アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 下に画像の掲載されたリンク先を付します。(ドストエフスキーの言表である)信仰を失わせる点が、もしもこの絵にあるとしたら、それは何か教えてください。彼は、知識階級の理性万能思想を憎んでいたふしがあるので、公に言われる理由よりも、回答を下さる方ご自身のお考えをお聞かせいただけると助かります。
 「イエスを信奉するすべての方に向けて、いちいち絵にしてみたいと思いました」――というのが、作者の気持ちだったのではないかと、僕は予想しています。如何でしょうか。

 ・http://www.kunstkopie.de/a/holbein-dj-hans/der-t …

A 回答 (19件中1~10件)

>もう、ヒグラシも鳴かない季節になりつつあり、そろそろ締めさせてもらおうかと思っています。



こんにちは。
今日は幾分日差しが戻ったように感じました。
後ろ髪を引かれる思いではありますが、ri_rong様のご提案通り、今日でラストの拙文にさせていただきたいと思います。
そうそう、メメント・モリとして故人の遺髪を指輪におさめたアンティーク・ジュエリーをご存知でしょうか。
オカルトに疎いから、逆にアンティーク物に違和感なく心惹かれるものがあるのですが、どうにも「喪の類」に関してだけは数寄者と言えど、畏敬の念を感じて避けてしまうのです。
髪に最愛の亡き人への想いを託して遺すという文化は、あながち洋の東西を問わない性質のものかもしれません。
日本も遺髪のみならず赤ちゃんの毛髪など記念に残したりしますし。


>結局のところ物語は読者が紡ぎだしているものだと思います。けれど読者は、それに気付いていない。やはり白痴とは、そういうものでしょう。

以前ご質問なさっていた「機上の物語」をふと思い出しました。
そうですね、仰るとおり物語とは読み手自身が紡ぐものでしょうし、
また書き手自身も、どのように配慮し隠蔽を心がけてでさえ、やはり自らを何らかの形で曝け出してしまっているに違いないと思われるのです。

だって、物語でなくとも、思いがけず自分の書いた文章に思わずにハッとすることがありますから。
「飛翔しないニワトリ」はまさに自らのことで(笑)、独学で読み進めることへの不安と共に、万華鏡の先に幾許か見えたものをこれからどうしたいのか、等々。
飛ぶ素質以前に飛ぶ気配すらなく、飛ぶ意思すらあるのか?といった感じです。
でも以前のフーコ拙問で「ましゅまろだけの論文を~」との励ましを心の糧に、これからゆるゆると思索していきたいと思っているのです。
とりあえず再来月夫の会合に同行した際に、「森」と「ニワトリ」を訪れに行く機会があるので、もう少しゴシックについて追っていくつもりです。

「白痴」、ですか。
ri_rong様、「白痴」である状態こそが「幸せ」ってことってあると思われますか。
「知らぬが花、バカであり続けたい。結構。」という思いも中にはあり得そうにも感じるのです。
わたくしなど、(母は「完治した」と思いこんでいたようですが)X-rayで写された頼りなげな股関節を観るにつけ、「見たくない(なかった)」の想いが未だに強烈に残っているのです。
不思議なのですよ、外見からは全く遜色なく歩けるのに、レントゲンを通すと将来人工関節を入れなきゃいけないっていう「予見」が無情にも突きつけられている事実。
レントゲン写真が錯視なのか、外観しか捉えられない自らの視線が錯視なのか、わけがわからなくなるときがあります。
もう二年経ちましたけど、いまだにハンデと同一化しきれておりません。 
我ながら女々しいと思います(笑)

ムイシュキン公爵の『死せるキリスト』との対峙の場面。
今思い出すのは、彼は真摯に信仰していただけに「信仰を捨てさせるのではないか。」と思ったこと、そのこと自体をあの場面で告解、悔悛していたのではないか、ということです。
そして、当のドストエフスキーは一体どのように思っていたのでしょうね。

いずれにせよあの絵画は、死者という「事物の本性」を極めて写実的に描いていることにより、キリスト教に関わらず、死や死者に対する圧倒的な畏怖畏敬の念並びに、忍びよる腐敗の予感からの諦観を観る者にもたらし続けるのではないでしょうか。

ゴシックについては、このあと続けて別投稿させていただきます。
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この回答へのお礼

>ri_rong様、「白痴」である状態こそが「幸せ」ってことってあると思われますか。

 なぜ、白痴というタイトルをつけ、阿呆とか馬鹿というふうにはしなかったのだろうか、という問いなのかなと思いました。ということならば、割に解釈ははっきりしている。僕らはつまり、遅れているんですよ。イエスのあの微笑を思うとき、どうやら僕らには幸せがちょっと遅れてくるらしい――という事なのだろうと思います。

 早ければ良いというもんでもないでしょうから、タイトルとしては、『遅れてくる人々へ』という感じでしょうか。あるいは次の世代、あるいは子どもたちに捧げるという、いわばドストエフスキー自身が、青年から大人へと足を踏み出したひとつの標なのだなと僕は思います。

>いまだにハンデと同一化しきれておりません
>当のドストエフスキーは一体どのように思っていたのでしょうね

 死をどう受け止めるか、首の皮一枚繋がったかたちで釈放された彼は、死の間際に感じたことを小説に綴ってますね。刻々と迫り来る処刑の瞬間を思うとき、そのときまでの一瞬一瞬を大切に生きたいと願う。そして万が一、生き延びたなら、命が永らえたなら、これまでとは違った生き方をしようと心に誓うだろう。そして生き延びる。すると現実はどうか、神に誓ったはずのその思いはどこへやら、あれほど切迫した一刻一刻は、すでに失われてどこにもないことに気付くようです。

 幸せはたぶん、あのときの一瞬にあったのではないか? けれども概ね幸せは、気付きを要請したりはしないものだと僕は思います。あるいはましゅまろさんも、どこに片付けたのか忘れてしまった幸せが、ずいぶんあるんじゃないのかなと思ったりします。

お礼日時:2009/08/27 18:52

>当時の死に対する観念がどうだったのかというのは、とても難しい。

僕には、わからないです。「自らの根本的な生への不安」って、何ですか?

