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様々な本を読んでの私なりの解釈は
(シルバーバーチや江原さんなど)
生まれ変わりはある。
でも一般的に言われているような生まれ変わりはない。
私が自分に課された試練のカルマを清算すると
過去に今の私と同じように別の試練を受けてきた別の様々な私に溶け込み、今の私の地上人生は終わる。
過去の記憶と同期して類魂が成長し、
新たな課題を持って類魂から新しい私が生まれ、地上で生活する。
今の私は霊界で新しい私が頑張っているのを助ける
個性や、記憶は霊界で生きる

こんな感じですかね?


霊界で永遠に暮らすのって退屈なんですか?
ある人は退屈だと言うし、ある人は退屈でないと言うし(笑)

否定的な方はそれはそれなのでコメントは結構です!
夢物語として流してください

皆様の見解をお待ちしています!

A 回答 (3件)

霊界で永遠に暮らすのって退屈なんですか?



○退屈じゃないですね。理由の一つは時間というものが無いので、時系列の間隔がないからですね。
また、あの世は波長が似通ったもの同士が集まって暮らしてますので、争いも悩みも無い、衣食住の心配もない、それぞれのグループの境涯に応じた非常に気持ちのよいとこるに住んでいるのですから当然ですね。
逆に言えば、退屈もない代わりに進歩もないということですね。
霊界にいる大部分の霊はそのようですから、生まれ変わりたくは無いでしょうね。
でも、霊界の役所の役人が来てね、強制的に生まれ変わるというのがほとんどの人ですね。
進歩しなさいというシステムなんですね。つまり、この世は進歩のためだけにあるといってもいいかもしれませんね。玉石混交というのはあの世にはないのですね。石もあるが玉もあるので玉を掴めば更に環境の良い霊界にいけるということですね。
仏陀や神々と呼ばれるトップのお方は、役人の管理だけですから生まれ変わることはめったにないのですね。
菩薩・天使はトップの政策に沿って生まれ変わるのですね。でも千年に一度ぐらいですね。
仏陀は、自ら創ったシステムですから、それを一般の霊に説明するために3千年に一度ぐらいは生まれて自ら創ったシステムがどのようなものかを説かれるのですね。あの世では一般の霊が仏陀に会うことは無いですからね。例えあったとしても太陽のような光でまぶしくて見られないからですね。
再誕の時は、知っている者は、つまり霊界でも上のほうの霊たちは勉強のためにこぞって生まれるのですね。でも多くは肉体をまとったゆえに忘れて、あるいは迷って仏陀にたどり着ける人は極わずかですね。極わずかでも、たどり着ければ解脱の道が開けますからね。
仏教で言う解脱というのは、生まれ変わりも本人の自由になる境地ということですね。
ほとんどの人は数百年に一度は生まれ変わるようになっていますね。世にいうところの洗濯機の転生ですね。かってにぐるぐるまわるでしょ。まあ、洗濯機の転生から抜け出てあの世で楽しくやれるというのが解脱ということですね。
同じような文明に生まれても進歩がないので、異なる時代に生まれ変わるということですね。それが三・四百年ということですね。でも何十・何百転生してもあまり進歩はないんですね。後退したり進歩したりで平均がかわらないのですね。でも仏陀再誕にめぐり合わせれば、一度で数十転生分の進歩があるので、みなそれを望むのですね。
・・・そんな感じですね。
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>霊界で永遠に暮らすのって退屈なんですか?


ある人は退屈だと言うし、ある人は退屈でないと言うし。

どんな民族の想像した地獄も、その描写は大変面白いです。ダンテの『地獄篇』もレオン・パジェスの『日本切支丹宗門史』の描写も生々しく迫力があります。ところが霊界の居場所としての天国の描写は、一般的にどうもいただけません。イスラム教の天国はキャバクラみたいですし、キリスト教のダンテの『天国篇』は何かアナーキーで、そんな所に1週間もいたら飽きてしまいそうです。ところが恵心僧都によって書かれた『往生要集』の極楽は知的で、是非行ってみたい所だと思いました。ここなら何時までいても退屈せず飽きない所だと思いました。この感想をインド人の著名な物理学者の方に述べたところ「どうだ、分かったか。インド人は頭が良いんだ」とご満悦でした。質問者さんも機会があったら、いろいろな民族の天国の描写を読み比べて下さい。きっと、キリスト教の天国はいざ知らず、極楽という霊界でなら永遠に暮らすのも良いんじゃないかと思いますよ。

極楽に行く方法はただ一つ。阿弥陀様、助けて下さい、と言えば良いそうです。事実、一の谷で敦盛を討った熊谷直實が後に帰依して僧原空(法然)の弟子になり、蓮生と名乗ったときに、原空の言葉に対して、
「手足をもぎり、命をもすててぞ後生はたすからんずるとぞ、うけ給はらんと存ずる所に、ただ念仏だに申せば往生するぞと、やすやすと仰せ蒙むり侍れば、あまりにうれしくて、なかれ侍るよしぞ申しける」
と言ったそうです。

私は、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊、と言った日蓮の言葉も好きなのですが、惠心や法然や親鸞の格調の高さも大好きです。地獄は誰にでも描写出来ますが、退屈しない天国の描写は、世界広しと言えどもほとんどの民族には無理だったようですから。
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私もよく、その事で悩みます・・・


でも、私は、いつの間にか生まれ変わり、今の私の事は、忘れ、生きてゆく、と信じてます
考えると恐ろしいです・・・
まぁ、色んな人の考えが有りますね。
bpgqiさんの質問は、私にも勉強になりました!
こちらからありがとうございました。
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