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小説を読んでいると、「大納言迄宣任の例多き旧堂上」(叙爵内規の内容)が出てきて、意味がよくわかりません。

現代語訳にすると、どうなるでしょうか。
解説していただけると助かります。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

これは、おそらく明治の華族制度制定の時の「授爵内規」ではないでしょうか? 中公文庫の「華族誕生」という本を読むと詳しく書いてあります。

非常におもしろい本ですよ。

「大納言迄宣任の例多き旧堂上」という意味ですが、まず「堂上」とは何か、ということを知る必要があります。
これは、公家(貴族)の家柄・家格を示しています。「堂上」とは、朝廷で昇殿を許された家ということで、つまり殿上人(五位以上と六位の蔵人)に昇進できる家柄ということです。公家の家柄は江戸時代には固定をしていまして、大きく分ければ「堂上家」(昇殿できる)と「地下家」(できない=下級貴族)の2つに分かれます。

同じ昇殿を許される家柄でも、官職がどこまで昇進できるか(これを極官と言います)もほとんど家柄で決まっていました。摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家などがその家格です。摂家ならば、当主は摂政・関白まで昇進できますし、羽林家なら極官は大納言です。

そうすると、この文章の意味は、「当主が大納言まで昇進する事例が多かった堂上家」ということで、おそらく羽林家で、「例多き」ということですから、羽林家でも筋の良い家柄ということです。

正親町、滋野井家、姉小路あたりでしょうか? この家柄は明治時代の叙爵内規では伯爵になっているはずです。余談ですが、「明治時代の叙爵内規」はかなり機械的でして、公家でいえば家格、大名ですと石高のみでほぼ爵位は決まっています。
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堂上(堂上家)は、昔の公家の家格のひとつです。


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%82%E4%B8%8A

昔は「堂上家」の家格にランクされていた家で、(その家の当主が)大納言まで昇進する例が多かった家
ということでしょう。
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