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こんばんは。

カテゴリ迷いましたが。

普通のオッサンですが美術館などへ行ったりもします。
家内は絵画が好きで自身でもイラストぐらい書きます。

先日、十和田市現代美術館に行きました。
わざわざ行ったのではなく仕事で近くに用事があったもので。

最初のブースでいきなり身長5mのおばさんのフィギア。
(フィギアと言うのは語弊があるかも知れません。ジャンルは彫刻となってました)
あと、
・昔のアメリカのバーを歩かせるもの とか(すごく暗い)
・ラヴクラフトのヨグソトースみたいな透明球形の集合体 とか
・テーブルセットがあってアザラシの胴体が天井からぶら下がって、
 天井穴から見ると上は湖のようなジオラマみたいな。
・高さ10mもあるモールみたいな、一つ一つは人間の形。

●全然解りませんでした。チラシには創作意図は説明されてますが。

屋外展示の巨大メカニック赤アリ、全身が花びらで飾ってある馬体 は
解りました。(具象化されてますからね)

アメリカとかで荒野などに同形オブジェをいくつも設置するのとか。
解りません。

良くこんなもん作ったなー、いくらお金掛かったんだろう、スポンサーは?
みたいな気持ちしか湧いてきません。

●Q1.現代アートには説明がないと訳が解らない作品が多い思いますが、
解らなくても良いと思い人がいれば良いのだ、
これが創作者の考えでしょうか?

●Q2.すごくお金が掛かっているものもあります。
 自然の中にオブジェを配置するようなもの。
 オブジェと言っても大きいですからヘタすると土木工事です。
 創作者の優劣はそう言う事を実行するパワーとか人間的魅力にあるのでしょうか?

失礼なんですが、やったモン勝ち ではないかと考えてしまいます。

本文中、解る・解らない と言ってますが、これは
共感が持てる・持てない と言う風に解釈して下さい。

では宜しくお願い致します。

A 回答 (6件)

芸術は時が経っても変化しない普遍的な価値をもちろん持ち合わせているべきでしょうが、一方、常に時代に敏感に反応し、過去を踏み台にして新しい切り口を創造していく活力を失っては死んでしまいます。


現代のアーティストがみなが皆揃って例えば印象派風の風景画のようなものを描いていたとしたら、それはあまりにも不健全ではないでしょうか。

新しい試みは、いつの時代にも理解されず酷評されることが常でした。
線描を命とした日本画に、線を用いず柔らかな陰影表現を取り入れた明治後期の画家達は、「朦朧体」と揶揄され疎外されました。
しかし現在、それらの画家達、横山大観、菱田春草らが高く評価されていることは周知の通りです。

私は個人的には、今までにない新しいものを創造することだけが芸術だとは思っていませんが、使い古された表現に疑問を感じ、今までにない世界の捉え方を見いだそうとする熱い気持ちは、芸術家にとってやはり必要なのではないかと思います。

しかし、創造するという行為は簡単なことではありません。試行錯誤しながらまさに現代の作品を作り出そうとしている芸術家達ですから、当然失敗作、駄作も数多く生み出されるでしょう。現代美術とは、今まさに成長期にある芸術といえるのではないでしょうか。
駄作の数々の中から、やがてこの時代を代表するような傑作が生み出されていくのです。そして、その過程を目の当たりにし、その気にさえなれば石ころの混沌の中から輝く宝石を見つけ出し、若い芸術家を育てることに参加することさえできるという点は、現代美術の大きな楽しみの一つです。若い画家たちの展覧会に足を運び、自ら選んだ作品を買い上げることで芸術家を支援している人もいます(「山本冬彦」さんという有名なサラリーマン、コレクター)。

また、とくに日本人は、何故か芸術を感覚でのみ捉え鑑賞するのが正しいと思い込む傾向がありますが、それは必ずしも正しくないのです。
もちろん感覚に訴えかける何かがなければその作品に近づくことも無いかも知れませんが、実は作品の裏側を知識として知ることで初めて面白さがわかったり、単純に「あぁきれいだなあ」または「なんだこりゃ、汚いなあ」で終わっていた作品の思わぬ側面に驚かされたりすることが芸術鑑賞をエキサイティングなものにするのです。

俳句を真に愉しむには実は深い教養が不可欠であるのと同様に、芸術を真に愉しむにはある程度の知識、教養が必要なのですが、このことはなぜか視覚芸術においてのみ無視されることが多いのです。小学校以来の美術教育があまりにも軽視されてきた結果だと思っていますが…。

せっかく美術に興味を持って下さっているのですから、一見「やったもん勝ち」に見えるような作品にどんな思わぬ側面が隠されているのかにほんの少し興味を振り向け、また駄作の数々の中から輝く宝石を見つけ出すという楽しみ方をしてみてください。新たな発見があることと思います。
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この回答へのお礼

生前はボロクソで没後に高い評価を得る芸術家は多々いるようです。
創作された背景を知ると作品への理解は深まると思います。
(ベートーベンを聞いていてふと彼の人生が頭を過ぎると涙腺が緩みます)

