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自分で=自主的 同じなのに なんで日本語は 硬い表現は別にあるんですか?

どちらか 一つで いいと思いますが

日本語 は 同じ意味の 言葉が沢山あるのに 統一されていないのは なぜでしょうか?

そもそもなんで 同じ意味なのに 違う言葉 あるのですか?

多寡 は 多いいこと 少ないこと と 辞書にあります

・・多少でいいじゃん

多いいこと 少ないこと を 多少 と表現するメリットが 文字が少なくで 意味を伝える 事ができる

というメリットなら 理解できますが

多寡→多少→多いいこと少ないこと

多寡って必要ないとおもうのですが

A 回答 (2件)

歴史があり、文化が進むと語彙が豊富になります。

いろんなニュアンス、思いを厳密に伝えようとするとそれぞれの場合にふさわしい言葉が必要になります。
これは日本語だけの話しではありません。英語でも恐ろしいほどいろんな似たような言葉があり、それをついこなすのは外国人にとって本当に大変です。どれか一つだけ使って、きまりきったビジネスはできるかもしれませんが、高級な議論はできません。繊細な気持ちを伝えることはできません。

夏目漱石の時代に比べると語彙は1/4ぐらいになったように思います。
やっぱり時代に合わせて適量の言葉があるのでしょう。
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「難しい問題を自分で解いた。


「難しい問題を自主的に解いた。」
同じ意味になるでしょうか?
「自分で」は“他人の助けを借りないで”という意味です。
「自主的に」は“他人からの指示を受けないで”という意味です。

「多少」には「多少の違いには目をつぶる」という使い方がありますが、「多寡」にはそのような使い方がないので、紛らわしさが避けられます。
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