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このURL( http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Schienenzeppelin_Steilrampe.jpg )をご覧下さい。見た瞬間、新幹線の先頭車じゃないかと思うくらい、よく似ていると思いました。最高速度も時速230キロということで、初期モデル新幹線(0系)と似てますよね。日本の国鉄が、このツーネンツェッペリンから基本設計を拝借したってことは無いのでしょうか?

「シーネンツェッペリン(ドイツの高速列車)」の質問画像

A 回答 (3件)

 明治~戦後の鉄道技術の歴史を少々かじったことがあります。

その経験からいうと、

・技術者が写真を見たのはほぼ確実(特に当時40歳かそれ以上の人)
・この種の流線型デザインは1930年代から1940年代に各国で流行、『新幹線が
 真似た?』 疑惑のある列車はいくつか存在するので、『ツーネンツェッペ
 リン』を特段意識したことは考えられない
・新幹線の各種技術は、1930~50年代に欧米で開発され、その後日本に導入さ
 れ、実績を積んだ技術を使用しているので、外見はともかく、新幹線の中身
 は欧米の電車技術に類似しているところがある

 というのが適当なところでしょうか。

 明治時代から昭和30年代くらいの技術者は、欧米の技術を日本に導入する事を主な任務としていたので、情報の伝達速度は今より速かったといっても過言でなかったでしょう。昭和30年以降は、それ以前に導入した海外技術の国内での改良に力点が置かれていたので、新幹線製作の時期には少し情勢が変わっていたかもしれませんが、それ以前、昭和20年代くらいまでは、技術畑では「ツーネンウェッピリンを知らないって!、お前勉強不足だろう(参考書の多くは海外直輸入)、本気で高速列車を作る気あるのか(怒)」と先輩にどやされるくらいの環境はあったと見て間違いないでしょう。

 とはいえ、この車両を実際に参考にしたかというと微妙なところ。やわらかみをもった丸い先頭形状というのは、未来志向の乗り物として1930年代から1950年代にかけて鉄道や自動車で多用されたので、ツーネンウェッピリンも新幹線もその流儀に従っただけ、と考えるのが適当かと考えられます。アメリカにもアメリカ型鉄道ファンの間新幹線に類似していると話題になる車両があって、見る角度によってはツーネンウェッピリンよりも似ているように見えることもあり、200キロをだしたという伝説(実際は170キロ程度)もある車両なのですが(http://photoswest.org/cgi-bin/imager?00017408 この写真はあまり似ていませんが)、これもそういう車両の一つ、前述のような理由から存在を知る技術者は多かったものの、細かいところを参考にしたわけではないというのが実情でしょう。

 なお、新幹線が用いている動力伝達部分(モーターとギアを繋ぐ継ぎ手)はアメリカで1920年代末に開発された技術、台車はドイツで開発された技術の応用、電気設備(商用周波数での交流電化技術)は在来線の実績を踏まえていますが、在来線の交流電化技術は1950年代にフランスで実用化されたものを参考にしています。勿論、日本独自で付け足した部分も多いのですが、ベースとなる技術は欧米由来の物が多く、これが戦後の混乱期から僅か十数年で高速鉄道を実現する事ができた大きな要因となっています
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この回答へのお礼

 書いて頂いた”技術畑では「ツーネンツェッペリンを知らないって!、お前勉強不足だろう(参考書の多くは海外直輸入)、本気で高速列車を作る気あるのか(怒)」と先輩にどやされるくらいの環境はあった”、私もまさしくその通りじゃないかと思うのですよね。

 新幹線は純国産という取り扱われ方をされることが多いと思います。ただ実際には動力伝達、台車、電気設備、そして(違うかも知れないけど)流線型の外観が、それぞれ別の発祥地があるよう、あるのかもしれない。でも、この技術の統合能力はすごいと思います。

 技術をコピーしたという見方より、情報が十分に取れない環境下で、よくぞここまで自分のモノにして、そして今日の新幹線技術を作り、さらには海外へ輸出するだけの技術に構築した当時の国鉄エンジニアの能力の高さに頭が下がります。

 かつての半導体技術も、海外から持ってきた技術を吸収して、自分のモノにしていく世界がありましたが、高速鉄道の分野でも、実はあったんじゃないかと思います。高速鉄道、日本という枠を越えて、世界の技術が積まれているんですね!

お礼日時:2009/08/03 10:54

確かに、新幹線の0系にそっくりですね。


ただ、当時の科学的&技術的な見地からすると、新幹線に(が)似てもおかしくないと思います。

アメリカのスペースシャトルとロシアのブランがソックリなので、当時、アメリカのコピーだと疑われましたが、実際はコピーではなく、1980年代後半の最新の技術基準では、似たデザインになるのは当然だと結論付けられて言いますからね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9% …
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この回答へのお礼

 確かにロシアでも同じモノが飛んでいましたね。私も当時、びっくりしました。確かに行き着く先が同じだったというのは理解出来ます。ただツーネンウェッピリンが動いたのは1930年代、新幹線は1960年代なんですよ。ドイツから、日本へ情報が伝わるには十分な時間じゃないかと・・・・
 これをみた技術者(または方々の子供時代)がこれをみて、30年(実際にはもっと短いでしょうが)という時間を経て、何らかの影響を受けていてもおかしくは無いと思ったのです。

お礼日時:2009/08/03 06:33

シーネンツェッペリンは、添付画像からも解るように、レールの上を走る飛行機の発想ですね。



新幹線は、明らかに粘着運転ですから、基本設計からして全く違います。
この事は、「新幹線をつくった男 島秀雄(当時の技師長)物語」など、島秀雄氏の著書(一部は、鉄道ピクトリアル誌で転載)を読めば、解ります。

当時、210Km/h営業運転は未知の分野で、取分け高速運転に耐える台車の開発と車輪の踏面の形状を決めるのに、相当苦労されたようです。
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この回答へのお礼

 はい、おっしゃるとおりツーネンツェッペリンはプロペラから推力を得ていたので、基本設計は異なるのは理解出来ます。ただ鉄の塊が、時速200キロを超えるスピードで、大気中を移動していくということは似ているのではないかと思いました。空気抵抗を減らすために、同じ手法を使ったのではないかと、勝手に想像してみました。
 ご紹介頂いた本は読んだことがないので、夏休みに是非読んでみようと思います。私も、国内の技術者は、独自に設計を進めていたと信じております。
 ただツーネンウェッペリンの写真がこのように残っていることから、恐らく当時の日本にもこの写真が来ていただろうし、新幹線技術者も見ただろうし、(コピーしたとは思いませんが)この写真は頭の片隅にあった、無意識に影響を受けた、またはヒントの一つになったのではないかと・・・

お礼日時:2009/08/03 06:23

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