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よく幽霊や神様の存在を否定するときに使う理由に『科学では証明できないから』という言葉があります。

ですが、この『科学』も本を正せば錬金術から派生した一つの物の見方に過ぎないと思うんですけど、どうして今の人は科学を理由に他の見方を全否定できるのかすごい不思議です。皆様の意見をお聞かせください。

A 回答 (25件中11~20件)

#14です。

誤植がありました。上の方の段落で、

本質的になる減少は幾らでもある => 本質的になる現象は幾らでもある

と読んで下さい。
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#1さんの



>証明できないからではなく再現性がないからです

に関して一言コメントさせて頂きます。

この言葉は初学者に自然科学とは何かを紹介する時に常識的に繰り返されてきた言葉ですね。何方が言い出したか知りませんが、学校で教わっただけの科学を思い出してみると何だかそんな気もしてくるので、繰り返し引用されて来たのだと思います。

しかし、現実の自然科学の対象とする現象はでは、余程単純な現象でない限り、ほとんどの場合再現性がありません。ここで言う単純な現象とは、今までの物理学の数学的な枠組みで説明できる程度の極端に単純な現象ということです。自分で実際に研究を為さって来た専門家の方なら何方で同意すると思いますが、簡単な化学反応でもほとんどの場合再現が不可能です。精々、その平均的な情報に着いて何かが言える場合が殆どで、毎回の実験で測定値はその平均値から揺らいでおり、同じ現象は起こりません。そして、その揺らぎの方のが平均値よりも遥かに本質的になる減少は幾らでもあるのです。いわんや、そんな単純な化学反応よりも遥かに複雑な事象が殆どのこの自然界の現象で再現性があるなどとは絶望的な主張です。

では、なぜ「再現性」なるものが、自然科学の成立のための条件であるなどと、現実を無視した主張が生まれて来てしまったのか。それは、惑星の運動とか、真空中での落体や振り子の運動とか、少数粒子の散乱とか、原子核の回りの電子の運動とか、光の出し入れの問題とか、素粒子の構造とか、宇宙全体の大局的な構造などと言う、この自然界の中で起こっている森羅万象のなかでも極端に単純な現象だけに議論を限ることにして、その分析を始めた所、意外に単純にそのことが理解できるようになり、また、その単純さ故に大変正確に現象の予測が出来て来たからです。また、その単純さ故に、再現性もある程度の精度で確認できたという歴史的な偶然も重要だったと思います。

しかし、近代の物理学の進歩によって、そのように再現可能な現象は、この宇宙の中でも例外中の例外の属することが判るようになって来ました。もの凄く簡単は運動方程式でも、殆どの場合その解は所謂「カオス」という振る舞いをすることが認識できるようになりました。カオスと呼ばれる状況では、どんなに正確なコンピューターを使っても、コンピューターの機種を変えると答えが異なって来てしまい、また、同じコンピューターを使っても、a(b+c) として計算したプログラムと ab+ac として計算したプログラムでは結果が異なってしまうことも確認されるようになりました。ですから、簡単な運動方程式の解にすら再現性がないのです。大切なことは、物理学の基本方程式が、このカオスの存在、すなわち再現不可能性がこの宇宙の典型的な事象であることを明らかにしたことです。

どんな簡単な化学反応でもそれを物理学の運動方程式で表すと、上のカオスを示す方程式よりも桁に違いに複雑になります。したがって、このカオスの発見は、なぜ化学反応に再現性がないかも分かるようにしてくれたのです。勿論私達が存在しているのも、また毎日の行動も、この化学反応に基づいています。だから、現在の物理学の発展の程度で生命現象を論じるいことが難しいのです。しかし、このカオスの認識は、生命現象までも物理学の射程に入りそうだということも同時に明らかにしてくれました。

上で列挙した極端に単純な現象に限った物理学の古い成果は、確かに人々を魅了する物を一杯持っております。しかし実際の自然界の在り方を無視して、この古い成果ばかりに囚われ、「自然科学の本質は再現性なあり」というお題目を旧態然と繰り返している状況は、少なくとも専門家の間では慎むべきだと思います。

このように。本質的に再現性を不可能にしているこの自然界で、再現性とは違ったキーワードに基づいて「科学とは何か」を認識し直す作業を、科学の発展は要求しているようです。
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>どうして今の人は科学を理由に他の見方を全否定できるのか



それは環境認識としての自然科学において、普遍性があるから。
「見方」「表現」はいろいろ変えられても物理的な普遍性と矛盾した思想は間違っています。なぜなら思想とは「全てのものを位置づけるもの」だからです。
量子論的に見れば、認識体が観測することで物質は生まれる。よって、あなたがこの文字を見た瞬間にこの文字やモニターは物質化するんです。それまでは何も無いのです。最初からあると思い込んでいるのが実は間違いなのです。
「他の見方を全否定」ていうか、思想証明のプロセスが併存しているだけであり、別に「見方」=表現の角度、を否定している訳ではないと思いますが。
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訂正:



