広島の原爆についての本(といってもマンガですが・・。)を読んでいて、貧しいはずなのに、妙に子供が多い(主人公の家庭は5~7人兄弟)と感じられました。米一粒でケンカをするくらい、貧しいことが描写されていました。それなのに、子供が多いのは何か理由でもあるのでしょうか?
子供が増えたら生活が苦しくなるはずなのに。その時代には、子供が多いと何か有利な条件でもあったのでしょうか?
それとも、その前までは貧しくなかった・・・とか、多く見えただけ・・・とかそんな感じなんでしょうか?
そのときは、原爆が落ちる前の話でした。
どなたか分かるかた、教えてください。お願いします。

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A 回答 (4件)

「生めよ増やせよ」が国策で、10人以上生むと国から表彰されました。

避妊の方法が普及していないのと、避妊普及の思想は非国民の思想として考えられていました。
 
 生活向上のための国力よりも軍備力増強に国家予算が多く割かれることに反対できる雰囲気ではなかったのです。軍備費増額に反対した政治家ーたとえば浜口雄幸、井上準之助、高橋是清などの政治家は暗殺されていきました。
 さらに、近衛文麿首相のときの1938年国家総動員法が成立していますが、国は戦争に向けて沸騰し始めていました。
 冷静に考えられる時代でなくなってきていました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
10人以上生むと表彰されるのは知らなかったです。
当時は避妊という概念が薄かったのですね。

反対派は暗殺・・・。話し合いすら許されない時代だったんですね。そう考えると今は平和でなによりです。

お礼日時:2009/05/18 23:08

そういったことを揶揄した言葉に「貧乏人の子沢山」というのがあります、現在のように娯楽が豊富では無い時代では夜寝るのも早かったしすることが無いと人間の行動はおのずと決まってきます。


しかし、子供が多いと質問文にも書かれているとおり、生活は苦しく極端な場合は「間引き」という名の嬰児殺人が半ば公然と行われていました。
確かに明治維新以後の富国強兵政策もあり、産めよ増やせよというスローガンで国力の基盤となる人口を増やす政策が採られてはいましたが、国は殆ど援助なんかしてくれませんでしたので実際問題として子沢山は非常に問題が大きかったようです。
また明治時代からゴム製のコンドームがありましたが、普及せず使用法に関してもいい加減だったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3% …
要するに、戦時中であるかどうかは全く関係の無い話で、単に避妊法が確立されていなかった事、男性が女性の妊娠に対し身体的な負担というものを軽視していたが故の結果が子沢山という現象となったわけです。

〔ココから先多少論点がずれます〕
この問題は日本に限った事ではなく、欧米のキリスト教社会特にカトリックでは中絶はもとよりコンドーム使用による避妊まで否定、間引きなんかしたら地獄行き決定という考えであり日本以上に深刻でした。
そこで欧米や日本の医学者は月経周期から何とか避妊法を確立できないかと研究していましたがなかなか有効な方法は見つかりませんでした。
ところが日本で主に不妊治療の研究をしていた荻野久作医師が1924年に不妊治療法、いいかれれば妊娠の確率を向上させる方法を学会に発表したところ、キリスト教の縛りで避妊法の研究に行き詰っていたヨーロッパの学会が注目、キリスト教の教義に触れない避妊法として「オギノ式」として大反響を呼び、のち女性の権利として避妊が教会から黙認(表向きは現在も否定している)されるまでは道具を使わない方法として欧米では主流の避妊法となりました。
荻野医師は不妊治療が本来の趣旨であり、避妊法としては不確実であるとして不満があったようですが、子沢山に悩む庶民にとっては朗報でした。
「荻野久作医師」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E9%87%8E% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
たしかに、今はいくらでも娯楽はありますが、昔は貧しいというのと、普及していないというのが大きいようですね。
嬰児殺人なんて事実があったんですね。今のように中絶等できないからなんでしょうか。
一応コンドームくらいはあったんですね。それでも使い方がいい加減だったらあまり意味ないですよね。ビデオみせられて、そのとき専門家の人が一生懸命正しい使い方を説明していたのを覚えています。

余談ですが、今思い出した(うろ覚え)のですが、その本の一部で、缶詰を盗んで食料を調達するシーンがあったんです。しかし、その缶詰(箱だったかも)の中身はゴムでした。今思えばあれはコンドームだったのでしょうか・・・。

お礼日時:2009/05/18 23:29

少なくても戦後まもなくの頃まで7人兄弟や8人兄弟は珍しくないです。


貧しかったけど子供が多かったのです。
私の父(91歳)も8人兄弟でした。

江戸時代のその前から子供は多かったのですが、明治時代以降国の政策で「生めよ増やせよ」の号令が下りました。
要は男の子なら兵隊さんになり国のためになるからです。

ただし国からの補助は無かったそうです。
小学校もまともに卒業できずに丁稚奉公や子守をさせられたと聞きました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり見間違いの類ではなく、事実多かったんですね。今では珍しいくらいですが。

政府からの号令もあったんですね。兵隊さんになるっていってもやっぱり強制なんですよね・・・。なんだか日本とは思えないですね。

国の補助無しじゃ辛いですよね。子供も働いていたのは少し知っていましたが、小学校を通えないほどだったのはちょっと驚きました。

お礼日時:2009/05/18 23:02

子供の生存率が低かったからです


今のように高度医療なんて望めません
7人いて3人くらいしか大人になれませんし、大人も60くらいで死亡する人が多かったようです、今なら抗生物質で治る結核も昔は不治の病でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
良く考えたら昔と今って医療技術の差ってかなりありますよね。

生存率ですか・・・。今は滅多にないイメージがあるのであまりピンとはきませんが、昔は大変だったんですね。

お礼日時:2009/05/18 22:51

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