今日、すき焼きを食べていて、家族で問題になりました。
ニワトリのたまごの殻の色が白かったり、赤みがかったりしているのは、何が原因でそのような違いが出るのでしょうか。
ちなみに我が家では、「餌の色の違い」説と
「ニワトリの種類の違い」説の2通り出ています。
気になって仕方ありませんので、
どなたか答えか参考にできるサイトを教えてください。

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A 回答 (1件)

赤玉と白玉の違いは、ニワトリの種類によるようです。


卵についてのサイトをご紹介します。卵についての色々な情報もありますよ。

参考URL:http://www.ultra-k.com/tamago/
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ホームページの方も楽しく見ることができました。

お礼日時:2001/03/18 21:26

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伊藤博文が日本に焼肉?すき焼き?を伝えたって本当ですか?

それまで日本人は焼肉?すき焼き?を食べていなかったのですか?

伊藤博文って大正時代の人ですか?

初代総理大臣ですよね?

明治時代の人?

日本人は明治時代まで肉を食べていなかった?

牛は農作業に使ってただけで伊藤博文が日本で最初に牛を食べた人になる?

Aベストアンサー

ウィキペディアの「すき焼き」を読んでください。
コピペしました(笑)

★牛肉の供給
安政6年(1859年)の横浜が開港後、居留地の日本国外の人々から食肉文化が伝わってきた。日本に肉牛畜産の産業がなかったため、当初は中国大陸や朝鮮半島あるいはアメリカから食用牛を仕入れていた。しかし居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加し、のちに神戸の家畜商が横浜へ食用牛を搬送するようになった。このような背景の元、幕府は元治元年(1864年)居留地に指定されていた横浜市の海岸通に屠牛場の開設を認めた。

★牛鍋

ぶつ切り牛肉を使った牛鍋
屠場開設から2年遡った文久2年(1862年)に横浜入船町で居酒屋を営んでいた「伊勢熊(いせくま)」が1軒の店を2つに仕切り、片側を牛鍋屋として開業したのが最初の事例とされる。幕末期、開港場の横浜では牛肉の煮売り屋台があった。1867年江戸の芝で珍しい牛肉屋を開いていた「中川」も牛鍋屋を開業した。明治元年(1868年)、高橋音吉が「太田なわのれん」を創業し、当時主流の味噌煮込み風牛鍋を提供した。同年、横浜につづき東京の芝にも外国人向け屠牛場ができると牛鍋屋の流行は飛び火し、それ以降の牛食は文明開化の象徴となった。
食肉処理技術や冷蔵設備の未発達から、幕末から明治時代初期の牛肉は固くて獣臭さが目立ち、それらを緩和するために関東の牛鍋はぼたん鍋や紅葉鍋に類似した内容で、具材は牛肉の薄切り肉を使うことが定着しておらず、角切り肉を使う場合もあり、野菜はネギのみで味噌仕立ての味付けで煮る・炒め煮にする調理法が主流で、ネギを五分の長さに切ったことから、明治初期には具材のネギが「五分」と呼ばれたこともあった[12]。明治初期の「牛屋(ぎゅうや)」の牛鍋もこうした味噌鍋が主流であったが、肉質が上るにつれて関東の味付けは味噌から、醤油と砂糖などを調合したタレ(割下)が主流になっていった。
1870年(明治3年)、福澤諭吉は築地の牛馬会社の求めに応じて書いた牛肉や牛乳の摂取をすすめる宣伝文『肉食之説』で
古来我日本国は農業をつとめ、人の常食五穀を用い肉類を喰うこと稀にして、人身の栄養一方に偏り自から病弱の者多ければ、今より大に牧牛羊の法を開き、其肉を用い其乳汁を飮み滋養の欠を補うべき筈なれども、数千百年の久しき、一国の風俗を成し、肉食を穢たるものの如く云いなし、妄に之を嫌う者多し。畢竟人の天性を知らず人身の窮理を弁えざる無学文盲の空論なり。

— 福澤諭吉、『肉食之説』:旧字旧仮名 - 青空文庫

と表現していた。1871年(明治4年)に仮名垣魯文はこうした状況を『安愚楽鍋』で「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現していた。1877年(明治10年)の東京における牛鍋屋は550軒を超えるほどであった。
1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜の他に白滝や豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらを沢山の割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となった。

★すき焼き

すき焼きは関西で使用されていた言葉であり、1869年(明治2年)に神戸で牛肉すき焼き店「月下亭」が開店、牛肉を焼いてから砂糖・醤油で調味するものであり、関東大震災以降に割下を使用するすき焼きが広がっていった。
高度成長期の昭和30年代後半には、ブランド牛が高級化すると共にすき焼きも高級化の一途をたどり、多くの人が好むごちそうとなっていった。


ってことで、「伊藤博文」の名前はありませんでした。

ウィキペディアの「すき焼き」を読んでください。
コピペしました(笑)

★牛肉の供給
安政6年(1859年)の横浜が開港後、居留地の日本国外の人々から食肉文化が伝わってきた。日本に肉牛畜産の産業がなかったため、当初は中国大陸や朝鮮半島あるいはアメリカから食用牛を仕入れていた。しかし居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加し、のちに神戸の家畜商が横浜へ食用牛を搬送するようになった。このような背景の元、幕府は元治元年(1864年)居留地に指定されていた横浜市の海岸通に屠牛場の開設を認めた。