はい、当時の人々の想いや観念など、所詮現代人には推し測れない類なのだと思われます。
ですが「この世に人として生を受け、定められた時代と境遇とに翻弄されながらも生を地道に営み、喜怒哀楽を覚え年老い、人として最期に死を受け入れる」という点においては大差などあり得ましょうか。
思索を巡らすだけではどうにもゆかない次元のものが「逃れられない死」であるとするならば。
日々を生きることに当たり前のようにつきものな喜怒哀楽の断片とは別に、心の奥底に「死と重ね合わせな生きることに対する不安」も潜んでいるように思われるのです。
むろん、南米の文明において選ばれし人間がある一定期間あらゆる贅を尽くし、祭壇上の生きた生贄と化す際の心理的状況などは度外視する必要があるでしょうけれど。

>ピラミッドのなかで一晩過ごすと、奇妙な気持ちになるとかなんとか、そういうはなしを聞いたことがありますが、あれほど規則的な建物は、もうそれだけで見る人をそういう気持ちにさせるのだろうと思います。

それはどうしてそのような気持ちになるとお考えになられるのでしょう、わたくしもうかがってもよろしいでしょうか。何故です?

人間の視覚と正しい認識とは一体何でしょうね…等と、白いトゥーゲンハットチェアに腰掛けてタイピングしながら、6m弱ある天井をいま眺めています。
たかが6m弱ですが、意外と解放感があります(冬は床暖房マスト)。
バルセロナ・チェアの方がクロームの脚部フォルムが断然美しいのですけどね、座ると何らフレキシブルでないし、どうにもあれはオットマンに脚を載せたくなる、だからセットとして考案されたのかなあって。
揺りかご風味な座り心地とリプロダクションが市中に出てないので(つまりマイナーってこと?笑)こちらに決めたのですが(実はKNOLL JAPANはライセンシーで製作)、このような諸々の人間の感ずる五感とか趣向といった類のものは、どのみち個々人の脳の認識と深く関わっているのですよね。
遥か遠くの空より、数十メートル先のゴシック大聖堂の天井に焦点を合わせて奥行きを感じる方が、荘厳さと畏敬の念を感じたりする「錯視」。
これは人間ならではの「特殊な認識」の賜物なのでしょうか。

先にふれていらっしゃったバルトルシャイティスの例の著書が予想以上に面白く、下の息子の格好の夏休みの自由作品と化しました。
(bunkamuraでも同様の催し物をやっていましたね)
アナモルフォーズもモリアも、中世が生み出した「一元的な思考に対する懐疑の概念」を孕むものであるならば。
同時代に描かれた石棺の絵画『死せるキリスト』と『白痴』中の言説を捉えるに何かヒントがありそうな。
たとえば、あの絵画に対峙して、人は「キリストの死」「圧倒的な死に対する絶望感、虚無感」にいったんは打ちのめされるものの。
ri_rong様の仰る視点、つまり、「十字架を背負わされたにしては矛盾を内在している」とみなすならば、「キリストの死」が「虚像」であることが判然とするのではないか、などと考えたりもするのです。
あの絵画自体、本当に不思議な幻想を呼び起こすように思われるのですが、どう思われますか。

あとですね、320頁の「幾何学的空間から幻想が立ち現われてくる構造の模範的実例ということで、アナモルフォーズの機能に夢中になった『セミネール』のジャック・ラカンも位相幾何学狂いの名に恥じない。」というくだりに、笑みがこぼれてしまいました。
やはり、といいますか、当時超がつくインテリ層を多数顧客としていたらしいですね。
オカルト、神秘主義に魅せられていくその階層の人々とアナモルフォーズに魅せられた当時の知識層とがどこかだぶるのです。
これも、あまりにも独善的な見方なのでしょうか。
「知の欺瞞」の質問は閉じましたが、わたくしの中ではまだ閉じられておりません(笑)

>絶対とか完璧っていう表現は、僕の感じるゴシックの指向性にぴったりきます。塔に限らず、建物全体が天に届こうとしている感じです。少しでも神に近づきたいという、そんな感じがする。

はい、とりわけ思い入れが深そうな感じを拝察致しております。
思うにゴシック建築は、やはり「光」の圧倒的な質量の差、中央と周縁といった心理的地理的距離の差などもゴシック建築に影響を及ぼしているのではないでしょうか。
モンペリエの大聖堂やアヴィニョンの旧法王庁などわたくしが思い入れ深い南仏の建築群は、軽やかに空へ突き抜ける感に乏しく、まるでどうにも飛翔しないニワトリのような感じ。
真夏など木陰が必要なくらいだからでしょうか。

ドン・キホーテ、ホルバイン、デューラー、ドストエフスキー等々。
こちらにて既出なキーワードからわたくしが窺い知ることと言えば。
繁栄の都市ながらやはり周縁の地に他ならないが故の諧謔的精神というものと、そのなかなか独創的で示唆に富んだテーゼを与えてくれる奥の深さ、或いは空恐ろしさ、といった感覚なのです。

今日はやけに涼しいです。
ひと夏がもう終わろうとしています。 早くないです?!←強制同意求ム

この回答への補足

 主題に帰ってきた観のあるご回答でした。ありがとうございます。

 >この世に人として生を受け定められた時代と境遇とに翻弄されながらも生を地道に営み、喜怒哀楽を覚え年老い、人として最期に死を受け入れる

 というものなのかどうか。もちろん、どの時代人としてもという意味でですが。
 例えば、輪廻転生やら死後の世界を本当に信じていたら、死は一過性のものとして、特に恐れる必要はない。ただ、何か儀式めいたところのある重大な通過点として意識されたにせよ、死が通過点として受け入れられていたならば、少なくとも最期に受け入れたことにはならない。あるときは諦めであり、またあるときは譲りであるような、そういう死の受け入れ方があったのだろうと想像します。
 ホルバインの場合はそうではなく、一度死を明らかにすべきではないか、そういう態度が感じられます。犠牲というのではなく、また名誉や神格化というのでもない、そのままのかたちでの死を、ちょっと描いてみたほうが良いんじゃないか――僕にはそんなふうに思えました。

 >ピラミッド――どうしてそのような気持ちになるとお考えになられるのでしょう、わたくしもうかがってもよろしいでしょうか。何故です?

