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神様って本当にいるのでしょうか?教えてください。

A 回答 (64件中41~50件)

宗教家ではありませんし、何に対しても素人ですので間違っていたらすみません。

興味がありますので参加させて頂きます。

神や仏とは、人間の右脳に存在する人格の事と思います。無意識界や潜在意識界を統率している意識の事かと思います。おまけに人間の生命活動を全て取り仕切っています。心に対する影響力も大変大きなものと言えます。びっくりした時には心臓の速さまで自在に変える事が出来ます。

何も知らない赤ん坊でさえも不安や恐怖を知っています。自分が「思わずに」行動する時があります。何も考えていない時の閃きは何処から来るのだろうか?或いは意識したり無意識で行動して生きています。意識していない時は「誰が」自分の体と心を支配しているのか?

或いは心の中で争いが有ります。或いは心には二つの考えが在ってそれぞれの主張が違う事が在ります。或いは心は二つの違う事を、全く違う正反対の事が考えられていて、心が苦しくなっています。

その解消が神に会って和解する事、或いは仏になって、この有限の世界で無限、或いは永遠の世界を垣間見る事で、不生不滅底のものを掴む事で、肉体の生よりも、大事な事を獲得できる事を過去の人達は実証してきたものと思います。

その事が聖書或いは仏典に記されていると思います。自分がつかめないからと言って、その存在はないという断定は出来ないと思います。右脳には言葉が在りません。言葉がない事によって左脳の分別脳とはコミニュケーションがとり難くなっています。言葉がない脳、右脳の人格との出会う方法が「禅問答」という仏典以外のテキストになっていると思います。

左脳の自我意識と右脳の無意識の意識が出会うためのテキストが今の日本で、しっかりと残っている事は世界でも例がないと思います。

左脳の人格と右脳の人格がうまくいっていない事が、悩みや苦しみの元になっていると思います、自我意識のみを認めている事が神経症や自律神経失調症や、鬱の症状を醸し出しています。それは「認めてもらえない右脳の人格の訴えとも言えます」。全ての症状を認めてあげた時が障害が終わる時と思います。

自分を苦しめていた者は「自分自身」と分かった時だからです。その事を仏教では「悟りを開いた」。キリスト教では「神に在って和解した」と言っているのかと思います。
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この回答へのお礼

人の心の無意識の更に深い部分が人が内包する神だという解釈は分かりますが、右脳だとか生命活動を取り仕切るという考えは少しズレている気がします。
あと、仏教やキリスト教は単なる自己啓発をやっていたわけでは無いですよ。霊的側面を無視して脳という物理面だけで神を論じるのはどうかと。

お礼日時:2010/01/22 07:56

>非物質の存在の話に言語の問題を持ってくるなんて、CPUの仕様の話にプログラミング言語の話を持ってくるようなお粗末なご意見です。

申し訳ありませんがお話になりません。

質問者さんはなかなか良い線を行っておられると思いました。私は物理屋なんですが、この遣り取りには、物理屋的な進展があるようです。物理屋と数学屋さんやコンピューター関係の方々との一番大きな違いは、物理屋は自分で何を言っているか判らないで話をしているが、数学屋さんやコンピューター関係の方たちはそれを判って話をしていると言う違いです。物理屋って、自分で何を言っているのか判りたい連中なんですね。だけどまだ判らないから、ある程度の見当をつけて、一先ず暫定的な定義を導入してみる。その定義に基づいて論理をいじくり回して行くと、どうも自分は赤と言うべきところを青と言ってしまったらしいことが判って来る。そこで、物理屋は議論の途中で突然前の定義を撤回して、自分の都合のいいように定義を代えてしまう。こんなことを数学屋さんやコンピューター関係の方たちにやってしまうと必ず怒られます。どうやらまた私は怒られてしまったようですね。物理屋と数学屋は数学の専門用語で言うところの内積がゼロ、すなわち直交しているようです。数学と物理学では文化が余りにも違う。物理屋が大事だとも思っていることは数学屋には大事でない、その反対に数学屋が大事だと思っていることは物理屋には大事でない。だから、物理屋と数学屋は互いに理解し合えません。

