No.4ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
NO2.です。
>>種子島に伝来した鉄砲が当時の内戦に大きく影響を与えたのは確かなのでしょうか?
そうですね。「鉄砲伝来」以後の戦いでは、例えば有名なところでは、信長の「長篠の戦い」で武田勝頼を相手に三段打ちをしたぐらいですから、当時としては、弓矢よりも「殺傷能力」が優れていて、各地の大名は鉄砲の調達に奔走したでしょうね。
>>内戦が落ち着いて平和になった日本では鉄砲は発達せず、他の地域では需要に合わせて進化を続けた
日本では「銃砲刀剣類所持等取締法(略して、銃刀法)」が昭和33年に施行されてからは、「許可制」になりましたが、アメリカのように、一種の「人種のるつぼ」と言われるような国では、隣人さえも「疑って」しまうような国民意識があり、「自分の身は自分で守る」しかないのかもしれませんね。しかし、アメリカでも、最近は「許可制」の導入を検討しているようですね。
また、国土が余りにも広大で、いわゆる、国の法律が隅々まで行き渡らないような国でも個々人の中には、拳銃などを所持し、自分を守る体制なのかもしれませんね。
>>いつの時代でもそうですが、兵器の技術革新は戦争がもたらしますね
おっしゃる通りですね。「鉄砲(拳銃)」だけではなく、「地雷」や「手溜弾」「機関銃」「大砲」、そして、日本に落とされた「原子爆弾」。次々と進化していますね。
また、最近、国連でも取り沙汰されている「クラスター爆弾」なども多くの国が所持しているようですね。
こうして、考えてくると、例えば日本を見てみると、戦国時代や江戸時代には、地方により「差」がありますが、やがて、明治政府などになると、「国」の全体で所持するようになりましたよね。
中東では、「宗教戦争」や「人種戦争」がいまだに続いています。
我々、日本人は、まあ「平和」と言えるのかも知れませんね。
No.3
- 回答日時:
室町末期、一応、日本の国の代表だった幕府いがいで
貿易を可能だった領主に大内氏があって定期的に明や
朝鮮と交流があった、その貿易で大内氏は鳥銃と呼ばれた
ものを購入していた、たぶん、明か朝鮮の銃、これが
種子島より早い時期に日本にきた銃器
だが鳥銃は量が少なく、また大内氏が鳥銃を生産して
やろうという意欲も努力も無かったために
種子島のほうが、この方面で旺盛で普及もしたわけであった
そうな
だが、一説には、鳥銃も種子島に伝来のポルトガル銃も
大差ないものだったという話も。というのは
中華は火薬や石砲を元祖で作ったものの技術改良に
熱心ではなく明代の銃砲は、特に精密な鉄製品の部品が
必要な小銃は西洋から購入していたという。
大砲より小銃のほうが歴史が浅く、小銃を初めて
使ったのはボヘミアのフス派の傭兵たちだったという
もっとも当時の小銃はストックや引き鉄の用心金が
ついた今の鉄砲のような形状とは、ほど遠い
鉄管に発火具を付けただけの単純な筒ていどの
代物だったという
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>日本に鉄砲が伝わったのは学校で教わった通りだと思いますが
確かに、天文12年(1543)8月25日に種子島の西村小浦にポルトガル人の乗った船が漂着し、そこから、日本に鉄砲が伝わった、とされています。
ただし、この時、中国人の水夫も乗船していて、身振り手振りや漢字を交えての説明で、初めて、日本人が鉄砲の威力に驚かされた。
>>朝鮮半島や中国大陸へ伝わったのは日本を経由していたのでしょうか?
実は、最近の研究では、「鉄砲」は中国で発明された、と、言うのが定説です。
中国の鉄砲の歴史。
(1)火薬の原料(硝石、硫黄、木炭)の内、硝石は中国でしか産出されていない。
(2)唐代(618~907)頃の書物に、火薬の製造方法が記載され始めた。
(3)宗代(960~1279)には、鉄の筒に火薬を詰めて、石弾を発射する火器が使用された、との記述がある。まあ、おおげさに言えば、大砲の元祖みたいなものだったようですね。
(4)14~15世紀になると、神機火槍(しんきかそう)という、「やじり」のような弾丸を発射できる火器が作られた、と、あります。
(5)日本との関係・・・。
実は、日本に鉄砲が伝来する以前の1450年(鉄砲伝来のちょうど100年前)に、すでに、琉球に「火筒(かえん)」と呼ばれる小型の鉄砲らしきものが伝わった、との史料も見つかりました。
しかし、弾丸を飛ばすのではなく、「石火矢(せきかや)」という「やじり」に似たものを飛ばしたようです。
http://www.ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku …
(6)また、「北条五代記」に、関八州に鉄炮はじまる事、という記述がある。ここでは、永正7年(1510)に唐(中国)から渡来したという。
そして、この「北条五代記」によると、大永7年(1527)に、まだ12歳であった北条氏康が家臣たちの鉄砲訓練を見て、腰を抜かした、とも記述されている。
(7)他にも、
・「中古治亂記」には、文亀元年(1501)に、南蛮国から伝来。
・「國友鐵砲記」には、文亀元年(1501)、永正7年(1510)、天文8年(1539)の3回に渡り、南蛮から伝来。
・「國友鐵砲鍛冶由緒書」、「國友紀行」には天文13年(1544)に伝来。
との記述が見られる。
(8)現代の歴史教科書では、天文12年説を採用している。
果たして、どつちが正しいのか???
では、ヨーロッパでは?