 ひとことで言えば、思い込みだと思います。
 文学のカテゴリーで、『本格小説』に絡めて回答を投稿したのですが、まさに思いこみ。小説とは結局のところ、何かを語ることではなく、材料を提示することではないかというのが、あの作者の言わんとするところだと思うんだけど、それというのも、どのような迫真の語りがあったところで、読み手の悟性は常に理性から超越しているという事なのだと思います。
 小説という材料を提示するのは作者ですが、結局のところ物語は読者が紡ぎだしているものだと思います。けれど読者は、それに気付いていない。やはり白痴とは、そういうものでしょう。

 >あの絵画自体、本当に不思議な幻想を呼び起こすように思われるのですが、どう思われますか。

 320頁がどの冊子を指すのかはわかりませんが、オカルトというのは「隠されたもの」という意味ですから、その探求はまさしく世の中の研究者たちが新しい「何か」を探す営みと合致するわけです。まあ、似非もあるのでしょうけれど、この営みについては同じです。
 未知のものを知りたいという欲望は、多かれ少なかれ誰もが持ってますし、それを大食いだとか色好みだといって窘められるのも、またそれに腹を立てるのも、その欲望が根源的であるがゆえだと思います。「知の欺瞞」と呼べば聞こえは良いですが、案外、可笑しなものを好んで食べたり、排泄やらセックスやらになると、ちょっと真似できないことをなさる方がいる――という、この世の事情に同じです。

補足日時:2009/08/26 10:31
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この回答へのお礼

 >まるでどうにも飛翔しないニワトリのような感じ。

 うまい表現だと思います。この質問ではいろんな人物の名前が出てきましたが、比較的面白い内容になったと思います。もう、ヒグラシも鳴かない季節になりつつあり、そろそろ締めさせてもらおうかと思っています。

お礼日時:2009/08/26 10:32

>都庁舎の壁面を彩る幾何学模様のせいなんでしょうか。

PCなんかの基盤をモデルにしてデザイン

んま。基盤がモデルでしたか。 やはり幾何学模様のせいです?
都庁第二庁舎の上層部雁行部分などを眺めていると思い出すのですが、
積み木やレゴ・ブロックを積み重ねていくとき、不思議とシンメトリーな建物を形作ってしまうのです。 
パーツの特性上スクエアな形に落ち着くのは致し方ないのでしょうけれど。
いったい、シンメトリー、黄金律、絶対音感といった類の「心地良さ」とはどこからくるものなのでしょう。


>思うにシンメトリー空間って、建物の内部与件から出てきたものではないかと思います。

これは、何らかの美的基準からではなく合理性からシンメトリー空間が生じたという意味でしょうか。
絵画、彫刻と同様に、ある時代までの建築とは宗教の歴史そのものと重なるはず。
その概念の範疇外だった市井の人々の住居空間にスポットライトが当てられ始めることと深い関係性があるように思われましす。 どうなのでしょう。

わたくしの場合、むしろ古代エジプトの巨大建造物に壮大なシンメトリーの形と美を独善的に見出します。
1点透視図法のまさにその中央1点に神が鎮座するイメージ。
三層に連なる列柱の絶妙なリズム、葬祭殿全体の均整のとれたプロポーション、そして色褪せた石の層がモダニズムにも通ずるような。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …

翻ってゴシック建築とは、ありとあらゆるものを遺した「途方もない膨大な記録庫」で、それだけに何度見ても尽きることが無いのでしょう。
中世当時にくだんの聖母像や聖遺物拝観のための巡礼が大変盛んであり、幾度の火災を経ての諸々の奇跡を「本気」で信じていた人々に思いを馳せながら、数々の先の引用絵画を眺めているところです。

で、ちょっと再び『墓の中の死せるキリスト』。
「信仰を失わせる点」と記したのは、神を信じる、自らの根本的な生への不安を神に一任することで安穏とし忘却しがちなスタンスに対し、「墓の装飾用として描かれた中世当時の真摯な人々の想い」も感じていたからなのでしょうか。
…う~ん、でもやっぱりわからない。
もう何十周もすると少しは掴めるのかしらん(笑)

>かつては外皮がそのまま内部空間でしたから、外観は内部の意匠に大きな影響を与えた。

はい、そうとも言えますが、逆もしかり、ではないでしょうか。
殊に聖堂のような建物内部の場合、内奥のすみずみにまで光を当てられた魂の象徴、内面生活の寓意であるがゆえに外観が犠牲にされた箇所もあるのではないでしょうか。

>家屋がシンメトリーになることは、とても合理的だと思います。

はい、そうですね。
さらにはイギリスなど建築文化の周縁の地において「立方体の概念」の発案などが試みられては消えていったようですよね。
当時は先駆者的発想としてかなり斬新だったかもしれません。

ちなみに庭園に関してはどうだったのでしょう。
確かシャルトルにもシンメトリーな迷路が施されています。
ミノタウロスの迷宮の頃より、いえもっと昔から、迷路、螺旋といった図像に人々はなにがしかを感じ想いをこめてきたというのでしょうか。
現代の流体力学シミュレーションさながらの渦巻き文様など見ていて飽きません。

>塔のように目的のはっきりした工作物とは違うと思うんですね。どうでしょうか。

はい、確かに塔は「工作物」とも言えますね。
それとも「工作物」ならずとも、神以外に「絶対」「完璧」なるものなど造ることはできないゆえに相応しい差異を加えている、とも言えるでしょうか。

そうそう、冬の薄暗い朝霧に響きわたるヴェネツィアの鐘の音が何とも悩ましく鳴り響くように感じられるのです。
これって、気のせいなのか、それとも運河の水面と共鳴するためにサラウンド効果の賜物なのでしょうか。

今回も脈絡なしです♪
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この回答へのお礼

>何らかの美的基準からではなく合理性からシンメトリー空間が生じたという意味でしょうか。

 例えば、絵画を入れる額って大抵の場合は、左右対称ですよね。もちろん、例外はあるんでしょうけれど、額やキャンバスがああいうかたちになったのは何故なんだろう? 
 という疑問に近いような気がします。
 描かれる絵に対して、背景になるようなものですかね。逆に、規則的な図柄(絵)を自由な曲線で切り取ってみると、それはそれで面白かったりする。写実的な絵であっても切り抜かれたところが、顔であるとか、目であるとか、切り取られることで何かが象徴させられると、その行為は意味性を帯びてくる。ところで、ピラミッドのなかで一晩過ごすと、奇妙な気持ちになるとかなんとか、そういうはなしを聞いたことがありますが、あれほど規則的な建物は、もうそれだけで見る人をそういう気持ちにさせるのだろうと思います。

