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幕末開港時、列強による植民地化の危機を乗り越え
日本経済が産業革命を達成し急成長した要因を教えてください

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井伊直弼」に関するQ&A: 井伊直弼について

A 回答 (6件)

#1です。


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4550959.html

の#4を参考にして下さい。
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おはようございます、tomoya05さん。



ほい
【井伊直弼って悪く言われていますが、もしあそこで日米修好通商条約を結んでいなか...】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …


●日本経済が産業革命を達成し急成長した要因

鎖国をといて港を開くと…
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090219/1235034 …

貿易が盛んになる。→市場が広がる。

技術の流入ー道路・下水道・あかり

【技 術 ノ ー ト】
http://www.kanto-geo.or.jp/tokyo_note/No37.pdf
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回答1


 開発独裁が可能な政治環境があったから・・・

回答2
 原資となりえる予算を苛烈な地租の収奪で確保できたから

回答3
 欧州から遠かったから

回答4
 農業労働人口の飽和状態があったから

回答5
 技術の盗用が違法ではない国際状況だったから

回答6
 歪んだ洋務運動のおかげで大量生産大量消費社会が制度的に強制されたから

回答7
 明治維新の元勲が収賄政治で特定企業を擁護して、大規模資本が育ったからw

回答8
 実は大成長なんかしてない。(産業革命というほどの生産力逓増は起きていない)

回答9
 機械化が進んだという明治時代は産業革命(マニフェクチャー)ではない

回答10
 明治時代の経済成長は、文化・慣習の大変革による一時的な経済好況でしかなく、一過性のもの。それを維持するために植民地が必要になっただけ

こんなところでしょうねぇ・・個人的には、9,10の視点が強いですねぇ・・日本史しか知らない人は、諸外国の産業革命の比較論しないで「産業革命」と言いますけど、私からすれば、ロシア・日本の近代の産業革命は、西欧諸国の産業革命とは別物。

いうなれば、単なる『開発独裁』
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/07/16 14:07

封建的なところもあるけど日本にはリーダーが居たから。



へ?誰かって?
征夷大将軍や藩主たちだぉ。
西郷、大久保、木戸他多数の明治の元勲ってのはリーダーじゃないぉ。
彼らに才能を振るわせた主君が本当のリーダーなんだぉ。

最後にはやはり主君の許可が出なければ日本人は動かない。
西洋は主君の命令でも背いて良い習慣があったから西洋と日本とでは事情は異なる。
西洋は主君をギロチンに等排除したが日本はしなかった事も西洋とは事情が異なる。


リーダーが優柔不断と決め付けて挿げ替えようとするのは暗愚なことかもしれないけどね。
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1.儒教や武士道が、ひろく庶民に教育され、浸透していた。
2.識字率は、18世紀から現代にいたるまで、世界最高だった。
3.大量の移民がなく、異文化を受容できる温厚な民族性だった。
 
http://q.hatena.ne.jp/1247450063#a934850
 この国を見よ ~ 幕末を見た外国人 ~
 
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すぐに回答を、と言うことですから、この質問は宿題の答えを教えて欲しいか、それともレポートの提出の答えを教えてほしいと言うことでしょう。

この欄ではそれをやっては行けないことになっています。そこで、答えのヒントだけを教えておきましょう。

それは、日本が江戸時代まで封建的だったからです。封建的に対する言葉はもちろん中央集権的です。そこで、この質問の答を探し出すために、質問者さんは封建制度と中央集権制度の違いを徹底的に考えて下さい。

2千年以上前の時代はいざ知らず、ここ2千年の世界史の中で封建制度を政治の安定期に採用していた地域は西欧の中世と江戸時代以前の日本だけです。その他の全ての地域では中央集権制度を採用していました。そしてどういうわけか、この西欧と日本だけが近代で産業革命をスムーズに達成出来たのです。ところが中央集権制度を採用していた全ての国では、産業革命がスムーズに行きませんでした。したがって封建制度と中央集権制度の違いを徹底的に論じれば、封建制度下では産業革命が何故うまくなし得たかが判るはずですね。さあ、ご自分で考えて下さい。

この回答への補足

封建制と産業革命が繋がりませんもう少し教えてください

補足日時:2009/07/16 14:10
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Q江戸幕府は封建制?

日本の江戸幕府は歴史用語の上では封建制なのでしょうか?それとも絶対王政なのでしょうか?
江戸時代は確かに各大名に領地が与えられていて、行政や司法が委ねられていましたが、大名が己の領地に対し完全に主権を有しているわけではなく、幕府によって領地替えや取り潰しされる事がありました。
また将軍と大名は契約によって主従関係があるのではなく、完全に支配されています。
しかし大名は将軍が派遣した官僚ではありません。
こういう場合はどちらに分類されるのでしょうか?
西洋の歴史用語を日本の体制に完全に当てはめる事も難しいと思いますが。

また西洋で日本の江戸時代のような体制になっていた時期もあるのでしょうか?

Aベストアンサー

 お教えするような書き方にどうしてもなってしまいますので、文章の生意気な部分はどうかお許しください。


 江戸時代こそが、典型的な封建制です。
 確かに西欧中世の封建制とは若干異なりますが、江戸時代が封建制でなかったら歴史学の根幹が揺らぎます。

>大名が己の領地に対し完全に主権を有しているわけではなく

 いえ、有していましたよ。
 そうでなければ、独自の軍隊などもてるはずがありません(家臣団=軍団)。
 主権があったればこそ、「薩英戦争」とか「薩長同盟」とかができたわけです。
 基本的に「国家主権」というのは、行政、立法、司法及び軍事がそろっていることを言いますし、他の国から内政干渉されない権利も含みます。
 その点、江戸時代の「藩」は、それらを十分以上に持っていました。

>幕府によって領地替えや取り潰しされる事が

 これは、主権が有るとか無いとかいう次元とは別で、主権を持つ大名を統括する主君(将軍家)の、臣下へのコントロール方法が強引だったというだけです。
 西欧でも、封建主義の時代に、地方領主をローマカトリック教皇が「破門する」という手段で、実質上無力化することもありました(自分で国教会を作っちゃったイギリスみたいなとこには効かなかったみたいですが。)。
 西欧では、主従関係を結ぶ対象が「世俗」と「宗教」とで分離していましたので、「世俗権力しかない日本」とは異なるのは仕方のないことです(日本の場合は、「朝廷」という別の要素もありますが、ここでは触れません。)。 

 お教えするような書き方にどうしてもなってしまいますので、文章の生意気な部分はどうかお許しください。


 江戸時代こそが、典型的な封建制です。
 確かに西欧中世の封建制とは若干異なりますが、江戸時代が封建制でなかったら歴史学の根幹が揺らぎます。

>大名が己の領地に対し完全に主権を有しているわけではなく

 いえ、有していましたよ。
 そうでなければ、独自の軍隊などもてるはずがありません(家臣団=軍団)。
 主権があったればこそ、「薩英戦争」とか「薩長同盟」とかができた...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む


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