 過去の経験や自分に知っている知識・良識にとらわれていようと

⇒過去の経験や自分の知っている知識・良識にとらわれていようと


追記:

 実際には科学で証明できないものを全否定している人はほとんどいないでしょう。

 また、基本的には物理学や科学は厳正なものであり、光の速度にしても厳密な実験により測定したはずだと思いますが...
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 実際、目に見えない霊的な存在や、超能力を否定「したい」がために、『科学で証明してみろ!』とヒステリーを起こす人を、テレビなどでも見ますよね。



 歴史や経験、自分の知っている知識をなんの脈絡もなくつなげて述べる人とレベルは同じです。対極にあるが、極右と極左のように、同じ穴のムジナです。

 科学にとらわれていようと、過去の経験や自分に知っている知識・良識にとらわれていようと、「囚われている」という意味ではなんら変わりません。

 根本的にはアタマが悪いです。馬鹿で頑固で卑怯で傲慢だから何を言っても無駄です。

 きっとそういう人は過去になんらかのカルト宗教に入っていて、痛い目にでもあったのでしょう。直接の被害をこうむったのでなければ、ほっとけば良いのではないですか。
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>科学では証明できないから



そのような理由で神の存在を否定した話は聞いたことがないです。
調査してわからなかったから、奇蹟(神の仕業)として認定したってのは、聞いたことがあります。

もちろん科学者を信者に多く抱えているので、信者である科学者に調査に協力してもらって、「科学では証明できない」と調査結果をもらい、科学では証明できないのでこれは奇蹟(神の仕業)と認定するわけです。

神の存在を肯定するために「科学では証明できない」って使ってるわけです。
否定じゃなくて肯定するために使っているわけです。


そしてその何十年もかかって調査して科学では証明できないとされ奇蹟認定をされたケースを、高校の化学や物理の知識レベルの人が解明しちゃってます。

あの宗教の抱える科学者って、高校の問題すら解けなくてもなれるってことですね。
えっらく偏差値が低い・・・・。
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全否定?


科学でわからないことは、わからないとしているはず。
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そもそも、精神のかかわる事は現代でも科学の守備範囲では無いでしょう。

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本気で真剣に信じている人もそんなに居ない方が良いような気がしますがね


本当に本気で信じていたら怖くて誰も結婚式なんか上げなくなるし離婚もしなくなる
んじゃないかな?和式にしろ洋式にしろ結婚を神の前で誓うと言うことは
神に立ち会ってもらい契約する行為ですからねぇ少しでも誓いの違反があったら
と思うと恐ろしくなるんじゃないかな。
さて
科学でご飯を食べている人が絶対否定するのは分かるんですよね
立場上科学で説明出来ないものは信じる訳にはいかないし、火の玉など科学的
根拠で説明できて実験で再現出きるものは自然現象としてしまう。
もし幽霊や神の類の存在が科学で証明し目の前に召喚できれば科学者は信じるでしょう。
まぁ説明できないなら否定も出来ないだろうとは思いますけれどね(^_^;)
しかし 一般の人が「科学で証明できないのは」って言うのは少し話しが
変わってくると思いますね。面倒臭い事には関りたく無いから
便利な科学では・・・を使っているの人は多いのじゃなかろうか
今の人は人の立場になって物事を考えられない人、人の気持を汲み取る事が出来ない人
って結構多いと思いますけれど結局そういうところが関係してるんじゃないかな?
自分本位で他の意見や見方など突っぱねてしまうじゃない?
あぁそういうこともあるのかもねって言う余裕が無いって言うか。
ただ怖いから頭ごなしに否定してる人とか色んな理由があるから一概には
言い切れませんが。
僕も存在は肯定してますけどあくまでも生きてる人間が自分自身が大事であって
幽霊や神に振り回される気はさらさらございませんがね。
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おっしゃる通り、科学という概念自体が成立したのは(諸説ありますが)せいぜい19世紀半ばくらいの話で、ひとつの見方ですね。



現在でも科学が万能ではないということを知っている方は多くいると
思いますよ。科学でいまだ証明されていないことや、あるいは答えの
でないことはたくさんありますよね。

ただ科学的証明がなされるということは、一般人の認識としては
「論理的で客観的で結論に確実性がある」とみなされるということに
なるかと思います。
我々の生活自体が科学が一定の成果を積み上げた結果で支えられて
いるので、科学という考えが、多くの人に信頼を受けるのは真っ当なことでしょう。

つまり全否定はしないまでも世間的に信頼度が低い情報として
扱われるってことになるのは致し方ないことです。
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