=======================
「信仰を失わせる点」と記したのは、神を信じる、自らの根本的な生への不安を神に一任することで安穏とし忘却しがちなスタンスに対し、「墓の装飾用として描かれた中世当時の真摯な人々の想い」も感じていたからなのでしょうか。
…う~ん、でもやっぱりわからない。
もう何十周もすると少しは掴めるのかしらん(笑)
=======================

 笑っておいでですが、とても難しいことをおっしゃっていると思うんですよ。他では蛆虫の話が出ましたけど、当時の死に対する観念がどうだったのかというのは、とても難しい。僕には、わからないです。ところで、「自らの根本的な生への不安」って、何ですか?
 
>それとも「工作物」ならずとも、神以外に「絶対」「完璧」なるものなど造ることはできないゆえに相応しい差異を加えている、とも言えるでしょうか。

 絶対とか完璧っていう表現は、僕の感じるゴシックの指向性にぴったりきます。塔に限らず、建物全体が天に届こうとしている感じです。少しでも神に近づきたいという、そんな感じがする。

お礼日時:2009/08/23 18:17

あからさまに面倒くさそうに見えてすみません。


1526年リヨンで執筆、1527年ケルンで印刷、1530年アントワープで上梓の『学問の不確実と虚しさ』のことです、
バルトルシャイティスが熱弁ふるっているのは。(ケルンで印刷の件については触れていませんが。)
擁護したくはないのですが、(訳は高山さんだし)
デカルト、ゲーテを準備した書物でもあるわけで、重視したくもなるのでしょう。
あとは、メアリー・ハーヴィの研究を敷衍したようですね。
ウェストミンスター寺院の舗石を模写したホルバインが、実在していない六芒星を描き込んだのは、アグリッパの影響云々と。

アグリッパは、われわれから見ればどう実現するのか知れない怪しげな鏡像の空間投影に、取り憑かれていたと思いますよ。
妖かしの光学は確かに、中世から16世紀までの宗教の空気のひとつですから、
時代との距離というものさしではなく、宗教界から眺めてみてはいかがですか。
つまみあげれば腐臭漂う修道院の歴史なんでしょうけどね。
アグリッパのマラリアの治療法もそうなのですが、前近代の科学理論と言うのは
自然の恩寵とキリスト者の意思と神の秘蹟が、混然としています。
これが結局重要なテーマで、ならば諸科学の発見や現象の検証は、おっしゃるところの「おまけ」かというとそうではなくて、
そこからしか触れられないから、ねちねちと考えるのだと思う。

しかし、さらっとトリテミウスの名前が出たりして、黄金の夜明け団研究の人みたい。
置き土産になるかどうかわかりませんが、平井浩(Hiro Hirai)さんは面白いです。ご存じでしょうか。
わたしの青春には丸石照機先生のほかに若き山田俊弘先生がいたので恵まれていたと言えるのですが、
科学史に進んでいたとしてもこの人物ほどにはなれません。
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この回答へのお礼

 ようやく、ヒロさんの名前が出てきた。
 病気でノックアウトする前にお仕事をいただいた事があります。ひょっとしたら良くご存知なのではないか、そう思ってこれまである程度ヤマを貼った投稿を繰り返しつつ、待っていました。懇親会とかでお世話になった方々を思い出しつつ、はて、青春時代に若き山田先生となれば、うーむ。最初は「メタリカを英語で読んでちゃ、駄目よ」とおっしゃった矢島さんかなとも思いましたが、そうじゃなさそうだし、まあ、そんな憶測はどうでも良いことだと思いました。
 ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 09:46

御二方のお話、とても満足な理解にはついていけませんが、大変楽しく拝見させていただいております。

 ありがとうございます。

この都庁第一本庁舎がましゅまろ的にゴシック風味に思えたのは、一昨年、ロンドンバスのタラップを降りて真正面にそびえるウエストミンスター寺院の外観を仰いだときでした。
ああ、何かに似ているなあ、そうだ、丹下氏の都庁外観のインスピレーションの源泉はこれかなあって、勝手に思い込んだまま胸にしまいこんでいただけです。
実質都庁舎は無機質に削ぎ落しているように映りますから、過去の大聖堂等とは対極にあるのかもしれませんけどね。
たとえば、ラスキンが言うところの「人間が持ちうる芸術が絵画・彫刻であり、建築がこれら二つを高貴に結合したもの」がシャルトルのようなゴシック大聖堂であり、「単なる建物(ビルディング)に過ぎない」と言う辺りに都庁舎が相応すると言えるものでしょうか。
http://www.blue-style.com/photo/todohuken/view-4 …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …

しまいこんでいたと言えば、ユイスマンス『さかしま』に心惹かれて買って積んでおいた『大伽藍』を週末持参して読みました。
デ・ゼッサントの偏執ぎみで滔々と述べる美的探究心が、そのままデュルタルに乗り移ったかのようで。
(結構心地良いから、いつまでも頬杖ついて読んでいたくなります。
あの作家、全作品を網羅してみたくなりました。 異なるテーマ性それぞれに通底する何かがありそうな。 ユイスマンスの祖先がネーデルランドの画家というのも不思議めいています。)
誰か『大伽藍』のコンプリート・ビジュアル・ガイドブックを出すコアなマニアっていないのでしょうか、う~ん。
それで改めて思ったことは、シャルトル大聖堂が名も無き職人達が丹念に作り上げていった石造りの一大聖書なのだということです。
以前amaguappa様にご教授いただいたミニアチュールのミクロな世界とはスケール的に好対照に思われます。

