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言葉が無くても思考することはできると思います。
動物奇想天外でサルが試行錯誤してバナナを取っていたのは、思考することなしにはできなかったと思うからです。



僕は今、言葉の力について考えています。なので「言葉なしにはできないこと」を教えてほしいです。

実は「サルの例は間違っている。思考は言葉なしにはできない」という回答が欲しいのですが・・・レポートをスラスラ進めることばできるので。

専門的な意見が聞きたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

思考に必要なのは『コトバ』ではなく『イメージ』です。


『イメージ』を得るためのツールの一つが『コトバ』であり、『画像』『図形』『記号』『数字』などでも『イメージ』を得られれば思考できます。
どの分野においても、ある一定以上の熟練者は『コトバ』を介さずに直接熟練分野の記号などを用いてイメージを紡ぎだし思考するようになります。
例えば数学者は『数式』で思考したりしますし、プログラマは『プログラム言語』や『数字の羅列』で思考したりします。
また3次元CADのオペレータは『立体形状』で思考しますし、作曲家は『音符の配置』で思考します。

「言葉なしにはできないこと」といえば『会話』ではないでしょうか。
『会話』の定義は『言語の発声によって共通の話題をやりとりする行為』ですから、『言語(コトバ)』がなければ『会話』は成り立たないでしょう。
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この回答へのお礼

よくわかりました。言葉が無くても思考はできますね。
「会話」の例もありがとうございます。定義にも矛盾してないですね。

お礼日時:2010/01/05 17:59

 哲学や倫理学でいう難しい言葉。


観念論
 パークリー(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7% …)の考え方。「存在するとは知覚されること」という命題に集約されるように、外界ないし物質的世界の存在を否定して、人間の認識の働きを心の中の観念に還元したパークリーの立場が、18世紀において、しばしば観念論を代表するものとみなされ、少なからぬ場合、様々な批判の対象になった。バークリーの立場は、前記のような主張をとりわけて取り出していえば、主観的観念論としていちおう類型化することができる。しかし彼は、一方で、人間個々人の主観のみならず、普遍的な神の心への観念の現前というマルブランシュにも通じる思考のモチーフをもあわせもっていたのであり、この点では、むしろプラトン主義の正統に直結する要素をあわせ考えるのが妥当であろう。むしろ、世界のすべてを「生への暗い意志」の生み出す表象にほかならぬとした、後のショーペンハウアーの哲学のほうが、ある意味では主観的観念論の名にふさわしい。 (ここまでの引用の出典先:http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%A6%B3%E5%BF%B5 …

 少し引用が長すぎたように思うが、これが観念論の定理。それが現在の「心の哲学」へと発展する。

心の哲学(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …
 心の哲学とは、心に関する様々な根底的疑問に答えようとする哲学の一分野。心の哲学での主要な問題として心身問題が挙げられる。心身問題では心と身体とがお互いにどのような関係にあるかを問う。心身問題に対する考え方には大きく分類して一元論と二元論とがある。

 「観念」という言葉の意味は、物事に対して持つ考え、哲学で人間が意識的な対象にもつ主観的な像・表象、心理学的には具体的なものがなくてもそれについて心に残る印象。

 哲学として、「思考は言語なしにはできない」と証明するには様々な哲学者の考えが重要になります。つまり、「心の哲学」を勉強するのもいいかもしれません。

 後、様々な哲学用語
功利主義(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%88%A9% …)最大多数の最大幸福。

実存主義(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%AD%98% …)真実にして現実なる人間存在。

構造主義(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0% …)ソシュールの一般言語学講義から始まる。レヴィストロースが構造人類学など結婚に関する親族間を研究した。

 つまり、哲学的な問いには哲学で答えるべきです。

この回答への補足

<哲学として、「思考は言語なしにはできない」と証明するには様々な哲学者の考えが重要になります。
ということは、「思考は言葉なしにはできない」と証明できるのでしょうか?他の方の回答で「思考は言葉なしにもできる」と納得していたもので気になります・・・

というか、それについてまだ哲学者たちも議論している途中なんでしょうね。レポートが大変なことになりそうです。

補足日時:2010/01/05 18:16
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この回答へのお礼

みなさんありがとうございました!!

お礼日時:2010/01/05 21:16

実存哲学の話だったかな…。


言葉が先か存在が先かという問題。

例えばフランスにはたぬきは存在しない、という話。
実際にはたぬきはいるんだけど、たぬきを表す言葉がないからまとめて犬と表現している。だからフランスにはたぬきはいるけど、それは犬であるからたぬきは存在しない。
したがって言葉があることによって、ものが存在することができる云々というような話です。

なるほど~と思っただけですが。すみません、専門家ではないので、参考にならないかも^^;
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この回答へのお礼

フランスではタヌキは犬扱いなんですね。調べたら実在論とか唯名論とかの話になってきました。難しい・・・

お礼日時:2010/01/05 17:45

生まれつき耳の聞えない方に聞いてみて下さい。


どんな思考方法をしているか。

この回答への補足

すごく納得しました。発想をみならいたいです。

補足日時:2010/01/05 17:17
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というかそもそも 言葉の発明が思考の結果なのでは?


同時に出来た場合でも 創ろうとする発想は思考のはず
 
便利だったから普及しまくっただけで 特別じゃないサ
萌えキャラの裸体を妄想する行為も 立派な思考です
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この回答へのお礼

たしかにそのような気がします。

お礼日時:2010/01/05 17:15

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