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長文になります、すみません。

どういう言葉が正しいのか分からないのですが、いわゆる霊感的なものは本当に感じられたりするのでしょうか?

離れて暮らす私の父親が病気で倒れ、緊急入院した際に、私は父親が倒れた時間(真夜中だったのですが)に夢の中で誰かに何度も起こされました。

仕方なく朝早く起きてしまったのですが、朝になって母親から、父親が入院してよくない状態だと電話がありました。

その1時間以内に、首の下から背中にかけ、ものすごく痛く&重くなって、それまではなんともなかったのですが。

朝は仕事に行ったのですが、いつまでも背中が重いのと、頭の中で呼ばれてる声が続き、仕事にならなかったもので、すぐ父親の入院している病院へ行きました。

父親は不幸中の幸いで症状はとても重かったですが、すぐに命に関わるようなものではありませんでした。

病院を後にして、駅へと歩いている途中で気づけばもう背中は全く痛くありませんでした。本当についさっきまでの重さや耐え難い痛みが嘘のように。

そう思い返せば、亡くなったおじいちゃん(父方の)が倒れる前日にも長年使ってた時計が壊れ、同じく父方の亡くなったおばあちゃんが倒れる前日(当日だったかも)もお気に入りだったブレスレットが突然切れてしまったことがあります。

ずっと偶然だと思っていたのですが、今回父親が入院したのもおじいちゃんやおばあちゃんが自分の子供が心配だったから会いたかった・・・と考えてしまうんですね。

でも私はずっと論理数学などを中心に勉強してきたせいか、理論で説明できるアルゴリズムだとか、計算式といったものしか信用できず、霊感のような抽象的なものはあり得ないと考えていました。

でもこれだけ多くのことが実際起こったので、よく分からない状況です。

もし考えられる理由でも、このような知っていること何でもいいのでご存じの方教えてください。

また、このような場合、何か神社やお寺みたいなところに行った方がいいのでしょうか?

A 回答 (2件)

自分の判断能力や洞察力がどのくらい高いかを良くわかっていない人がいるものですが、霊感と呼ばれているものは、その一例でしょう。



シャーロック・ホームズではないですが、人を見ただけで、その人の癖から性格、生活習慣、経歴、人生に関して全てを予測して当ててしまうほど洞察力が卓越している人は実在します。

自分が、そういう人間の一人であるのを知らないで、偶然、予感が当たってしまったと思い込んでいる場合があるものです。

人間は意識しているか、しないかに関わらず、予測を立てて行動している生物です。その予測の一つが的中したに過ぎない事件だろうと思います。

現在、起こっている事件や事故を何十年も前に予測していた人は実際にいます。同じく、情報社会が実現した後に起こる問題をほとんど全て予測して何十年も前に本として出版していた人もいます。

不可能と考えられていた技術が実現する話を書いて、現在、それが実現しているという、信じ難い話もあります。

人間の能力を過小評価させるテレビ番組ばかり見ていると、実際の人間の能力が非常に高いものだという事実をなかなか信じられなくなってしまい、そういう考えを持つようになるのではないでしょうか。

インターネットに書かれている文章を読んだだけで、書いた人の年齢、性格、職業、所得、生活習慣、趣味や癖まで、全て予測してしまう人もいます。

人間は本来、そのくらいの予測能力を持っている生物です。親の死を予感するぐらいのことは誰でも起こり得ます。

世の中には、もっと凄い人もいます。書いている文章が全て予測能力の裏付けがあるものしか書かないという人です。そういう人が書いた文章を読んでいると、未来の事を全て知っているように見えてしまいます。

大学教授や博士などには、30年先の技術や社会問題を全て知っている人も珍しくありません。自分の能力を過小評価しないで、むしろ、そのくらいは人間として当たり前だと考えた方が良いでしょう。
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科学主義的な立場では「霊感などない」と断じたいところですが、とはいえ、科学の手法自体が霊感を否定することができないシステムとなっているため、否定できないというのが現実です。



おそらく、間違いなく、99.9999%の確率で霊感というものは存在しないと思うのですが、科学という手法は、「無いものを無いと証明することができない」のです。科学にできるのは「有るものを有ると証明する」事だけ。

さてその一方で、不思議な体験をされる方は数多く、実は私もそういった経験をすることがあります。

一つは「単なる偶然」。これが一番多いと思います。偶然は常に何十何百と起きていて、たとえば首筋が痛くなったり、変な夢を見たり、故人に何らかのかかわりのある品が壊れたりということは常に起こっていて、たまたま故人の命日に起きたことが記憶の上で強く残っただけ、ということです。こういうことを言うと大部分の当人は「絶対にそんなことは無い」と言い張りますが、脳の記憶のシステム上、それは既に改変された記憶である可能性が高く、その確信さえあまりあてにはならないかと思われます。

もう一つは「無意識的な推論」。よく「ひらめき」という言葉が使われますが、このひらめきが起こるのは、脳が無意識的に今の状況とよく似た過去のイメージを瞬間的に検索して合致したときの答えを導き出しているといわれています。たとえば、自分の父親が高齢である、最近血圧が高いと言われていた、今日はいつに無く気温が上がって既往症のある人は大変だな、などと言った無意識な情報の統合から瞬間的に「父が脳卒中で倒れるのではないか」と推論し、それが的中するとそれを「霊感」と誤解してしまうような例です。私はこのタイプの「霊感」を何度か経験しています。

という形で、霊感といわれるいくつかの現象は説明できますが、霊感そのものを否定することはできません。心の安定と癒しの意味をこめて、お寺や神社に相談してみられるのもよろしいかと思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃられた記憶の改変によってあたかも霊感のようなものがあった、ということは可能性として一般論でありそうですね。
私もこれまでは、偶然としか思ってもいませんでした。
もちろん論理的に立証が難しいことからです。
今回本当のところはどうなのかなと思ったのは、倒れそうなほど痛く重かった背中が急に軽くなったから疑問だったんです。

私は日本人なのですが、生活上、お参りに行くのは海外(中国香港)のみなので、次の機会に訪ねてみようと思います。

お礼日時:2009/10/14 21:57

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