>日本に限らず、ロマネスクから初期ゴシックまで、塔は左右で違う意匠を施されるものだと思います。

え、そうなのですか。 知りませんでした!!
アヤ・ソフィアの塔も色が異なっているのは、焼失して再建したのかなあ、などと勝手に推測しておりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …
塔の存在それ自体には単なる装飾以上の大いなる存在意図があり、それに付随して異なる意匠となっていたとは。
宇治平等院鳳凰堂の「比翼」部分のような、単なる贅沢な飾り目的のための塔は存在しなかった、ということなのですね。

「近代の幻想」に囚われていた囚人としましては、この際だから、酷い乱視ながら、どうしてシンメトリが流行り出したのか少し気になりました。
あとですね、ふと今、僻地サン・ジミニャーノの世俗的な塔群を想い出したのですが。
何故イタリア各地においていわゆるゴシック建築が重宝がられなかったのでしょう。
「ゴシック」という語彙に何かヒントがあるのかしらん。
比較的陽光に恵まれいたという以上に、ローマ以来のロマネスク建築が適材適所に配置され、その様式も揺るぎなかったからなのでしょうか。
そしてゴシックの大聖堂が西向きというのは、ステンドグラスへの斜光との関係以外には何があるのでしょう。 う~ん。
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この回答へのお礼

 どうやら、乗ってきたって感じですね。
 都庁舎の壁面を彩る幾何学模様のせいなんでしょうか。あれって確か、PCなんかの基盤をモデルにしてデザインしたって聞いたことがあります。確かにごちゃっとした感じは、似てますね。石のせいかな。さて、
 思うにシンメトリー空間って、建物の内部与件から出てきたものではないかと思います。
 今でこそ天井裏とか、床下とか、壁懐のように建物の外皮と内部は別々ですが、かつては外皮がそのまま内部空間でしたから、外観は内部の意匠に大きな影響を与えた。内部空間は、風通しや採光、暖房など室内環境ができるだけ均一になったほうが使いやすいですし、見た目にも落ち着きがある。家屋がシンメトリーになることは、とても合理的だと思います。
 
 塔のように目的のはっきりした工作物とは違うと思うんですね。どうでしょうか。

お礼日時:2009/08/18 09:45

そうですね、その2点が、17世紀になって錬金術のイメージを定着させたと思います。


ルネサンスには、絵というのは不気味なものだという感覚があると思うんですね。
錬金術的な技芸として、音楽に迫ろうという時期。
そういう話でした。
アグリッパは魔術師じゃないんじゃないですか。ホルバインが「大使たち」を描くにあたって読んだのはたぶん本当でしょう。
このサイトに居たのはアグリパパのパが抜けたと言っていましたが、
農学の質問に呼ばれるとは、奇偶を感じさせられますね。
では駆け足で行ってみます。
しばらく休みたいんで当面最後の書き込みに。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

>ホルバインが「大使たち」を描くにあたって読んだ

 というのが僕にはどうにも訝しく思えて、というのもホルバインが《大使たち》を描いたのは1533年頃ですよね。エラスムスが亡くなる三年前のことです。宗教画家だったホルバインは、バーゼルで一斉を風靡した『痴愚神礼讃』の挿絵を描いていて、彼との親密な付き合いはこの頃からだと思います。
 ルター派とヘンリー8世との間で激しくなる宗教論争の狭間で、晩年のエラスムスは翻弄されるわけですが、その仲裁を諦めた1520年代の半ばに、エラスムスの勧めもあってホルバインはヘンリー8世とモアを頼って英国へ渡ります。英国の宮廷画家になる前に、田舎へ引っ込んだエラスムスを頼って一時帰国しますが、アグリッパに触れる機会があるとすれば、このとき以外にはないでしょう。
 アグリッパの有名な『オカルト哲学』は1530年にアントワープで出版されますが、これがまた読み辛い文章で、しかもラテン語でした。これがドイツ語に翻訳されたのはちょうど、1533年のことです。その頃には、ホルバインはすでに英国に滞在していて、ドイツ語のアグリッパは読めなかったはずなんですね。けれども、こういった時間的なことよりも、アグリッパはむしろこの時代性に対して一歩引いたかたちを貫いています。エラスムスに比べて存在感が薄いんですよ。

 それでも読んだと仮定するならば、ホルバインが選ぶのはきっと、一番最初にアグリッパの著した『女性の高貴さと卓越性について(1529年)』だと思うんですね。『痴愚神礼讃』をモデルにしたんじゃないかというくらい、似ていると僕は思いますし、そこで説かれる主題は学術や宗教に対する懐疑論です。これが、三部作の結論とも呼ぶべき『学問の虚しさについて(1531年)』で述べられます。第二部で書かれる、光学、幾何、暗号術は、トリテミウスなどの先達がいますし、アグリッパの議題からすればおまけだろうと思うんです。
 こう考えると、ホルバインは光学に関する知識を別な人物から仕入れたんだと、僕は思っちゃうんですよね。

 あっ、また質問してしまいました。

お礼日時:2009/08/17 18:26

ご無沙汰しております。

暑い毎日ですね。
象徴の死についての情報をありがとうございました。
蛆虫の話から、錬金術方面のお返事をいただき、じつはちょっと困惑を覚えました。

そんな困惑顔にて、雑事に追われて何一つ考えをまとめないままですが、
二つの潮流が交錯するルネサンスについて考えてみようかと思います。
数日にわけて書き溜め、多少内容のあることが書けるとよいのですが
小さな家人はわたしがパソコンに向かうのが大嫌いですからね。。。

ひとつは、ヘルメス主義がネオプラトニスムの要素としてキリスト教へ流れ込むルネサンス。
フィッチーノやコルネリウス・アグリッパには、そうした要素が信仰に収束しているものと見えますが、
パラケルススなど、キリスト教のバイアスのもとにヘルメス哲学が再抽出されたようであり、
ヤーコブ・ベーメとなれば、こうした人物が形成される環境のほうが重要事だと思われます。

ルネサンスの深奥イタリア、メディチ家のプラトン・アカデミーの間近では、ユダヤ人によって裕福な支援のもとにカバラが探求されています。
ルネサンスの自然哲学というのは、東方ギリシャとユダヤの焼き直しをキリスト教に混ぜ込んだアクロバティックな捏造でしょう。
腐食しない遷移金属、今の言葉でエナンチオマー純度が高い物質であり、触媒作用に富む金属、
この謎に、魂の浄化と肉の不滅を重ね合わせていくのですよね。
人々の気持ちにこの飛躍的象徴作用がはたらくのは、魔術のブーム、日常的な死と不安、キリスト教会の蓄財などの事情が交錯した為でしょう。

