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発達心理学の勉強をしているところです。

カール・ユングは、
人生後半の「内面化」のプロセスを衰退としてではなく、成長・発達として捉え、
「成人以降も人間は発達し続ける」との生涯発達論を唱えたと書物にありますが、
「人生の正午」の論文では、人生を太陽のモデルに例えて説明しています。
40歳前後の「人生の正午」を境に、人生は前半と後半に分かれるというものです。

これを直観的に解釈すれば、
「人生の正午」を過ぎたあとの人生は、一方的な下降の人生であり、
肉体的・精神的に衰退するばかりで、やがて日没(=死)を迎えるととれます。
「人は生まれてから死ぬまで、生涯を通じ発達していく存在である」という
生涯発達の概念とはまった相容れないものであるように思えます。

実際ネットで文章を拾ってみると、ユングの太陽のモデルを
人生後半=斜陽という意味の例えとして用いているものが見受けられます。

もしもユングが中年期以降の人生を本当にポジティブにとらえていれば、
午後は沈んでいくばかりの太陽のモデルは
まったく適切ではないように思うのですが、いかがでしょうか?

論文そのものをまだ読んだことはないのですが、
沈んだ太陽がまた翌日東から昇ってくるとか、
太陽が沈めば代わりに星や月が輝くというようなことも書いてあるのでしょうか?

A 回答 (3件)

どうも私が質問者様の意図を汲み取れていないようですね。


下降(衰退)が発達に含まれることを理解されていて、なお疑問を持たれる理由がよくわかりません。
「寂しい感じ」「ネガティブ」といった価値的な概念を持ち込むことで、混乱されているのでしょうか。
また「その上で」ではなく、まさに「成人以降も人間は発達し続ける」ということを分かりやすく表わすためだけに、モデルがあるのですよ。

前の回答にも少し書いたことですが、一昔前の発達観は「成人をもって完成する」というものが一般的でした。
たとえばユングに若干先行する同時代人であるフロイトのモデルには、生涯発達的な発想はなさそうです。
これを太陽でたとえるなら、南中したあとは沈まずにいるかのごとく、その後の変化(下降)という発想自体が希薄だったのです。
発達観が現代の生涯発達的な観点に移り変わった、その契機がユングの言説によるものかまでは知りませんが、そういった考え方に対して「いやいやその後もあるんだよ」ということで提案したのが、太陽のモデルなのでしょう。
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この回答へのお礼

お付き合いいただきどうもありがとうございます。絵や図の与える視覚的イメージとは直観的かつシンプルで強烈なものです。言葉による説明よりも説得力があるので、適切なものが用いられるべきだと思います。No.2お礼文の内容を言い換えますと、「『太陽の運行』の持つ一般的特徴(上昇・下降)と、ユングの提唱する「成人以降も人間は発達し続ける」という発達観とは、どのような点で共通点があるのか?」ということです。もし共通点がなければ、太陽のモデルで説明する理由がありません。No.1お礼文に書いたことと関連しますが、上昇→下降の傾向を示すのは全般的な身体機能・身体能力などであり、「(ユングのいう)発達」そのものではないはずです(ところで、身体的要素のピークは40歳ではないかもしれませんが)。つまり、太陽のモデルは、「成人以降も人間は発達し続ける」という発達観を適切に説明するものではなく、「ピークを過ぎれば体が衰え、やがて死ぬ」という身体的変化を太陽のイメージに例えているだけだと思うのです。それどころか、精神的要素の変遷にもある一点のピークがあり、それを過ぎると「下降」するものだという誤解さえ与えかねないものだと思います。個人的もくろみとしては、「『下降』のイメージ」をどうしても打ち消したいのです(笑)。

お礼日時:2009/07/28 12:13

私はユングについて表面的なことしか知りませんし、またその論文も読んだことがありません。


ただ質問者さんが「発達」という言葉について典型的な誤解をされているんだろうなという気がします(似たような例としては、進化と退化を対義語として捉えるものがあります)。

まず発達とは能力の向上のみを指す言葉ではありません。
「加齢に伴う能力や関係の変化」という程度の中立的な意味なので、機能の低下も発達という言葉の範疇です。
ユングが指摘しているのは、「成人したらそこで完成して止まるのではなく、それ以降も人は変化し続ける」ということではないでしょうか。

また加齢によってある能力が低下しても、他の能力が向上するということは十分にありえます。
正午以降を「一方的な下降」と表現されているのはおそらく太陽の位置、もしくは明るさを指標に考えてのことだと思います。
その場合には、確かに正午以降は徐々下降にするだけですが、夕焼けの美しさは日没前にしかみることができません。
また今の時期ですと、お昼頃よりも日の落ちかけた夕方頃の方が涼しくて過ごしやすいでしょう。
同様に人の一生においても、複数の指標を考慮することによって、また違ったポジティブな面があらわれるのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。「成人以降も人間は発達し続ける」のがユングの発達論だというのは質問文に書いたつもりです。その上で、太陽のモデルが何を表わしているのか?ということに疑問を持ったのです。モデルが与える直観的イメージとしては、40歳前後の「人生の正午」が頂点であとは下降するのみという、何となく寂しい感じのするものであり、一体この表現のどこにメリットがあるのかなぁと思うのです。

お礼日時:2009/07/26 23:23

とりあえず、ネットは危険なので避けてください。


間違った情報が氾濫しています。

哲学ではないのですから、星だとかそういうことはないです。
ユングのモデルは太陽にあります。

さて、太陽のモデルの適切性については様々な批判もあります。
質問者様が、適切ではないと感じたのであれば、それで良いです。
しかし、それこそがユングが異を唱えた概念です。
すなわち、人生の後半、太陽が沈むまでの過程を、否定的に捉えないこと。
太陽が沈む=ネガティブ ではないことを、ユングは唱えたのです。

ネットではなく、文献を探してください。
できるなら論文を読むとよいのですが、きちんとした文献だけでも学ぶことはできます。
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この回答へのお礼

なるほど、太陽が沈むまでの過程をポジティブにとらえればいいのですね?
当然のように、太陽が沈むことをマイナスにとらえていた自分に気づきました。
というのも、「上昇」に対する「下降」なものですから・・・、
そういう見方は違うというのが、生涯発達の考え方なのかもしれません。

逆立ちすれば午後の太陽は昇っていくわけですが・・・そういうのは別として、
人生の後半に必ず下降していくものは、身体的要素ではないかと思います。
そして、最後に死がおとずれるというのも不可避の事実です。
そのあたりを太陽の運行になぞらえてあるのかもしれないと思いました。

人は、精神的には年を重ねるにつれ果てしなく成熟できる可能性があります。
例えばエリクソンの発達段階論の表のように一方的に上昇していくもののほうが、
図表が与える直観的印象としては、生涯発達の考え方に近いかなと思います。

ちなみに、私は一日の中で「夕方」が一番落ち着いた雰囲気で好きです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/24 14:28

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