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No.1
- 回答日時:
これは私の個人的見解です。
上賀茂神社の福徳社の存在は知っていますが、まだ参拝した事はありません。
福徳は文字通り、幸と財(本来は陰徳)をもたらす神霊のことで、その神仏は様々です。
仏教に近い所ではガネーシャと呼ばれる像の鼻を持ったヒンズーの神から、七福神全体を指したりもします。ガネーシャは漫画にあるのか、古田新太が演じてテレビドラマにもなりました。
本来神道の神々はご利益信仰の対象ではありませんでした。感謝と豊作くらいは祈願したかもしれませんが、日常生活や個人的欲求、まして商売繁盛などとは無縁だったのです。
ご利益信仰と結びついたのは神仏混淆の時代です。そのため、福徳神という役職名のような名前とともに、仏教に癒合されたヒンズーや中国の神や天が結びつけられたのでしょう。
[福徳 神社]などで検索すると東京をはじめ、複数出てきます。しかしながら先にも述べたように福徳神は福徳をもたらす神と言う意味ですから、実際の祭神は様々です。稲荷神も多くいます。稲荷信仰は現世利益の代表格ですから。
伝承と言っても、要するに現世利益を得ようとする民の信仰と言う事しかわかりません。
回答ありがとうございます。
確かに、福徳神でぐぐると
ガネーシャとか七福神などいろいろ出てくるんです。
>本来神道の神々はご利益信仰の対象ではありませんでした
これは初耳です。
何か、それを裏付けるようなサイトや本はありますか。
あるいは、回答者様がそうお考えになるのであれば
その理由を伺えますとありがたいです。
>ご利益信仰と結びついたのは神仏混淆の時代です。
日本では古くから神仏を習合して信仰していたのではないかと思いますが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F% …
上記によりますと
715年には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、奈良時代初頭から国家レベルの神社において神宮寺を建立する動きが出始め、満願禅師らによる鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。
とあります。
回答者様はいつから神仏混淆の時代になったとお考えでしょうか。
またその理由をお聞かせ願います。
>福徳神は福徳をもたらす神と言う意味ですから、実際の祭神は様々です
普通に考えますと「福徳をもたらす神」という意味かな、とも思えますが
御祭神を福徳神としているケースを他には知りません。
弁財天、大聖歓喜天とかいう名前で祭っている神社なら数多くありますが。
そのため、弁財天、大聖歓喜天などの総称として福徳神としているのか
個別に福徳神という神が存在しているのかを判断しかねております。
No.2
- 回答日時:
>本来神道の神々はご利益信仰の対象ではありませんでした…それを裏付けるようなサイトや本はありますか。
・本屋サイトは判りません。
・神社を取材した番組(NHKだったか)で以前述べられていたのと、私の先生の伯父にあたる方が神宮の神職で、案内していただいている時に確認したものです。
>回答者様はいつから神仏混淆の時代になったとお考えでしょうか。またその理由をお聞かせ願います。
・歴史的にはまさにその通りです。多少の年代の相違はあるかもしれませんが、今年初めにNHKでも特集していました。
現在神道と言われている主な物のは明治以降、分離した後に神社庁が作成した物ですから、神仏混淆以前の真の神道を知るのは非常に困難です。(大社信仰他でも基本的に明治以降に分離した物に変わりはない)しかし、古い神社や古くから伝わる民間信仰などから推測する事は不可能ではないと考えています。
日本で非常に古いといわれる神社の形態は山や岩を御神体とするもので、日本自体が神の国ですから境内という感覚はなく、拝殿も後に出来上がってきたものです。まして神殿が出来るのは更に後になります。(これも複数の本に少しずつ描かれているのを纏めただけです。それぞれは神社に関する諸本を参照してください)
弁財天、大聖歓喜天などの総称として福徳神としているのか
個別に福徳神という神が存在しているのかを判断しかねております。
・末社などの多くは明治の神社整理政策の中で進められて来たものです。
小さな神社を巡ると、もう祭神が何なのか、稲荷なのか八幡なのか神明社なのかも判らなくなるほど種々の神が祀られているのも多くあります。
神社の名前にしても記録が残っている物だけでも、稲荷社や神明社から八幡になったり、八幡社や神明社が稲荷社になったりと複雑です。
それらは奉じている人々の思いによって変わってきたのでしょう。
また、伝承の中で代表的なというかインパクトのある神名だけが残ると言う事もあります。(グループで、メインボーカルの名前は出てきても他のメンバーが出てこないのと似ている?)
そこから推測すると、元々「福徳神」という神名はないことから、様々な祭神が集まっていると考えた方が無難だと思います。
私は、神の名はその神そのものに付くのではなく、働き(作用)に付けられると考えています。また名の文字もそれによって当てられていきます。
また、一人の神に対して二つの名がある、二人の神とされているのが一人の神、あるいは二人の神が一人になった等、様々なものがあります。
例としては「アマテラスオオミカミ」が現在でも「天照皇大神」「皇大御神」「天照坐皇大御神」などと呼ばれ、書かれます。
川崎市の金山神社祭神「金山神」は金山比古神と金山比売神とされています。しかし日本書紀には比売神は登場しません。
これらのことから想像するに、最初は一人の神を祀った祠があり、そこに同様の願いを込めて複数の神が祀られるようになった。これには地域の人々も思いや時代があると思います。
いつの頃からか、社とその祭神を福徳社、福徳神と呼ぶようになった。
元々の祭神は由緒書があれば残っているかもしれないが、どこかに仕舞いこまれたか、末社になった頃には失われていた。…と私は考えます。
これらは解答でも書いたように、私見でしかありません。
古文書や古地図などを見ていくと、多少なりとも見えてくるかもしれません。
回答ありがとうございます。
http://blog.goo.ne.jp/kagutsuchi_yamato/e/1d4973 …
上記に
大田神、白鬚神、百大夫神、福徳神の四柱をもって、大田神社が形造られ、四神不可離の関係にある。
これより、大田神とは四柱の神神を総括した神として崇め奉るのが本肯であるという。
とあります。
これをふまえて考えるべきだと存じます。
参考にさせていただきます。
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