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慣用的にルールを破っていいとき わるいとき

私の高校で、文化祭があって、私たちはクイズをやりました。
それで私は、「4問以上正解ならば写真が撮れる」というルールで撮影会場か出口に振り分ける役をやりました。
後半になって、インクや紙が大量に余っていたので「デジカメを持っている人ならば4問以下でも通してよい」ということになっていたのを(勝手な判断で変えるのもどうかと思いますが)「とりたい人は通す」としました。…(1)
別にこれについては、私がルールを破ったのですが、私も先輩もなんら問題にすることはありませんでした。


それで、文化祭が終わり、さあ、帰ろうと思ったとき、雨が降っていて、自転車通学なのにカッパを忘れてしまいました
そのとき「規則上、置き勉はダメであり加えて今回は明らかに100%自分の不注意である。よって、置き勉せず全てを持ち帰り」…(2)
「電車でも帰れるが学校から駅までの間で濡れてしまうので、その格好で乗るのは他の乗客に対して迷惑である。よって(40minぐらいかかるのですが)自転車で帰る」…(3)としました

このことを親に言ったら
「(3)はそれでよいが(2)は慣用的に破っても構わない」といわれました。
個人的には(3)はマナーなのでそれこそ守らないでもいい気がします(まあ、守りますけど)
それと(2)は、規則として定められていて、学校側に過失があるならともかく今回は明らかに自分の不注意なので破る気がしませんでした。

でも、そうすると(1)と(3)の違いは?となってしまいます。
結局、どれは破っても構わなくて、どれは破ってはいけないのです?

A 回答 (2件)

倫理学の問題ですね。



詳しくは大学で倫理学や法哲学などを学んでください。

規則は、事前に決められた者がその規則の絶対履行を望んでいるか、そうではなく、その場の取り決めとして仮決めしたがで意味合いがかなり違います。規則には、守ることそのものに意味がある規則も存在します。(例えば法律は、それが存在することを知り、それと知って守ることそのものに意味が存在します。)

それに加え、東洋倫理学の五常理論、西洋倫理学の正義論、功利主義論などさまざまな理屈が世の中には蔓延し、良い悪いが何によって決まるかの判断を危うくさせています。
あなた自身の正義が何かはあなたが決めてください。

一般的な日本人の感覚では、他者に迷惑をかける行為をしてはいけない。他者に利益を与える行為であれば、それによって迷惑をかけられる人間が最小である場合に限り、それをおこなっても良い、という倫理感覚があると思います(功利主義的感覚)。

規則とはそうあるべしと集団内で同意された規則であり、様々な意図によって定められます。それを破ることは、他者の意思・意図を踏みにじることであり、様々な迷惑を他者が被ることになりますが、それによって得られる他者の不幸が、それによって得られる利益の方が大きいと見るならば、それは実行すべきである、というのが功利主義的立場からの見解です。

功利主義的見解からは、(1)は正解、(3)も正解。ただし(2)で規則を守っても幸福は最大化されないので、一考の余地あり、というところでしょうね。しかし私はあなたの行動は素晴らしいと思います。校則は守るだけで意味のある規則のうちの一つですから。

ここでは功利主義の立場から善悪を判断しましたが、まぁ、そういう善悪判断方法ではまずいことは歴史上知られていて、ロールズという人が正義論という一大哲学議論を巻き起こしたのですが…。
ここからは倫理の先生に聞くなり、ググるなりしてみてください。

人類史上、人としてあるべきマナー、行動指針は色んな形で既定されてきました。騎士道、武士道、人倫、人道、スポーツマンシップ…etc

あなたが何を正しいとするかは、あなたがどんな正義観をもっているかによってきます。あなたの母親は(1)(3)はOKで(2)は一考の余地ありと考えているようです。
質問に質問で返しますが、あなたはどのような行為が正しいと思いますか?
その判断の積み重ねが、あなたの正義観であり、あなたの正義になるはずです。
悩んで、判断して、解決してください。
ただし、学問は、その悩みに手を貸すことができると思います。判断基準の絶対評価が知りたいと思ったら、倫理学や法学、哲学の本を選んでみてください。
その時はできるだけ簡単な、平易な本を手にとってください。
きっとあなたの判断の一助になると思います。
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こんにちは。

おっさんです。

社会において、ものの善悪には明確な線引きはありません。
「この辺りを越えると人の道に外れるであろうから、やめておこう」
という、だいたいの感覚があればよいです。

たとえば、制限速度を常に守るドライバーは1000人に1人もいないはずです。
クルマがほとんど走らない田舎の道路で、赤信号で横断しても、違反は違反です。
私の場合、自分の子供が道徳的に間違ったことをしたとき、
子供に正座させて、軽くゲンコツをしますが、
これも法律上は暴力に該当します。

一方、電車やバスの中で携帯電話で通話することはマナー違反とされていますが、
乗客同士で会話するのはマナー違反とされていないのが一般的だと思います。

すし詰めの満員電車であれば、ペースメーカーをつけている乗客がいる可能性があるので、
携帯電話の電源は切らないといけません。
これは合理的です。
しかし、ペースメーカーをつけている本人でも、携帯電話とペースメーカーの間に、
たった二十数センチの距離を置けば、携帯電話は使用可能です。
ですから、すいている電車で携帯の電源を切る必要はないんです。
(ただし、着メロ、着うたはうるさいので、やめてほしいですが)

個別に事情は色々ありますが、「ただし、××の場合は、この限りでない」という文が
あちこちにあるような規則だと、複雑になってわかりにくくなります。
ですから、本来の趣旨が何であるかがわかりにくい簡単な文面の規則が制定され、
ついには、「規則は規則だから」という論理になってしまうんですよね。
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