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子ども時代に心的外傷がある女性です。解離性人格障害に近い症状が過去ありました。今でも、ピアノを全く問題なく弾きながら、気が付くと頭の中ではまったく別なこと(気になっていることなど)をひたすら考えていることがあります。また、本を読んでいる時も、目で文字を追い、ページをくくりながら、内容は全く頭に入っておらず、別なことを思考している自分に気がつきます。これは問題でしょうか。それとも気にしすぎる必要はないでしょうか。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

解離性障害については、医師を通したことがお有りでしょうか。


これを性格の一環として捉え、自己を洗練させていこう、などとお考えなら
特に医師にかかる必要も無いとは思います。これを個性として捉える、等です。
しかし、もしこのご心配が深刻であれば、あくまでも念のため、
一度専門医を受診されることを一考されてみては如何かな、とも思います。

それで私は素人ですから、これが症状であるか否かという診断等はできませんが、
ご質問文を拝見した限りでは、ごく普通の誰にでもあることだと思います。

これは私には、解離性障害の問題というよりも、心の葛藤についての問題に思えるのです。
「解離性」という言葉を除けば、ごく軽度の強迫観念的な悩みそのものだと思います。
私自身これで苦しみましたし、同様の数多くの人と接した経験から、そう思うのです。
まぁ強迫観念などというと、神経症のように感じさせてしまうといけません。
決して神経症というのではなく、こんな心の葛藤の問題は、大なり小なり誰にでもあるものです。

ピアノ演奏そのものに大きな支障があるなら別ですが、
私も楽器を演奏しますが、頭で別なことを考えているということは、あります。
演奏者の知人も数多いですが、大体皆そんなことはあるようです。

禅で「無」といいます。端的には何も無い状態が「無」ですから、
平たく言葉にすれば、何も考えていない状態とも言えるでしょうが、
専門家は例えば「頭が勝手に考えている状態が無である」などと云います。
「自分」が考えているのではなく「頭が勝手に考えている」のだ、と。

そしてこれは、自我に凝り固まって身動きが取れなくなった経験の無い人ならば、
何のことだかさっぱり分からないはずだ、とも云います。

頭で自由に考えていることが、今の行動に大きく支障とならないならば、
それはそれで良いです。それは役に立っているはずです。
気になることは気にすればいいのです。
むしろ気になることを「気にしてはいけない」と作為し、
自分の意識を直接操ろうとすることの方が間違いです。

又、本を読んでいる時も、例えば飽きてきた時とか、他に心配事などある時は、
文字を目で追いながらも、頭では別なことをを考えてしまうことは、よくあります。

「本を読む時は、いつも完全に集中しなければいけない」という「かくあるべし」。
現実には常に実行することが不可能なのに、超合理主義的に、こうであろうとすること。
もしそうお考えなら、それはいけません。このお心が進み過ぎれば、強迫観念にもなります。

例えば完全に集中し切って、数時間で文庫本を完読したという経験をして以降、
「いつもあの時のようでなければいけない」というのは、それは無理なのですよ。
最高の経験をした以降、常にその時と同じ状態で固定しようとすれば、
それは元より不可能なことであります。何時までも成させず、苦しむことになってしまいます。
森田療法の良書や禅の本など読むと、しばしばそういったことが書かれてあります。

よって、まずは仰る通り、気にし過ぎる必要は全くないと思います。
それで、もし何かをお感じになったのなら、先の本などお読みいただくのも宜しいと思いますよ。
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この回答へのお礼

youchan37 さま

長く丁寧に解答いただきまして、ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。

こころの悩みを自分なりに分析して、あまりに苦しいので医師に助言を求めたことは過去ありますが、解離性障害ということで出かけたことはありません。

自分を振り返ると、一方で、完全に集中しきって仕事をしているということはありますので、結論としてはご助言いただいた通り、「こんな心の葛藤の問題は、大なり小なり誰にでもあるもの」と思い、あまり気にしないようにしようと思います。「気になることは気にすればいいのです。むしろ気になることを『気にしてはいけない』と作為し、自分の意識を直接操ろうとすることの方が間違いです。」と書いていただいたことは大変ありがたかったです。

読書の時のことは別にして、ピアノのことは原因は他にあると、もうずっと前から見当はついているのですが、こういうことを治してゆくには時間がかかるものですね。

すべて、からだやこころがなすことは、本人の意識とは関係なく、必要があってなすのでしょう。なので、そのままなすがままにして、ゆっくりそれについてゆこうかと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/09/24 16:18

私は専門家ではないので、詳しいことはいえませんが、精神的なことに関しては一般の人の意見もいいですが、専門の人の意見(医者)に相談したほうが良いと思います。


精神的分野に関しては、医者ですら分かりかねることや、医学会的に未解明の部分が多々あると聞きます。専門家が分からないことが素人に分かるはずがないと思います。 経験者の方の意見も参考にしつつ専門家知識をしっかりきくことが大切と思います。
一般の方が経験してたいしたことがないことでもあなたにとっては重要なことかもしれません。 ちなみに私は解離性障害と診断された一人です。 
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この回答へのお礼

suimin001 さま

ご回答ありがとうございました。

なかなか信頼のおける医師に出会えないということもあってここに質問させていただきました。ここ数日読んでいる本には、「解離性障害―『うしろに誰かいる』の精神病理」(柴山雅俊)、「解離性障害 多重人格の理解と治療」(岡野憲一郎)、「心的外傷を受けた子どもの治療 愛着を巡って」(ビヴァリー・ジェームス)があります。いろいろ示唆を受けました。今のところ大丈夫なのですが、将来一度専門家を訪ねてみることがあるかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/24 16:33

私自身、挙げられた症状ならばいくらでも味わっています。


仕事中でも、読書中でも、はたまた麻雀の最中でも。
もちろんライブのときも同じようなものでした。

現在はある種の能力として考えて、YOUTUBEなどでアニメを見ながら、楽器をイジって、気になるBGMとか面白いオープニングが聞こえるとしばらくそれにあわせたり・・・。

私はギターですが、これをやると自然に現在なっている音に調がずれていくんですね。
私はイ長調でギターをいじるのですが、変ホの曲が出てくると、勝手にシフトしています。手の感覚ではしっかりしふとしているのに、指板を目で見た瞬間、普段絶対抑えないところを抑えまくっているのに驚いて、できなくなってしまいます。

鍵盤や指板を見ていないときのほうがちゃんと弾けるというどこまでも奇妙な現象を面白がっています。
あと、私は、ギターですから、「スライドしまくっても痛くないし、弦がさびていても気にせずスライドでも何でもできるため」と称して、手袋を改造するなどの作業をしているのですが、針と糸を操っているときはほとんど「復讐日記」状態です。

ただ、同じことが頭の中を延々と支配し続けて気になって仕方が無い。また、絶対に行き着く先が悲しいものや不安しか残らないという場合、嫌なことがあった訳でもないのに、落ち込んでしまうわけですから、これは医者に相談せねばなりません。
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この回答へのお礼

peacementh さま

ご解答いただきましてありがとうございました。

ギターの事はよくわかりませんでしたが、やはり楽器をなさる方には、同様のことは起こるのですね。安心しました。私は先生に「指に感情が出過ぎる」と言われますが、感情ゆたかな演奏はでも、手放しで誉められるものではないようです。ピアノを続けて自分のこころの状態を観察してきたところがあります。いろいろ考えてしまいますが、いまのところ、「行き着く先が悲しいものや不安しか残らない」わけではないので大丈夫かなと思います。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/24 16:26

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