数学屋さんやコンピューター関係の人たちは、まず自分で何を言っているのかが判ってからでないと先に進めない方たちのようですが、物理屋って、自分で何を言っているか判った段階でもうそのことに興味を失ってしまう連中なんです。私は、物理を始めた初心者に、物理屋の終着点が数学屋の出発点なんですよと教えています。私の回答に対するお礼を読んでいたら、質問者さんはもしかしたら数学屋さんやコンピューター関係屋さんかなと思いました。

でも、その遣り取りのおかげで、

>非物質の存在の話に言語の問題を持ってくる

のが本当にいけないのかな、そもそも非存在の物質について何語で論じているかによって、その理解の仕方が違ってしまうことはないのかなと思いました。例えば「自然の法則」という一見これ以上客観的な言葉はない程客観的な言葉一つをとっても、英語では "Laws of nature" といって、"Law school" と同じ "Law" (法則、法律)という言葉を使っています。でも日本人は「自然の法律」とは決して言いません。ですから、物理学が対象とする一見これだけ客観的なようなことでも、何語で理解するかでその仕方は全然違ってしまうのです。「神様」や「非物質の存在」のような、「自然の法則」と比べてはるかに複雑な概念の理解となると、それを論じている方の埋め込まれた文化の影響を決定的に受けてしまう概念のような気がしますので、そんなにお粗末なこと言ってはいないのではないかと思いました。

はたして、「神様」や「非物質の存在」という言葉は、「CPU」や「プログラミング言語」のように、文化によらずにそんなにきちっと定義されている言葉なのですか。それとも、「神様」や「非物質の存在」という言葉で、自分では何を言っているのか判らないので、まあ物理屋さんのように、それを知りたいと言っているのですか。あるいは、前もって文化によらない定義がなくては、前に進めないと言っているのですか。

蛇足ですが、物事を理解したり創造したりする過程には、遊び心が役に立ちます。人生楽しまなくちゃと言うでしょう。私はその遊び心で文章の中に頻繁に茶々を入れて楽しんでいますが、それって、新しいにことの発見に意外に役に立つのですよ。
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この回答へのお礼

>非存在の物質について何語で論じているかによって、その理解の仕方が違ってしまうことはないのかなと思いました。
とおっしゃっていますが、最初のご回答では

>どの言葉を話す神様のことを指しておられるのでしょうか
と、「神様が話す言語」について指していらっしゃいましたよね。
非物質の存在を何語で論じるのかと、非物質の存在が何語を喋るかは、全く違う意を持ちますよね。

お礼日時:2010/01/13 13:40

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#8,9です。

#15のk_jinen さんより、
>「無神論」は「汎神論」と読み替えても、問題ないと思われます。
との、指摘がありましたので、私の書いた「神とは、宇宙の法則の事である。」を絶対神、「汎神」を「人格神」と勘違いしていましたが、「神」とします。

#9の回答へのお礼で dendenaaaさんが、以下の様に書かれています。
>また私の考えでは、汎神論の神々は、人間の意識と対なる関係にあるのでは、と思っています。
>神々が人間の運命を支配したり加護したりしてもいるし、人間が神々の有り様などを定義してもいるし神を廃したりもする。
>このどちらもが同時に成立しているような感じではないかな、と考えています。


この、内容で感じる所がありますので、その事について述べます。
ここまで来ると、書籍から引用レベルを超えますので、個人的な考えと理解下さい。

「神」とは何か?
それは、無意識(又は、意識の深い所)に存在する(又は、無意識が存在を要求している)ものと考えます。

人は、色々な欲があります。
基本的な生存欲から、高度な(?)知識欲まで様々です。
その中に、「信仰欲」というのもあるのではないか、と思っているのです。

それでは、「信仰欲」とは何か?
それは、人知を超えた力・運命を左右する力を有する者への、信頼・畏怖の感情を発露するものと考えます。
そのような感情が、意識がある一定レベルをこえると、自動的に発生すると思うのです。