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こんにちは。

私は、何十年と人前で話すなんていうことをしたことがない人です。
あるインストラクターの試験で、プレゼンをしなくてはならなくなり、いろいろ自分でも勉強をし工夫してみました。
試験は、うまく成功しました。

まさか、コツがあるとは、思わなかったですね。

NHKでも、人前で上がらない方法なんてやっていました。
(2013年4-5月『人前であがらないスピーチ術』)
http://amazon.co.jp/dp/4148272065

ここで述べているのは、「正しい姿勢」が上がらないコツだと言っています。
震えないためには「腹式呼吸」だと言っています。
でも、そんなことで大丈夫な人は少ないと思います。

私の使ったテキストは、
『自信がつくプレゼンテーション』FOM出版
http://amazon.co.jp/dp/4893119400
(読み返すと、細かすぎて、あまり役に立たないかもしれません。)

それで自分でまとめてみました。

1.最初に、どんな人が誰が聴くか。
 それに従い必要な情報を準備して置きます。
 偉い人がいるのとか、人の話を聞かなさそうな人がいるとか。

2.何をメインポイントにおくか。
 全体の流れを予め要点を箇条書きにします。
 序論・本論・結論で組み立てます。
 また、数字を入れることによって、その話の信ぴょう性が高くなります。

3.もし、板書やスライドを使う時は、それを別途用意します。


4.台本作り
 箇条書きを元にして、ざっと文章にしてしまいます。
 これをだんだん付け足したり、削ったりします。

5.ストップウォッチや時計を使いながら、声を出して読んでみます。
 思ったように時間配分が行かない時は、大幅に割愛します。
 実際に喋る時は、周りの雰囲気によって、変える必要がある時もあります。
 また、堅苦しい話ばかりになった時は、息抜きのようなちょっとした脱線する話も入れるとよいです。
 実際の場では、自分の読みあげる時間の1.2から1.5倍ぐらいに遅くなります。

 格言とか難しい単語は、予め練習した以外は、まったく喋れません。信じられないほど、思い出せません。
 
 台本は、だいたい4~5回ぐらい、ストップウォッチや時計などを使いながら、いろんなところを調整しながら、時間内(秒単位まで)に収まるようにして、文章を直していきます。シミュレーション(イメージ)を怠らないことです。
[質疑応答がある場合は、ある程度用意しておきますが、その場で、適当なことを言って繕わないことです。「私は今分かりませんので、宿題にさせていただきます」として、やり過ごすことが大事です。知らないことは知らないとしないと、後で足元をすくわれることになりかねないのです。]
 
 実際に話す時は、台本ではなく、最初の箇条書きのものだけを見ながら進めていきますが、短い話なら、覚えてしまいます。また、イントネーションよりも、気がつかないような口癖は、耳障りになりますから、直しておかないといけません。特に、「えーと」とか、聞いている側では繰り返されると耳障りになります。
 
 台本で、自分がこういうように話せるというイメージがつかめれば、何ら心配はありません。

6.決められた時間は、絶対に守ることが大事です。
 少ないよりも、オーバーするほうがいけません。人に迷惑が掛かることがあるからです。得てして、オーバーしがちです
 
7.実際の場では、導入部分(つかみ、落語の枕)で、全体の雰囲気がつかめれば、後は重大なミスをしなければうまく行きます。自分の話を聞いているというターゲットになる人を、ある程度決めておき、その人から視線を動かして、全体に視線が行き届くようにします。声も後ろの人に、ちゃんと声が届いているか確認してもよいと思います。話す時は、下をむいて原稿を読んではいけません。前をみて話ます。一番手前の人に小さな声で話しかけることで、前の人をだらけさせないようにすることもあります。

聞いていそうもないなっていう人にも、ちょっと気をつけてみておきます。怖そうな人だったりの時は、目線を送るだけにしておきます。そうでなければ、名前を読んでもよいと思います。だいたい、相手もこちらの様子を伺っています。顔をみていると、分かって聞いている人と分かっていないままに、もやもやしている人が手にとるように分かるようになります。

間のとり方は、まず、聞いている人の顔をみることです。そうすると落ち着きます。自分の信頼する友人が、最適です。聞いているなって思えばよいのですが、そうでない場合は、多少の沈黙を長く入れることで、視線を集めることが可能になります。しかし、沈黙が長すぎると、もう二度と視線を戻せませんから、注意してください。

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9.最後は、その場の雰囲気にもよりますが、自分の話を聞いていただいたことに感謝をして、これで終わったことを皆に伝えます。
------
ここまでが、FOMのテスキト内容を元に私の言葉でまとめたものです。
うまくしゃべれないのは、自分の言うことが頭の中でまとまっていないのと、自分の話に自信がないからです。きちんとした台本を作りましょう。
自分自身を落ち着かせるのは、視線を最初に誰に向けるかということが大事です。

以上が、私の人前で発表する-プレゼン-のコツです。

こんにちは。

私は、何十年と人前で話すなんていうことをしたことがない人です。
あるインストラクターの試験で、プレゼンをしなくてはならなくなり、いろいろ自分でも勉強をし工夫してみました。
試験は、うまく成功しました。

まさか、コツがあるとは、思わなかったですね。

NHKでも、人前で上がらない方法なんてやっていました。
(2013年4-5月『人前であがらないスピーチ術』)
http://amazon.co.jp/dp/4148272065

ここで述べているのは、「正しい姿勢」が上がらないコツだと言っています。
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