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ある本で昭和18年9月30日の御前会議の内容と称して、次の記述がありました。
「明年度飛行機四万機生産を目途とするとあるが、現在の生産能力は如何」
「陸海軍合計で生産一万七、八千機程度」
「政府は四万機の努力目標を確実に引き受けられますか」
「四万機以上作る決意であります」

戦前の日本で年間数万機もの飛行機が製造されていたのでしょうか?
もしそうなら、マリアナ沖海戦などで数百機失ってもたいして損害ではなかったはずです。
空襲などがなければ、四万機も製造できたのでしょうか。

A 回答 (5件)

http://gunsight.jp/b/1/s18.htm
に海軍の月別航空機生産数が
http://gunsight.jp/b/1/sou-kaisya.htm
に昭和元~20年の陸海軍機製造数のデータがあります。
後者により、ほぼ陸海軍の生産数は拮抗しているということが判ります。
なので、単純に海軍の月別航空機生産数がそのまま日本の生産数の半数だと簡単に考えるとしましょう。
ただし、途中から桜花も生産数に入っちゃっているので、これは除いた方がいいかもしれません(グラフでは純生産としています)。

 さて、このデータで月産のピークは19年夏頃です。桜花を入れるともう少し後までピークが続く。
 一方、17年初から18年秋までの生産数の変動を見ると、倍増ぐらいは軽くしています。
会議頃の月産数は600機、
年ベースでは600*2(陸海軍)*12(カ月)=14400機です。会議発言の生産数もやや水増し気味ですね。。。

 ここから倍増以上を目指すわけですが、机上の統計論としては可能かもしれない、という心証はもてます。実際に過去に倍増以上の拡張を成し遂げているわけですから。
 が、ラインの新規設定やら、工員の手配やら、原料の入手やらというその他のパラメータをすべて無視しているわけで、その辺が判らなければなんとも言えません。おまけにこの手の計画というのは「数さえこなせればいいや」ということから粗悪品の乱造に繋がったりするわけです。
 さらに言えば、本土空襲の本格化は19年末からです。航空機製造のピークがその前に来ていますから、空襲以前に生産数増加を鈍化させる何らかの要因があったことは確実だと思われます。

 つまり、本土空襲が全くなかったとしても、航空機製造の成長は鈍化しつつあり、倍増はかなり苦しい目標であったと思われます。

 なお、ピーク時の月産製造数は1100機、
つまり年ベースは1100*2*12=26400機でした。

また、先賢ご回答通り、飛行機の戦力はドンガラ以上に空中勤務者の質によって左右されます。
 日本はこの点が劣悪で、いなくなったパイロットの補充というのがほとんどできません。
 民間人が趣味で対潜哨戒をしちゃうアメリカはさておいても、その他の主要参戦国と比しても民間の航空基盤が著しく脆弱でした。
 つまり他の国では(スポーツグライダーとか農業・郵便航空とかで)ある程度は飛行機になれた奴を引っ張ってきて訓練すればパイロットになるが、日本の場合はそういう奴がいないので、ずぶの素人から育成する必要があるわけです。おまけに急速な増員計画は様々な理由から実施がものすごく遅れました。
「戦前の飛行機製造能力は?」の回答画像3
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生産能力はあっても資源がないのでは如何ともし難い



軍部が物理学者に「日本の物理学者は原爆の一つも作ることができないのか」と大喝したとき
物理学者たちは原爆など小学生にでも作れる
ウラン235を持ってこい
と言ったとか言わなかったとか
そういう状況だったようです

材料がなければ物は作れません
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戦前に96式陸攻ができたころ戦闘機無用論が有り多くの戦闘機操縦士が教官や他の機種に転化されたり冷や飯をくわされた



その時のつけが会戦後ベテラン操縦士を喪失後戦果として現れる

制空権がなけれは何も出来ない戦闘機が強くなければならないとして
その航空機無用論者の源田実が松山の343戦闘機隊生き残りベテラン
集め紫電改で活躍したは皮肉か。

操縦士の命等軽視している大体被弾すれば自爆となる
落下傘などあつてないもの

なので10万機あっても戦法が体当たり攻撃では大した戦果なし
>マリアナ沖海戦などで数百機失ってもたいして損害ではなかったはずです。

とんでもない虎の子の航空母艦もやられ搭乗員も失えば大損害ですよ
いつか月やそこらで操縦士は教育できない

貧乏国日本が空母艦載の零式艦戦の20mm機銃弾も定数を割りきつたまま、開戦にふみきった又数も足りなかった。
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昭和19年の日本の航空機生産数は約2万8千機、1941~45年の総生産数は約6万8千機です。


年間4万機は5割増しですからまず無理でしょう。
また日本の場合、航空機よりも搭乗員の養成、特に空母艦載機の搭乗員の養成能力が大きく劣っており、マリアナでの搭乗員の損害が回復不可能だったのです。
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日本の航空機製造能力において…零式艦上戦闘機を例にあげます。


1939年から1945年まで生産総数は10,430機です。

およそ日本の航空機は大量産に向く機体構造でもありませんし…
肝心のエンジンもコンロッドなど中枢部の量産技術がありませんでした。
また、オイルシールも弱点で…これは戦後1970年代まで続きました。
さらにプロペラも定速度プロペラのライセンス生産がやっとで、可変ピッチプロペラは実用化できませんでした。

航空機は総合的な技術力がないと大量生産不可能です。
日本には大量生産技術や、それに使用する貴金属(モリブデンやマグネシウム、タングステン)が圧倒的に不足していました。

1944年からは熟練技術者も不足で、学徒動員がかけられましたが、
ずぶの素人が組み立てられるはずもなく…母など中島航空機に配属されましたが、10機完成しても満足に飛べて引き渡されるのは半数くらいだと言ってました。
また三菱のある工場など、完成した飛行機を牛車で飛行場まで運んだそうですが・・・

>マリアナ沖海戦などで数百機失ってもたいして損害ではなかったはずです。
日本はパイロットの救出に無関心で、飛行機の損失=搭乗員の損失になりました。

>空襲などがなければ、四万機も製造できたのでしょうか。
生産設備や、機種の多さから無理と思います。
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