アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「メルボルンの悲劇」はなぜ「悲劇」なのですか

1998年のFIFAサッカーワールドカップフランス大会の予選で、
大陸間プレーオフで、オーストラリアがイランにアウェイゴール数の差で敗退したことを、
「メルボルンの悲劇」というそうですが、
オーストラリア側から見れば悲劇でも、イラン側から見れば、喜ばしいことなのに、
なぜ、「悲劇」と言うのでしょうか。

A 回答 (2件)

それを語る側がどちらに肩入れしているかというのが一つ、どちらが残るかというのがもうひとつの事情でしょう。



負けた方は悔しくていつまでも語り継ぐが、勝った方はあっさり忘れちゃうので、○○の悲劇はたくさん語り継がれる、○○の奇跡とか、××の歓喜というのは、意外に残らない(マイアミの奇跡なんかけっこう忘れているのでは)。
ドーハとジョホール・バル、今でも語られるのはドーハの方が多いんじゃないかな。

それに、イランがジョホール・バルの敗戦を語り継いでいるかと言えば、その後、メルボルンで出場権掴んでいるので、多分、ほとんど忘れていると思う。

つまり、イランでは「メルボルンの歓喜」なんて言葉がその場では生まれたかも知れないが、日本のマスコミはイランに肩入れしていないので、オーストラリア主語で書いている上に、歓喜の方は遠の昔に記憶の彼方ということでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/18 20:40

後半残り20分ぐらいまで2-0でリードしてて出場濃厚ムードだったのに


その後続けて2失点したのでオーストラリア側からしたら「まさか」という
感じだったので悲劇。それに加え大陸予選・プレーオフで通算6勝2分と無敗
だったのに本大会に出れなかったので余計「これは悲劇だ」となったのでは?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/18 20:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aに関連する記事