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本文の下に質問があります。
どなたか回答よろしくお願いします。
※まず、8段落の真ん中くらいからの文章です。
『……むこうの、路へ差し出した桑の枝で、ある一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れのほかはすべて静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラとせわしくうごくのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。しかし好奇心もあった。自分は下へ行ってそれをしばらく見上げていた。すると風が吹いてきた。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。』

とあるのですが、結局のところ、『葉っぱが動いていた原因』は何なのですか?これはこの文章から読み取ることができるのですか??

A 回答 (2件)

#1さんの参照した文章を読んで、分かった方と、良く分からなかった方と両方居らっしゃると思います。

何かを説明しているらしいとも思えるのですが、奥歯に物が挟まったような説明だと言えないこともない。そして、この説明が良く分からない方は、感性が無いと言われてしまいそうですね。

志賀直哉は、文章を書く時に、彼の持っている感性で通じ合う、自分と同じような文学者を相手にしていたのでしょう。彼は、その本質を一つの凝縮した言葉(今様に言うとキーワード)で表現することに興味を持っていなかったようです。そこが、文学と学問の違いなのだと思います。

学問の力とは、「ことわり」なり「理屈」が理解できる者には、その感性に無関係に、誰にでもそこで言っていることが理解できることにあるのだと思います。その立場から志賀直哉の詩的表現の「ことわり」を表現すると、その桑の葉っぱが、たまたま風の吹く早さと「共鳴」していたことに気が付いた、ということですね。

「何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。」と言うのも、「自分の人生の中で、この現象は何か特別に共鳴できる物であり、他の事象と比べて、妙に自分の過去の生き様に引っ掛かる物があったと思った。」と言っているようです。

質問者さんは、車を運転するかどうか知りませんが、4本の車のバランスが狂っている時には、あるスピードの時に、妙に車が揺れます。でも、不思議なことに、その揺れはある特別なスピードのところでだけ大きくなります。それより早くても、遅くても、その揺れは殆ど気になりません。これは共鳴現象の典型的な例です。風の吹く早さも、丁度その葉っぱの具合に共鳴したのでしょう。

学問の面白さ(と同時につまらなさ)は、このように感性で捉えられた本質的な概念を、それを凝縮する言葉に露骨に表してしまうことです。ここの例では、その概念は「共鳴」という言葉で凝縮されているようです。そのように一言で凝縮することを善しとするか、あるいはその反対に、余韻を残して詩的に表現したほうのが善しとするか、貴方の感性なり価値観が試されているようですね。

ところで、蛇足ですが、芸術作品には不思議にその道のプロ達が共通認識として優れた作品と認められるものがあるようです。例えば、人類が今までに創り上げられた音楽で最も美しい音楽は何か、それを五つ挙げよ、とプロの音楽家に聞くと、その中に、誰が選んでも、必ずベートーベンのバイオリン協奏曲の第二楽章が入るそうです。それと同じ様に、近世及び現代の日本の小説家の文章で、最も優れた文章を五つ挙げよ、とプロの小説家に聞くと、必ず『城の崎にて』がその中に選ばれるそうです。ですから、この作品をを教材に選ぶことは、十分に意味のあるようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました('▽'*)ニパッ♪

お礼日時:2009/12/02 13:27
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2011/07/27 22:15

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