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社会性に不安があり、進路のことで悩んでいます。

私は高校を中退して高卒認定試験に合格し、数年間の大学受験勉強をしてきました。
一度大学に入ったこともありますが、授業の難易度があまりに低いため、自分が惨めに思えて、そこは中退して中堅校を目指すことにしました。
その後、自閉傾向のあるADHDと診断されました。
IQは100前後でした。

高校を中退したのは、クラスの中に居場所が無くなったからです。
他の人の会話についていけない、友達ができない、などが続き、ストレスで追い詰められていきました。
その後高卒認定試験に合格し、しばらく引きこもっていました。
それから1年ほどしたある日、若者自立塾を見学に行ったのですが、そこでも会話についていけず、自分の社会性の無さを痛感し、将来を悲観するようになり、うつを発症しました。

現在の悩みは、大学に進学するか、社会性を身につけるために特別支援学校に進学するかということです。
大学に進学した場合、社会性をつけるために医療機関でソーシャルスキルトレーニングを受けながらの通学ということになると思います。
特別支援学校に進学した場合、経済的・年齢的理由から、大学の通信教育課程を並行して受講し、大学卒業後に就職ということになると思います。(特別支援学校は3年制、大学は4年制)
家族やメンタルクリニックの先生は大学進学を勧めています。

大学を出れば学力と学歴は手に入るかもしれませんが、脳の脆弱性自体は改善されず、コミュニケーション力や地頭は特別支援学校を出た方が身に着くと思っています。
発達障害児用のプログラムが整っているからです。
http://www.showa-gakuen.net/
しかし仮に特別支援学校を出ても時間が経つと元に戻ってしまうようであれば大学を選びます。
(大卒という学歴は一生残ります)
特別支援学校と大学の通信課程を並行した場合、大卒ではありますが、昼間部とは一線を画すように見えます。
新卒での就職活動ができないようです。

大学(昼間)の場合、自己同一性が確立されていないため、大学のどの学科を専攻したらよいか分からず、発達障害を克服するために役立ちそうな心理学関係の学科を志望しています。
自他の社会性の差にストレスを感じて高校のように中退することにならないか不安な気持ちもあります。

なにやらネガティブな文章ばかりですみません。
上記のような考えが延々と繰り返して纏まらない状況です。

発達障害でありながら大学に進学された方、特別支援学校出身の方、
発達障害で自分の選択した進路について後悔した方も体験談などお聞かせ下さい。

A 回答 (1件)

私は、漠然と大学に進学し、「自分のやりたい事」が見付からないまま、ただ「社会に出なければ」という強迫観念のようなもので漠然と社会に出てしまったため、迷走し、追い詰められた経験もしました。


就職する場面を考えた時、“学歴”が重視される状況がある事は承知しています。昨今のような不況時には、より一層、学歴による“不利”が生じる事も承知してます。
しかし同時に、「一旦就職してしまえば、それで安泰」という状況ではないとも認識してます。

社会に出て、生きていくためには、どうしても社会への適応力は必要になってきます。しかし、“適応する”という事は、「みんなと同じように同じような事が出来る」という事ではないと思っています。
いかに自分の存在価値を発揮できる居場所を見つけるか、という事だと思っています。

少しずつ、発達障害や精神疾患に対する社会の理解も進みつつあり、その人の“出来ない事”ではなく、“出来る事”を最大限に評価しようという、具体的な取り組みを始めている企業もあります。
いわゆる福祉的な発想ではなく、会社の利益のために、みんなと同じように同じような事が出来る事を評価するのではなく、その人にしか出来ない“得手”を最大限に発揮してもらおうという発想が、少しずつですが、広がりつつあるように思っています。

今、sheepdog2さんが「心理学関係の学科を志望」しているのであれば、その気持ちをまずは基準にして、進路を判断された方が良いのではないかと感じます。
また、「発達障害を克服した」という経験を得る事ができれば、それは、sheepdog2さんにしかない存在価値を生む事になるかも知れません。
そもそも、発達障害に対する考え方も、“出来ない事を出来るようにする”のではなく“出来る事を最大限に伸ばす”という事が基本になると考えています。さらには、発達障害に限らず、あらゆる人に対して“出来る事を最大限に伸ばす”という発想がもっと定着すれば、sheepdog2さんのように「自分の社会性の無さを痛感」し、「自他の社会性の差にストレスを感じる」事もなくなっていくように思います。
理想論ではなく、現実として「自分ではなく、他の誰にでも出来るのではないか」という自分自身に対する評価から、自分の存在価値を見失って苦しんでいる人が多いという状況もあると認識してます。

「ナンバーワンでなく、オンリーワンでいいではないか」という考えも私はあまり好きではありませんし、オンリーワンは、あえて声高に叫ばずとも、誰しもオンリーワンである事は明白です。一卵性双生児であっても、“同じ人”ではありません。
簡単なことではないかも知れませんが、ぜひ「他者と同じように」を目指すのではなく、sheepdog2さんの“得手”を伸ばす選択をされてみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございます
得手を伸ばすという考え方は発達障害について多数派のように思います。
ですが…実際、社会性が足りないというのは生活のあらゆる場面で不自由してしまいます。
必要最低限の社会性は獲得しておきたいと考えています。
それが達成されてから長所を伸ばしていきたいものです。
両親が居なくなったあとは誰も助けてくれる人がいません。
心理学科を卒業すれば空気が読めるようになってコミュニケーション能力が上がる保証はありません。
一つの事しかできない人間よりあらゆる事を満遍なくできる人間になりたいというのが本音です。

お礼日時:2010/05/08 22:54

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