知識欲が、学ぶ知的刺激となる対象に出会い、安心・満足する様に
※信仰欲も、信仰対象となる「(人格)神」の様な存在があって、安心・満足する。と考えるのです。
※つまり、信仰欲を満足させる対象として、「神」が、存在すると思うのです。

無意識は、他の人ともつながっていると、ユングは言っています。
僕はさらに進めて、このつながりにも、強弱があると思います。
他人よりは、身内の方のつながりが強い。
他の地域より、同じ地域の方のつながりが強い。・・・といった風です。
(もし生まれ変わりがあるとするなら、以前夫婦だった二人は、生まれ変わった後も無意識でのつながりが強いと考えることも出来ます。)

つながりの強い(同じ地域の)無意識は、同じ神を指向(要求)し、存在を、時には修正を求めます。
故に、地域に関係する形で、宗教が生まれると思うのです。
ヨーロッパで、キリスト教
中東で、イスラム
アジアで、仏教
日本で、自然を神とする宗教

つまり、「神」とは、「人間の集合の心」と言う様なイメージです。

だから、「神」が存在すると言えば存在する。
存在しないと言えば存在しないとも言えるわけです。
神を感じるというのも、間違いではないと思うのです。

ある期間、神について考えていた自分が、今感じている答えです。


この考えは、当然のことながら、神(絶対神)が宇宙の法則という考えと矛盾しません。

まとまりに欠ける、内容ですが、理解いただけるでしょうか?
.
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この回答へのお礼

求めれば与える存在が生まれる(もとい初めから存在している事になる)のが宇宙の法則だという気がします。
人間という存在が生まれる地球が必要であった。地球があった。
地球(環境)が生まれるには太陽系が必要であった。太陽系があった。
太陽系を生み出すには銀河の活発な活動が必要であった。銀河があった。
銀河が生まれ活動を続けるには時空と膨大なエネルギーが必要であった。宇宙のインフレーションがあった。
宇宙を生むためには人間が必要であった。
因果は対生成されるものなのかもしれませんね。

お礼日時:2010/01/13 19:11

仏教では神は結果を助ける働きの縁と聞きます。



結局 人のやる行動の中に見ると思います。 行動としてみることもできますね。
 インドでは正義とは神の名前と聞いたことがあります。クリシュナ神ですね。
 正義の心は誰の中にもありますから、そこにあるのでしょう。
 誰でも時々神の働きをしているんでしょう。
 仏性は梵天帝釈と見えたり。というのを聞いたことがあります。
 あなたの中の善の心とでも思っていればいいと思いますよ。
 仏とは生命の表現というのも聞いたことがあります。
 結局、あなた自身の話ということです。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
全にして一という事ですね。

お礼日時:2010/01/13 18:54

このカテに初めて回答することになるけど、


なんか、抽象的というか、掴みどころのない質問が
多い気がしますね(私見)
自分なりに考えた回答は、
<現時点では、立証できない>
ですね。
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仏法者の立場で答えます。

釈尊はそれについてこう答えています。

まずある人が質問して「我々を作った人は誰か?その作った人はどうして作られたのか?また我々に霊はあるのか?死んだら霊はどこに行くのか?」と問いました。

しかし釈尊はこれらの問いに答えませんでした。毒矢経にあります。

ですので仏法者は神や霊を云々しないのです。今日の僧侶や仏教とは神を信仰してますので仏法者ではありません。ですので釈尊の言う仏法者は地上にはいないと考えられます。

仏法とは法則性だけですので、汎神論かといえなくもないですが、汎神論は神を根本としてますので宇宙の法則性とは言えないです。
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この回答へのお礼

仏道においていえば神を求める必要が無いので言及していないだけだと思います。
如来の知恵という奴です。
修行の途中で気にせずとも、悟ればきっと全てが見えるのでしょう。

