プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

タイトルにも書いたように、第二次世界大戦後(1930年代あたり)イタリアから見た日本(または日本人)はどのように映ったのでしょうか。
それが知りたいです。

やや抽象的ではありますが、些細なことでも何でもいいので、教えてくれるとうれしいです。

A 回答 (4件)

北部と南部で温度差があると思います。

北部は共和国政権をたて、ドイツと心中するまで戦いました。

で、意外なことに欧州・亜細亜航空機連絡を果たしたのは、イタリア人でした。満州の包頭まで、イタリアから飛んできています。日本側が、当該機がソ連領空を侵犯してきたことをしり、その事実はひた隠しにされましたが、勇敢であることに変わりはありません。

人によってちがうと思います。あの国は、そんな簡単な国ではありません。
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イタリアにほんの少しいたことがあります。


まあ、日本人についてよく言われるのは
I giapponesi lavorano troppo.(日本人って働き過ぎ)
たしかに、イタリア人の目から見ると日本人って働き過ぎ。
イタリアの商店って、昼間は普通2時間の休憩、12時になると店内に人がいれば追い出されます。従業員は家に帰ってたっぷり食べてお昼寝。労働者におって極楽天国です。
また、こんなこともよく言われるそうです。
Un italiano lavora meglio di 100 giapponesi ma 100 giapponesi lavorano meglio di 100 italiani,
(ひとりのイタリア人は100人の日本人より上手に仕事をする、でも日本人が100人仕事をしていると100人のイタリア人の仕事に勝つ)
 まあ、日本人は集団でやると強いんでしょうね。
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特に根拠はないですが、おそらく一番多い答えが「よくわからない」なのではないでしょうか。

日本人に「ナイジェリア人についてどう思うか」と聞いてもおそらく大多数の人は「そもそもどこにある国か知らない」か「アフリカの国だというのは知っているけどそれ以上知らない」でしょう。
同盟を結んでいたとは地球の反対側です。ましてや、政治的にも直接的な交流がほとんどありませんでした。日独伊三国同盟に関しても日独間でどうこうという記録はあっても、日伊間でどうこうという記録がほとんどありません。

モハメド・アリがローマオリンピックで金メダルを獲得し、そのメダルを首に下げてレストランに行ったら「黒人お断り」と入店を拒否されて怒りと悲しみのあまりメダルを川に投げ捨てた話はあまりに有名ですが、そのローマオリンピックは1960年の出来事です。
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長年ブラジルに住みました。


ブラジルにはドイツ移民、イタリア移民、日本移民がいます。
第二次大戦で上記三カ国が負けたとき次の通りだったそうです。
ドイツ移民→半旗を掲げ店を休んだ。
日本移民→深い悲しみに打ちひしがれながらも仕事を休まなかった。
イタリア移民→ブラジル人といっしょにお祝いをした。

つまり三国同盟といっても実際は日独だけでした。日本は極東の国で遠すぎますからイタリア人は何の感想もなかったんじゃないでしょうか。
ただ、第二次大戦が始まったのは1939年で終わったのは1945年です。日独伊三国同盟締結は1940年です。年代が違っています。
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