進化しないといけないのですね。
今ビートルズをそのまんま演奏する人はいませんですからね。
(いますけどそれは懐メロの類で主流ではないですからね)

新しいものを理解する人がいないと新しいものが生まれない、
と言うことでしょうか。
私もすごいものを創る人のエネルギーとか力とかに対しては認識はあるつもりです。

私も学校では書くばっかりで鑑賞する教育は受けていません。(50歳)
だから日本ではあんなに印象派ばかりが人気があるのかも。

でも、この質問をして 現代アート また見てみたくなってきました。
今度は違うものが見えてくるかも知れません。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/03/19 21:10

回答させていただきます。


私も少し前までは現代美術とか前衛的なアートがよくわかりませんでした。
ピカソとか、岡本太郎とかね。
なぜゆがんだ顔を書くのか?
なぜ奇妙な描写をするのか?
幼稚園生の落書きと何が違うのか?

そう思っていた私ですが、現在、「ゲイジュツは納豆だ!」説を展開しております。
(ここではカタカナで”ゲイジュツ”、と記述した場合、現代アートや前衛芸術、金粉ショーのような、一般には理解しがたい創作物を指します)

大阪人は納豆を嫌いますよね。
「あんなモン、食い物ちゃうわい!」
「何が悲しゅうて腐った豆なんぞ食わなあかんねん!」
「大阪には仰山うまいモンありまっせ! 納豆みたいなモンに金出さんと、うまいモン食いまひょ!」
「そんなに納豆が好きなら一日三食、一年三六五日、納豆食いなはれ!!」

これを聞いて、関東の納豆好きは思います。
「ちゃんとした食べ物ですよ」
「腐ってませんよ。発酵してるんです。」
「納豆以外にもうまいものがあることも知ってますよ」
「いくら納豆好きでも一日三食は食べません。納豆食べるのは朝食だけですよ。」
「大阪人は理解がないなあ。大阪至上主義だなあ。」

大阪人が言う美味いモノというのは、芸術・美術の世界でいう
「デッサンがしっかりしているもの」
「写実的な描写」
「本物そっくり」
な作品です。

大阪人が言う納豆みたいな不味いものというのは、芸術の世界でいう
「歪んだデッサン」
「オッパイぽろりしそうな実用に耐えない洋服」
「抽象的で、解説なしでは作者の意図が理解できないもの」
な作品です。

一方、関東人は納豆(に代表されるような発酵食品)が
「発酵と腐敗とは違う」
「発酵食品は食える。腐敗した食品は食えない」
「発酵食品はあくまでも”乙な味”であり、一日三食、一年三六五日、それだけを食べるわけではない。あくまでもアクセントである」
であることを理解しています。

確かに万人受けする美味いモンも美味しいですが、”乙な味”、”通好み”、”発酵と腐敗の違い”を知っている関東人のほうが食文化を理解する幅、能力が高いと思いませんか?
(関東人、大阪人、納豆、というのはあくまでも例ですのでご了解ください)

こんな視点でもう一回、ゲイジュツ作品を見てみましょう。
腐った豆だと思っていたゲイジュツ作品がなんだか”乙な味”に思えてくることでしょう。

どうでしょうか?

追伸
北野武氏がフランス国より文化勲章を受章しました。二度目の受章だそうで。
北野武氏はテレビ番組での活躍は日本人の広く知るところですが、映画作品はあまり理解されていません。少なくともTVの視聴率競争と映画の興行収入競争とを比較すれば圧倒的にTV作品のほうに軍配が上がります。
その北野氏がフランス国で評価を受けたということは、私風に言わせれば、北野氏のTV番組は日本人好みの納豆味であり、北野氏の映画作品はフランス人好みのトリュフ味、と言えます。(聞くところによると、北野氏のTV番組はフランスでも評価が高いそうで、そうなるとフランス人は納豆も好き、ということになりますが)
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この回答へのお礼

興味深い見解をお持ちですね。「ゲイジュツは納豆だ!」説。

金粉ショーもゲイジュツなのですね。
(最近見ませんが)

ただ少し違うと思いました、「ゲイジュツは納豆だ!」説。
・東京の人は納豆がうまい、と言うことが解っています。
・大阪の人は納豆がまずい、と言うことが解っています。

私は、うまいもまずいも解らないのです。

だから、
普通の人が、なんだ、これは、 みたいなモノを一生懸命作るところに
現代アートの価値があるのではないか と偏見を持ってしまうのです。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/03/15 22:32

現代アートの作品は大きなものから小さなものまで(某メーカーのCMソングみたいだ…)見てきましたが、作品から受ける印象や作品理解は、ほんっと作品に応じてに様々だなーと自分でも思います。



ご質問者様が「やったモン勝ち」と思われるのも無理ないと思います

以前、とある現代美術のアーティストの展覧会を見に行ったとき、彼の作った映画を見て「これ制作費いくらかかったんだ・・・」とあきれ果てたことがあります。延々儀式めいたパフォーマンスがセリフなしの状態で2時間近く続くので、映像の美しさとか作品の解釈とかどうでも良くなって、そのときは「早く上映が終わってくれ」と思うばかりでした。また別のアーティストの作品を見たときは、作品の中に入ってくつろぐことのできる作品だったので「あー一日中ここにいたい」と思うほど、作品の世界に浸ったこともあります。