お礼日時:2010/01/12 17:09

いませんよ。


人間の空想によって作られたものですから。
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この回答へのお礼

人は思考停止しか出来ない人物の事を専門家とは言いません。

お礼日時:2010/01/12 17:03

子供の頃見た映画では宇宙人は日本語を話していました。

大人になって見た映画では宇宙人は英語を話していました。古事記では神様は日本語を話していたようですが、モーゼの十戒では神様は古代ヘブル語を話していたようです。ソクラテスに教えたデルフォイの神殿の巫女は神の声を古代ギリシャ語で聞きました。インドのヴィシュヌ神や踊るシバ神はインドの言葉を話しておりました。

そこで、質問者さんに質問です。貴方の言う神様がいるかという質問は、どの言葉を話す神様のことを指しておられるのでしょうか。それによって、いろいろな答えが出てると思いますので、貴方の質問の仕方は大変混乱を招くのではないでしょうか。

あっ、そうか。貴方の言う神様とは、子供の頃読んだお話の中で動物と話せる神様のことかもしれませんね。もしそうだったら、絶対神様はいます。そうでなかったら、子供の絵本が皆嘘になってしまいますからね。私は毎日、自分のうちの犬と猫と話をしています。猫はどうか分かりませんが、犬は絶対に私の言うことを分かっています。
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この回答へのお礼

非物質の存在の話に言語の問題を持ってくるなんて、CPUの仕様の話にプログラミング言語の話を持ってくるようなお粗末なご意見です。申し訳ありませんがお話になりません。

お礼日時:2010/01/12 17:06

あなた(肉体的自己)が「いる」と考えれば、


それと同程度の確かさで神も「いる」でしょう。

その実、最新の量子論的世界像において、有限な
存在性(環境)は観測される事によって生じており、
根源的に確定化しようとすると無限不確定化(=無)
する、というのが不確定性原理です。

換言すれば、全てのものはあなたが存在するため
の(物理的根源にまで遡った)補完なのです。
無の無限不確定性の潜在としての、自我仮説に
対する時空仮説(宇宙)の相補分化。
(無の無限の闇に対する自我の射影)
これを自覚化できない程度の認識力であれば、
神による救いが必要です。
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この回答へのお礼

世界があるから自分がいる、自分がいるから世界がある、どちらもがどちらもを支持しているんですよね。
世界の全ての成り立ちを明らかにした所で自分に繋がる縁起を見出すどころか全てが分からなくなってしまう。
全てを知る事は絶望につながります。
神は「きっといる」のでしょう。

お礼日時:2010/01/12 17:20

横から失礼します。


汎神論を少し誤解しておられるようですので。。。

No.8でのお礼欄
>>>
>「神とは、宇宙の法則の事である。」

その場合の神は、いわゆる絶対神、世界神の事ですね。人格性の無い神。システムという名の神。
汎神論の神々についてはどうなのでしょうか。
<<<

>>>汎神論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E% …
汎神論(はんしんろん、Pantheism)とは、全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるという宗教観・哲学観。万有神論。ほとんどの宗教における神理解は、一神教・多神教を問わず汎神論的要素を含んでいるとされる。

英語の pantheism は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)を語源にする語で、文字どおり「全ては神」で「神は全て」を意味する。
(中略)
スピノザの「神即自然」の思想をめぐる「汎神論論争」は有名。古代インドのウパニシャッド哲学、ソクラテス以前のギリシャ思想。近代においては、スピノザ、ゲーテ、シェリング等の思想がこれに属する。
<<<

>>> 汎神論論争 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E% …

ここで出てくる「スピノザ」の神と、アインシュタインとの関係については、
http://transact.seesaa.net/article/24319142.html
等が参考になるかもしれません。
上記リンク先での「無神論」は「汎神論」と読み替えても、問題ないと思われます。
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この回答へのお礼

お恥ずかしい限りです。
ご指摘ありがとうございます!

お礼日時:2010/01/12 11:58

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