都道府県穴埋めゲーム

障害を負った人の励まし方どうしますか?
よかったら皆さんの考えを教えて下さい。

地震で4歳の子が瓦礫の下敷きになって
気を失ってしまいました。
片足を切断するほどの大けがをおいましたが
命には別条がありませんでした。

そして意識を取り戻したその子があなたに訊いてきました。
「私はこれからどうやって歩いたらいいの?」
あなたならどう答えますか?

A 回答 (4件)

障害者手帳を持ってる者です。


一番みじめなのは「障害者だから」と同情される事です。
その次は「障害に負けないで頑ばって下さい」という、励ましです。
4才の子なら、自分の足では歩けないのだという悲しみを持つでしょうが、だからと甘やかしてはいけません。
「足がない」のは事実ですから、それを認めさせることでしょう。
義足もあるし、松葉杖もあるのです。

幼い子が障害者になったことへの精神的なフォローは、はっきり言って相当に苦労されると思います。
しかし「励ましたい」という感覚そのものが、健常者のもつ「上から目線」だということを認識されるのも重要だと思います。

歩行訓練の最中には「がんばれ~、くじけるな」という必要はあるでしょう。


私を含めて障害者と言われる人は、励まして欲しいなどと思ってません。
なぜ励まそうとお思いになるのでしょうか。
自分に比べてかわいそうだと思うからでしょうか。
かわいそうだと思っていただく必要はありません。
同情心で可哀想だからという気持ちでの励ましは、とても嫌味に感じることもあります。
単純に物理的にできない事態になってるときに、手伝っていただけるとありがたいと思うだけです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

同情・激励は必要ないし、して欲しくない。
物理的に必要な事態になっている時だけ手伝っていい。

難しいですね。
物理的に必要な事態になって手伝っているときに
手伝っている側はどうしても、
上から目線になってしまっていると思います。
手伝った後はさらに何かしてあげようと思ってしまう気がします。

私の周りに障害者の方が少なく、特別にみえてしまうから
このように思うのでしょう。
自立して生活をされている方々も
たくさんいらっしゃるのは知っていますので、
困っているとき以外は
特別に感じないようにすることが必要なのですね。

お礼日時:2010/01/24 21:18

>障害を負った人の励まし方どうしますか?



励ましや同情は、特に必要ないと思います。

私には、生まれつきの内部障害があります。

私に対して、周りの人は、以下の3タイプに分かれます。

a)障害があるからと、特別扱いし、あれこれ世話を焼くタイプ。
b)障害があるから、なるべく関わらないで済むようにと、腫れものを扱うように避けるタイプ。
c)障害のあるなしに関係なく、一切特別扱いしないで、普通の人と同様に扱うタイプ。

この中で、私が良い印象を持ったのは、
cタイプの方でした。

aタイプやbタイプの方と一緒にいると、
どうしても、「ああ、私は障害があって、他の人とは違うんだな」
と、みぞを感じてしまい、あんまり楽しめません。

一方、cタイプの人と一緒にいると、
自分に障害があるなんてことはすっかり忘れ、
思う存分楽しめました。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

aとbの人は、その人自身に利益がある気がしますね。
aの人は世話をしてあげているという優越感。
bの人は自分が面倒に巻き込まれない。
でもcの人は、障害者に対してなにもしないなんて
冷たい人だと周りから思われてしまいそうという気がします。

なので、世の中のほとんど人はaやbみたいな人で(私も含め)
cのように接することができる人って少ないように思います。
でも、障害者の方々の事を突き詰めて考えると
普段はcのように接するべきなのでしょう。

お礼日時:2010/01/25 23:15

障害者です、障害を負うまで普通に動けましたし、


普通に生活も出来ました、強い心も大切ですが、一番必用なのは
【折れぬ心】です。

単に意志とは言えるけど、その意志をつむぎだして行く事の最初が
肝心なのに、持たせる事も書かない愚公は、折れるコトまでは、
【我、関知せず】と言っているモノです。

折れぬ心は、時として支える側にも大きな障害を与えますが、
支えてくれる人の心が強い意志でなければ、折れぬ心は出来ません。

「私はこれからどうやって歩いたらいいの?」
私は「何がしたい?」「どうやって歩こうか?」と一緒に考えます。


個人的な一言ですが、
健常者は時として、障害を持つ人の心を打ち砕く一言を平気で
言います、健常者の考えと障害を持つ人の考えに開きがある以上、
まず、自分がもしこの状態になったらと考える事が一番と思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。


障害をおった子が幼い場合は、
支える側の意志と努力も
特に多大なものになるのですね。

「折れない心」は本人が育てていくのもではあるけれど、
その子を育てていくのは周りの人たちなのですから。

「どうやって歩くか?」そのものを考えるよりも
そのことをどのように一緒に考えていくかのほうが
難しいし、労力を費やすものなのでしょう。

今は健常者の人々も、一瞬間後には障害を負っている
状況も誰にでもあるので、
想像するのは難しいですが、
相手の立場に立とうとする努力が必要ですし、
そのときには障害者の方々のアドバイスも
重要になるのだと思います。

お礼日時:2010/01/24 17:54

両足が無いなら兎も角、片足が残れば歩けます。


杖を使って歩け。それで充分。
なまじの労わりなんかは惨めにさせるだけ。
直面した事実に負けない強い意思を持たせるのが重要。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

確かに義足や杖で歩けるようになりますね。
障害に負けない強い心を持たせる事に
集中することが大事なのですね。

お礼日時:2010/01/24 17:05

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