もうひとつはメメント・モリの精神と美徳の潮流なんですが、
とりわけ死と永遠を備える静物画と、ダンス・マカーブルのことを思うわけです。
これらはやがて知識層・裕福層に起こった何かの曲がり角を召喚するようで、
(いっしょくたには語れない、表象の問題がありますが)
かりそめに過ぎ去るものすなわち生を永遠に描きとめるという矛盾に敏感であった前近代の人々は、
髑髏のように不滅のものと絵画の性質との親和性を知っていたようであり、
不滅なるものと価値あるものをキリスト教的美徳をもって考えるのではないでしょうか。

よく知られているように、百年戦争とペスト蔓延のさなかにいたニコラ・フラメルの、
サン=ジノサン墓地に寄進したフレスコのモチーフが、ダンス・マカーブルですが、
ここにただよう「音楽」は、かりそめのもの、しかし永遠のもの、価値あるもの、神聖なものであり、
これはヘルメス思想を読むものではなく、敬虔なメメント・モリであるはずです。
でもルネサンスを経て、絵画が、暗示によって画布の上にミクロコスモスとマクロコスモスを繋ぐようになると、
絵画は、能弁と眠りの使い手ヘルメスの手法をもって、調和とバランスの技芸となり、
このアンテルメディエールの存在に忠実な画家達であれば、魔術的な収拾を付けることを引き受けざるを得なくなるのだと思います。
画布には、魂の浄化と肉の不滅が、そのまま叶えられるということを意識しはじめたように思うのです。

ご質問はいつも至急解決を望むマークなので、
これらの 要ショートカット の一段深い場所に向かって、何か言えることがあるかと考えると寡黙になりますが、
そういう場所は、判断ではなくて、風がすーっと通るのを待つ場所なんですよね。

痛快で博識だが飛翔しないバルトルシャイティスを書棚から引っ張りだしました。
ご記憶ですか? ホルバイン「大使たち」を論じてさかんにアグリッパを援用していますね。
私見ながら、「大使たち」はデューラーの「メランコリア」と、神秘と光学についてよい照応を見せてくれるように思います。
(少し前に貼ってありましたね。そう、もしかすると永遠に閉じられそうにない質問の場でした)

おまけにカリダッド病院にかかるヴァルデス・レアルをつけます。

参考URL:http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/v/valdes/2 …
「ホルバインの『墓の中の死せるキリスト(D」の回答画像13
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この回答へのお礼

 ふたつ、お話をいただきましたね。
 ひとつはルネサンスの自然観、もうひとつは美徳の精神について、ということでしょうか。前者は、どうでしょうね。いちおうカテゴリーを意識して、別に似たような質問を挙げています。薬学についてでしたらご専門ではないかと思いますので、よろしければお付き合いください。

 ・http://okwave.jp/qa5167662.html

 さて、後者ですね。バルトルシャイティスの奇想は面白いですけど、どうかなぁ。
 万華鏡のようなものですか。ところで、アグリッパという人物のイメージを魔術に固定したのは、間違いなくF.A.イェーツでしょうね。それくらい、「記憶術」にはインパクトがあったということでしょうか。光学についても、ずいぶん話題になった時期がありました。アル・キンディの「光線について(De radiis)」は、中世世界で果たして知られていたかどうか。
 けど、アグリッパの醍醐味は女性論じゃないのかなと思います。
 若い頃には魔術に感化されたようですが、エラスムスやラブレーが語られる文脈でアグリッパが扱われることは稀ですよね。ツァンベリの描くアグリッパ像がもっと定着すれば、ラディカルに高貴さを聖母子に見た、古い魔術師の姿が浮かび上がってくるでしょう。そういうののほうが、amaguappaさんらしい感じがするけど。

>ご質問はいつも至急解決を望むマークなので

 至急とされるべき理由のひとつに、四週間で質問は消えるというシステム上の制約があります。ある種の質問を立てるとき、その間にひとつだけ回答が寄せられればそれで良い、そう思って投稿する内容のものがあります。
 マークの意味は、それだけのことです。

お礼日時:2009/08/17 11:39

ヤダー、ri_rong様ったら~。


あのパリ市内も運転へっちゃらとは、ツワモノですこと(わたくしは兎の如く小心者)。
ラパンが美味しいビストロがあったら見つけておいてくださいませね。
くれぐれも飲酒運転にはお気を付けあそばせ。

>シャルトルのはカテドラルって呼ばれるように、むかしは市場だったんですよ。人の集まるところ。古い聖所の跡地に、12世紀になって今の建物が築かれました。北側に地下へ下りる入口があって、聖母像が祀られている。

新しい宗教が旧い宗教を駆逐するとき、何故わざわざ旧い建物の跡地やリノベするのでしょうね。
記憶を重層的に積層…ではなく、刷新したから今から仰ぎなさい、ということ、もしくは神々の合体とか。
やはり聖なる場所というのは霊感等を感じるのかもしれませんね。

>シャルトルのは北塔のほうがはるかに高い。正面から見ると、ちょっと変な感じです。

はい、どちらか片方の塔を後に再建したような?
あの高低差も様式も、わざとバランスを崩したのではないのでしょうに。
正面からだと変てこりんでも、場所を移動して別アングルに視点を移すと違和感無かったりして。
結局人間の眼の視点と視線次第とも言えるでしょうか?
わざわざ「調和をもたせようと」意図して自ずと視線を南北の塔に移すのかもしれません。

例のあの絵って、あのタイトルが無くても「死せる横たわったその人がキリスト」と想起してしまうんでしょうかね。
何故なんでしょう。う~ん。←すごろくの振り出しに戻る

フライング・ダッチマンならぬフライング・パットレスでしたっけ、写真で観たことあるのですが、シャルトルのそれはとても美しいと思いました。 あれは機能美も兼ねているのでしょうか?
そうそう、新宿の新都庁舎は極めてゴシック風味にですよね!