(1)文献によると・・・。
●手砲(ハンド・カノン)・12世紀頃中国で発明された黒色火薬は、アラビアを経てヨーロッパに伝えられたが、13世紀末ドイツのフライブルクで火薬の製造が始められると、同地のシュワルツ兄弟は金属製の円筒(銅銃)に火薬と石を詰め、点火して石を飛ばす手砲(ハンド・カノン)を発明した。
●手銃(ハンド・ガン)・14世紀末になると石の変わりに金属製の弾丸が使用され、銃身は鍛造した鉄で作られるようになり、後部を閉じて銃口から火薬と弾丸を入れ、後方の穴から点火する構造になった。15世紀には小型化した手銃(ハンド・ガン)が発明された。
●火縄銃・16世紀になると、引き金の操作で点火した火縄を点火孔に押し付ける激発装置付きの火縄(仕掛け)銃が発明され、銃身が長く口径の小さものが作られ、片に担いで発射する形になった。しかし、火縄銃は雨に濡れると湿ることと夜戦で敵に発見されやすいことから、1560年頃にはつい石(火打石)と撃鉄を利用した小銃が作られ、射撃速度は数倍速くなった。
●施条銃(ライフル)・1743年イギリスの王立学会でベンジャミン=ロビンスは銃砲の腔内に螺旋条溝を切って弾丸に旋回運動を与えると飛行中の弾丸が安定し、命中率が上昇することを報告したが、当時、精密に施条するだけの技術がなかったので、すぐには実用化されなかった。しかし、1776年のアメリカ独立戦争で施条銃(ライフル)の威力が実証され、各国で研究・開発されるようになった。
●撃発銃・1770年代に雷こう(雷酸水銀)が発明され、1807年にはスコットランドの技師アレキサンダー=ジョン=フォ―サイスによって、雷こうを起爆剤として利用する銅製の雷管装置が発明された。続いて1821年、ドイツのウェストリー=リチャ―ズにより、銅製の撃針で雷管に打撃を与えて発火させる、激発銃が作られた。
●後装銃・1836年、ドイツのドライゼが雷管と発射薬と弾丸を1つにした金属製の薬莢(やっきょう)を作り高圧で有毒な火薬ガスの噴出を防ぐ、後装銃の発明をした。
ヨーロッパが、何でも発明や開発をいち早く実行した・・・と、考えるのは無理のないことですが、鉄砲については、中国が先駆者だったのです。
朝鮮半島などは、中国と陸続きでもあったため、
「元寇(げんこう)の役」・・・文永の役(文永11年=1274年)、2度目を弘安の役(弘安4年=1281年)。蒙古襲来とも言われていますが、元軍(モンゴル)と高麗軍(朝鮮)との混成部隊が日本を攻めた時、すでに「鉄砲」が使用された、という記録もあります。
>>(日本の職人も唯一雌螺子の切り方のみは再現できず、娘を売って?情報を手に入れたとの話を聞いたこともありますが)
鉄砲を愛玩した種子島時堯(ときたか)は、数人の鍛冶匠に命じて鉄砲を模造させようとした。しかし、筒の部分は板状の鉄を巻いてできても、銃底を塞ぐ方法が分からなかった。ネジを作る技術も発想もなかったのである。時堯に模索を命じられた刀鍛冶八板金兵衛は、自分の娘をポルトガル船の船長に与えて製法を聞き出そうとしたが、果たせないまま船は娘を連れて出帆した。翌年、再び来航した南蛮船に乗っていた娘の導きでようやく製法を聞き出すことができたと、「八板氏系図」は伝えている。
ご回答ありがとうございます
発明については火薬を作った中国なんでしょうね
また日本への初伝来も諸説あるのですね
今の教科書が種子島が初と教えているかどうかは知りませんが、種子島に伝来した鉄砲が当時の内戦に大きく影響を与えたのは確かなのでしょうか?
私もその後少し調べてみましたが、内戦が落ち着いて平和になった日本では鉄砲は発達せず、他の地域では需要に合わせて進化を続けた
いつの時代でもそうですが、兵器の技術革新は戦争がもたらしますね
No.1
- 回答日時:
漫談なので詳細は後に続く諸賢におまかせして、
当時の鉄砲は肩におしあてるストックではなく、手で支える型式ですが、これは東南アジア式の鉄砲の特徴です。
日本には船でですが、大陸には越南や、北方から流れていたかもしれません。ただ、当時の半島や明国より、戦争している日本で、強烈な需要があったため、国内生産が一気に高まった風に思えます。
世界地図、欧州を中心にした世界地図では日本が右端にきます。その日本の位置を下にして地図を立ててみる。そして、日本の位置を見ると
「上からの各地の文化・風物が下に下にと、降りてきたんだ。最初は中国、そしてモンゴル、西洋と。アメリカ文化だって、ペリーはインド洋まわりで来たのだから同じである。地続きじゃなかったから征服とかされず、ポタッとくるエキスを、うまい具合に甘受できたのだ」」
と言った教授がおりました。
日本に来るころには、周辺国にも諸方面から鉄砲は来ていたと考えて、当然でしょう。
いわゆる「戦国時代」の末期になると、日本は世界の鉄砲総数の半分を持っているというトンデモなことになっており、輸出もしていました。
この時代の中国の表現に「日本の鉄砲をもっている男」というのがありますが、これは新し物好きの金持ち、の意味です。
ご回答ありがとうございます
”初めて”についてはやはりこれだと断言はできませんよね
当時の日本の内戦の需要と鉄砲の生産についてはうなずけます
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