周辺は、1発の爆裂で焼け野原となり、
その後、そのスペースに平和公園ができました。
なぜ、JR広島駅周辺は、今も未整備の区画が一部
残ったのでしょうか。

A 回答 (1件)

詳細はウィキペディア(Wikipedia)』の「広島市への原子爆弾投下」をご覧いただくのが一番と思います。


>その後、そのスペースに平和公園ができました。
被爆後、直ぐに平和公園ができたのでは無いのです。
被爆から4年後の1949年「広島平和記念都市建設法」が制定され平和公園の建設が計画され被爆から9年後の1954年4月1日に完成したのです。
爆心地に近いことからその付近に住む人は少なかったでしょうが、その付近には焼け残ったトタン板や廃材で作った「バラック」が建設され住民が住んでいました。
これは、それ以外の周辺地域も同様です。整備には30年以上がかかったと記憶しています。
当然広島駅周辺も被害を受けました、しかし被爆から60年以上が経過しています、駅周辺にあるのは被爆時の建物で無くいろいろな経済活動の結果できた戦後の建物です。
ただ、平和公園のように戦後直ぐの一貫した開発計画と建設費用が無かったので現在のような状況となったものです。
言ってみれば戦後の遺産ということですが地権者と借地人とその利害、資金力のなさ、行政の力不足など色々な要因で現在に至っているということです。
広島に住む者としては少しずつですが前に向かって進んでいるという理解はしています。
被爆直後の様子も「広島市への原子爆弾投下」4.3 原爆投下直後 にあります。上部の太い横線が山陽本線です。
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この回答へのお礼

御回答をいただきありがとうございました。
教示のウィキペディアを早速、見てみました。
情報量の多さに感動した次第です。今後も
ウィキペディアを情報収集のツールとして活用していきたいと思います。また、広島駅周辺の「地権者と借地人その利害ー」等のご指摘も
大変参考になりました。重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2009/04/11 20:02

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