あとですね、ルネサンス期の宗教画とそれ以前とでは「描かれる大きさ」の約束事が異なりますよね。
中央のマリアやキリストが主題だからそれをメインに描いていたのが、いつしか遠近法的な描き方をするようになっていって。
ドン・キホーテのあらすじにおける「対人関係」の展開、そしてこの「遠近法的見方」というのも中世的な発明なのでしょうか。
欧米ってアシンメトリな建物って感じじゃあないですよね。
そう思うと日本の文化ってユニークで面白いと思えてきます。
わざとバランスを崩して生けたり、曜変天目のような規格外の美を愛でたり織部のようにひび欠けた茶碗を好んだりして。
そうそう、シャルトルの塔の高低差はのちに何のインスピレーションを産まなかったのでしょうか?

>西日がステンドグラス越しに射し込み、床に刻まれた大理石の巨大な迷路に淡いブルーの影を落とすと、なんだかまるで自分が深い海の底にいるような感じです。僕の人生なんて、静かな水族館の片隅で、ゆらゆらと泳いでいるシーラカンスみたいなもんですか。

う~ん、映画『グランブルー』の白い壁に青い波が揺れる、あれを想い出しました。
確かモデルのジャック・マイヨールは後年、海においてでなく地上で自殺してしまったと思います。
人生は映画のように美化できず、時に映画以上に激動の波に晒されるというの?

シーラカンスはね、何たって古代から生き残ってきた稀有な深海魚ですから拝み倒したくなります。
万が一生きたまま捕獲できたとしても、水族館に持ち込み飼育するのが至難の業でしょう。
ああ、でもいいなあ、釣るか銛で射って、何枚もペタペタと魚拓をとってみたいなあ。 化石でもイイ。 親子共々欲しいです。

で、さすがに忍従し難い投稿を見かけた際は「神よ!!」と指摘して下さったら、もうもう、それで御の字です^^はい。
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなってしまいました。すいません。ところで、

 東京都庁舎はゴシック風味ですか。
 これは意外なご感想です。して、なぜそう思われるのかを教えてほしいと思いました。ヨーロッパ風って言われる、古典時代を模した左右対称の建物群。それはたぶん、近代の幻想だと思います。ベネチアから始まって、地球の裏側にあるワシントンのキャピタルに至るまで、パッラーディオの新古典主義思想は行き渡っていますが、その近代の風潮こそが評価されるのでしょう。
 日本に限らず、ロマネスクから初期ゴシックまで、塔は左右で違う意匠を施されるものだと思います。カテドラルは西向きに建てられますから、北と南に塔がある。北側の塔は高く、南側の塔には天使(日時計になっている)が置かれました。市場は明るい南側の入口前に界隈を持っていて、見た目にはあまり美しくない。だからかどうか、カテドラルが描かれるときは北西から見た構図が一番多いと思います。
 西側はふだん使われない入口で、王様か高貴な身分の方のために閉じられています。で、そういう方がやって来られるまでは、整地もされないでほうりっ放しというのが多かったと思います。シャルトルも、西側の丘が崩されて庭園が作られたのは18世紀に入ってからです。

 それまでは、資材となる石が積まれていました。

お礼日時:2009/08/17 11:40

では、お言葉に甘えまして、遠慮なく投稿させて頂きます。


(ついでに前回答一字訂正:×シュミ ○シミュ)

>ネーデルランド絵画と言われると、僕はただちにシャルトルのステンドグラスが頭に浮かびます。

え! 何十回とは凄い。
わたくしなど3回、しかも曇ってばかり。行いが悪いのです?
サントシャペル@シテ島のほうがステンドグラスに関しては何故か印象に残っております。
こちらの外観は何度訪れても工事中だった気がするような(笑)。
極めてこじんまりとした建物ながら、光と影のコントラスト、特にブルーが鮮やかで、壁端の椅子に座って口あんぐりしています。

あれは…宗教的建築物だからその陰影を荘厳な内に楽しめるのでしょうか。
ああ、でも晴れていたらシャルトルはその比ではないのでしょうね。
シャルトルはだから建物内部や外観ばかりが記憶に残っております。

ゴシックって、サグラダファミリアほどに有機的で人間味は感じないけれど(でも奇怪)、どこか人間臭くて緻密な精密機械に映ります。 
神との場なのにね、それはわたくしが信者ではないから?
ローマ建築、ロマネスク建築に無くてゴシック建築にあるものといったらキリスト教の何なのでしょう。う~ん。う~ん。
…やはりステンドグラスと一連の装飾群が真っ先に浮かびます。
構造上でも何か特異点があったのでしょうけれども。梁とか。

わたくしが一番馴染みがあるのはアヴィニョンの教皇庁跡やミラノのドウォーモなのですが、あれもゴシックなのかと思うと、本当にゴシックも色々だなあと思います。
ri_rong様の「わからない」と飛び越して、わたくしにはむしろ彫刻一体一体を乗せた、何か巨艦として大空に飛び立とうとしているかのように思えます。 スターウオーズのような。
そうすると…不思議と仏教のそれは巨大仏を納めるための伽藍建築しか想起しないのです。
キリスト像とは異なり仏像が巨大化していったというのは、こちらはまるでガンダムのモビルスーツのよう?
そうそう、カルカッソンヌの城塞都市、あれって絶対ドラクエの舞台ですよね(確信!)