ご質問から離れたコメントで済みません。でもあえてご質問に答えるとするならば:
>●Q1.現代アートには説明がないと訳が解らない作品が多い思いますが、
解らなくても良いと思い人がいれば良いのだ、
これが創作者の考えでしょうか?
A1. わからなくても良いが、まずは自分の作品を見て欲しい、とアーティストは考えていると思います。ただ作品理解のためにある程度の情報が見る側に要求されがちなのが、現代美術のやっかいなところかもしれません。

>●Q2.すごくお金が掛かっているものもあります。
 自然の中にオブジェを配置するようなもの。
 オブジェと言っても大きいですからヘタすると土木工事です。
 創作者の優劣はそう言う事を実行するパワーとか人間的魅力にあるのでしょうか?
A2. お金のかかってない野外展示の作品もありますね。空間に糸を張っただけで、見る人の意識を刺激する作品もあります。
すぐれたアーティストの作品は見る人の頭と感覚を鋭くすると思います。それは現代美術も往年の名作も変わらないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そう言えば、空間+映像の作品もありました。
何じゃ、こりゃ? でしばらくその部屋に居ました。
何も起こらないので引き上げました。

質疑応答しながら思いつきましたが、空間及び時間のデザインなのかなって。
特にこの美術館は。

説明書きは必要ですね。でも読んでも解らないものもたくさんありそうで。

自分の感覚が鋭くなる、でも実感はありません。でもそうなっているのかも知れません。

19世紀以前の絵画などですと、風景がすごいとか光の表現がキレイとか、
女性がちょっとエッチとか、感想を持てるのですが。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/03/13 17:50

とあるギャラリーの人が「現代アートは、観る人の反応こそが面白い」と言っていました。

実際、私も何が楽しいかというと、反応を観るのが楽しいです。質問者さんなんて、作品を観て、見事に反応していらっしゃいます。インターネットにまで長文を投稿して、不満めいたものをもらしておられます。読んでいて面白いですよ。

その作品によって、質問者さんは不快(不かかい?)になったのかもしれませんが、これであなたと何人かの回答者は繋がることができました。そして多少なりとも刺激し合いました。これが世の中の、ちょっとした活気になれば、これまた面白いだろうと思います。
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この回答へのお礼

いや、不快と感じたことはありませんよ。

なにか作者のエネルギーとかやる気とかを感じますよ。
でも作品からの具体的な印象が出てこないのです。

20人ぐらいのお年寄りの団体も来ていましたが、
展示する側からはさぞかし面白い反応が見られたかも知れません。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 23:40

私は音楽をメインにしてて多少は絵画の知識があるのですが、


要するに好みなのかと思います。

万人に受けなくても一部にきっちりと受け止める人がいればいいんだと思いますし。
100万人の関心よりも100人の感動の方が価値が高いのではと個人的には思います。

なんの根拠もなくやれる人はいないと思います。
自分で分かってるからやれるんだと思います。
どっちにしろ、何かしらの結果を残せているので続けられてるのでしょう。

やったもん勝ちと思うならやってみればいいと思います。
私は分からないですし、分からないことはやりたくないです。
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この回答へのお礼

以前、
<現代(前衛?)音楽が解らない>と言う質問もしました。

そうですよね。やはり自身には何か根拠と言うか、
何か構築された考えとか、又はすごく簡単な発想 とかがあって
それを信じてやっているのだとは思います。
だから分かっているのだと思います。

でも。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 23:30

この美術館はアートをよう様な角度から捉えようとしていて、中々ユニークだなと思います。


この美術館の展示のみに作られ、美術館の建物と一体化して角度を変えて眺めることの出来る作品だそうですね。

私は美大卒ですが、作品は共感できるものとそうでないもの、個人の感覚の差や捉え方の差で鑑賞し、優劣をつける必要は無いのだと悟りました。
作者の意図は、自身の感情の表現ですから、共感できるものと出来ないものがあって当然だと思うのです。

ですから、お金掛かったなーとかスポンサーは?のお気持ちが浮かんでも良いわけです。
作者側は、自身の感情の発表の場が美術館であるだけで、作品として世に出すことが創作すると言う意味なので、創作の中途過程が本人にとっての喜びなんです。
評価は関係ないので、素直に心に響いた作品は共感性を持てたという事なんでしょうね。
>創作者の優劣はそう言う事を実行するパワーとか人間的魅力にあるのでしょうか?
★ですから創作者の優劣も関係ないのです。
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この回答へのお礼

優劣、と言う言葉を使ってしまいましたが、
本意はそういう意味ではなかったのです。適切な言葉が思いつかず。
でも何が言いたいかは伝わっていると思います。

ただどうしてもその作品に値段を付けた時、
1億なのか、0円なのか と考えてしまいます。
実際解らない人はそのような評価方法をせざるを得ません。
(骨董の評価みたいな)

評価は関係ない、 でも 作品を世にだす。
ある程度の評価がないと美術館に展示してもらえないと思いまして。
(たくさんの人に見てもらえない)

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 23:23

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