…あまりにらくがき帳なってきたので、真面目に一つ。
ri_rong様のイメージするところの例の「天窓から一筋の光が…」という建物、そこはどちらなのでしょうか。
わたくしはね、パリのパンテオン。
フーコの振り子が揺れているところ。
本当はローマのそれのほうが古代の神々への意識が重層的に積み重ねられているように感じて味わい深いのですけれど。

さてと、今から「海のエジプト展」へ行ってまいります♪
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この回答へのお礼

>何十回とは凄い。

 そうかなぁ。パリ市内から言えば環状道路をオルリー空港へ南下し、アキテーヌ線を30分ほど走ると着いてしまうとても近い町です。「ちょっと行って来るよ」って感じでしょうか。観光ガイドらは10号線を古城巡りのためにオルレアンへ向かいますが、途中で分岐して11号線を下ります。起伏のある道路で、おまけにうねうねと続きますからあまりスピードは出せない。そのまま高速で行くよりも、ひとつ手前のゲ・ド・ロンルワで降りて、平行して走る県道をいったほうが市内へ入りやすいでしょう。

 東京でいえば、箱根へ行くような感覚です(温泉はないけど)。進行方向にはカテドラルがぼんやり見えていて、まわりには一面の小麦畑が波のように起伏に沿って続いています。所々に森があり、民家はあまりない。
 多いときは、日に市内と三往復くらいしたこともある。ジビエのうまい店があり、前の晩の残りを昼に安く出しているので、ランチを取ってワインを飲みながらぼんやりカテドラルを眺める。そんな感じです。

 シャルトルのはカテドラルって呼ばれるように、むかしは市場だったんですよ。人の集まるところ。古い聖所の跡地に、12世紀になって今の建物が築かれました。北側に地下へ下りる入口があって、聖母像が祀られている。
 パリの聖堂は双塔ですが、南北対称ですよね。
 シャルトルのは北塔のほうがはるかに高い。正面から見ると、ちょっと変な感じです。

>…あまりにらくがき帳なってきたので

 そのほうが良いのでは? 西日がステンドグラス越しに射し込み、床に刻まれた大理石の巨大な迷路に淡いブルーの影を落とすと、なんだかまるで自分が深い海の底にいるような感じです。僕の人生なんて、静かな水族館の片隅で、ゆらゆらと泳いでいるシーラカンスみたいなもんですか。

お礼日時:2009/08/10 10:16

ri_rong様、ご無沙汰しております。


補足を拝見させていただきました。ありがとうございます。
「実は人間の一生なんて、断片の寄り集まりなのではないか。そんな気がしてくるものです。」というあたり、いかにもri_rong様らしいご感想だなあ、と思わず微笑んでしまいました。
ちょっと、刹那的かもね。
あのラストを突き付けられたら、ああなるほど、とこちらも思ってしまうにせよ。
あなた、母性本能をくすぐるのはフェアではありません♪

それに、新大陸を発見したコロンブスにせよ、美しい花火にせよ、発見する前や花火を見るまで「だけ」ではなく、「発見した時の楽しみ」「花火を見終わった後の満足感や余韻」も違う幸福感があるはずで、コロンブスはそれを誰よりも見知っていたからこそチャレンジャーになり得たのではないでしょうか。

そしてたった一冊の聖書とホルバインの『墓の中の死せるキリスト』が繋がるとおっしゃるのですね。
であれば、「見る人にとって、信ずる人にとっては信仰を失いかねないものが聖書そのものにもあり得る」とみなせると言えるものなのでしょうか。
つまり強烈なまでにストイックな点、という意味においてです。

あらためて『白痴』を読んで、ふとクロソウスキーの「シュミラクル」を想起致しました。
ムイシュキン公爵と彼に係る人物が各々別像(真の像?)を浮かび上がらせているかのようでもあり。
また、先の回答の冗長な夢の部分からは、徹底的に自己抑制された何かを感じずにはいられませんでした。
この尋常ならざる感覚がどこから発露するのかは良くわからないのですが。

この本自体、読む人を痛烈に「試す」性質があると思います。
特に自らにとって真の信仰とは何か、と個人的に考えさせられました。
また、シベリア帰りの末に見出した「死せるキリスト」に抱くものは、ニーチェの「神は死んだ」といかなる差異があるのだろう、と今思っております。似て非なるものでしょうか。
ドストエフスキーの他著作から鑑みても、決してニーチェのように「全否定」はしていないのではないでしょうか。
極めて態度が曖昧なのです。どちらともとれます。
変化自在、とまで言いきれるかどうかは定かではありませんが。
彼自体がどっちつかずのエラスムスのようでもあり、
またモアのユートピアを目指したところが恐らくあったのでしょう。

個人的にはニーチェ路線に傾倒しつつありましたが、ドストエフスキーのような極めて優柔不断な、しかし神の存在を完全否定していない姿勢は今のわたくしには心地良く感じられます。
そしてそれを経て、彼は神への信仰に傾いていったのではないでしょうか。


そしてまた、ri_rong様という存在が、何よりわたくし自身の思いあがった高慢さや思い込みといったものをはっきりと認識させて下さったようにも思われるのです。
本当にこの点につき大変感謝しております。
わたくしは現在美術、建築関係に絡む末端の仕事に家事の傍ら細々と行い始めてまだ一年にも満たない無教養な主婦でして、読解、文筆、深い思索といった行為に苦手意識があり、その克服をも兼ねてgooで回答させていただいてきました。
で、今さらながら全てのジャンルにおいて、何も新規質問にあらたに回答する気が失せてしまいました。
それどころかむしろ教えを乞う身なのだなあ、と。
でも、誰でもいいわけじゃあない。

それにちょっと、ボスあたりから16~17世紀末のネーデルランド絵画の持つ独特の罠にかかってしまっております。
何なの、これ?といった今までにない感じ。
まだ自分の中で何一つ消化しきれておりません。
理解し辛かったから逆にあまり興味が無かったのかも。
で、思うのですよ、あの一連の流れの中で脈々と受け継がれているのがあり得るとしたら一体何なのだろうか、と。
何もなかったりして?

ですから、締め切るのはもう少し待っていただけないでしょうか。
偽の愚者なるモリアとはおよそかけ離れた真の愚者からのお願いです。
代わりに痴女という点はモリアに倣って認めますから(笑)
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この回答へのお礼

>16~17世紀末のネーデルランド絵画の持つ独特の罠

 何となくわからないでもない気がしますが、自分流に解釈するなら、ゴシックって何だろう? という問いなのかなと思ったりします。シャルトルの聖堂ってご存知でしょうか。もう、ライフワークのようになってますが、数十回と見に行きました。それなりに調べ上げたつもりですが、なーんもわからないままです。16世紀の初頭にエラール(Erard de la Marck)という司教がリエージュへ転地になり、司教区を統治します。
 ネーデルランド絵画と言われると、僕はただちにシャルトルのステンドグラスが頭に浮かびます。

 大丈夫ですよ。質問はちゃんと開けておきますから、思いついたときに何なりとご投稿ください。 

お礼日時:2009/08/05 17:45

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