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中国の学生からの問題:「大化の改新の戸籍制度」
大化の改新の時、戸籍制度が作られました。その時、同一戸籍に入籍する条件は何ですか。
私は中国の日本語科の学生で、この問題を論文として出さなければならないですが、それについて全然見つけられません。皆さん、助けてください。お願いします!

A 回答 (5件)

古代戸籍制度については異論、新発見、新解釈などあって、


ネットの範囲の資料では、Wiki関係が一応網羅的に把握できます。
日本語記事ですし、虱潰しに追うのもエネルギーが要るものです。
調査の援けになればと思いご参考まで。

■戸籍の関係年表
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8F%A4%E4% …
リンクを辿っていくと制度の変遷と概要が分かります。
直接リンクのないものもあるので以下に挙げます。

・庚寅(こういん)の年籍
689年(持統3)飛鳥浄御原令にともない、その戸令(こりょう)に基づいて690年(持統4)に全国的な戸籍の庚寅年籍が作成された。現存しない。
五十戸一里を基準に行政的に戸を編成して、その戸内の家族(戸口)の名・年齢・戸主との続柄などを詳述したことによって、個々の家族構成を直接的に把握することを可能にし.....
年齢別人口構成や家族形態などを具体的に知ることが出来る.

・庚午(こうご)の年籍
http://www.weblio.jp/content/%E5%8F%A4%E4%BB%A3% …
703年(大宝3)日本で最初の全国的な戸籍は、「庚午年籍」であるという。しかし現存しておらず、全国的に全ての階層の人民を対象にして造籍したのかどうかも疑われている。

・戸籍と同じように、律令時代の人口(人頭)を知ることの出来る史料として、計帳がある。
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8F%A4%E4% …
目録は、具体的な戸の内容を記載していない。数字だけの統計文書である。
毎年の歳入予定を知るとともに、全国の口数、特に課口数を掌握していたのである。成年男子の21歳~60歳までを正丁(せいてい)といい、課役の対象となった。

*ご質問の、戸籍と構成家族の基準については記載が見当たりません。
 当時は文字、係数に通じていたのは役人です。庶民には名前はあっても
 苗字(姓)がない時代ですし、どのような記録を作ったのか?
 課税と徴兵の基礎データとしての重要性から、
 中央政府に送られたのは員数のみのようでもあります。
 時代が下ると個人名入りの「死亡帳」「陰首」
   (冒頭「戸籍の関係年表」下部参照)などもありますが。

ご参考:
日中歴史共同研究における古代・中近世史の研究
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/reki …
『古代・中近世史 総論』
・9頁の最終行~10頁(通算頁154~155)
実際に日本の郡では課税台帳となる計帳(厳密には歴名)が毎年作成されていた。これは戸ごとの構成員を記した名簿で、名前、年齢だけでなくホクロなどの身体的特徴まで記入されていた。
・10頁中段
律令政府は地方に倉を立てて中央から派遣された国司に鍵を管理させた。同じことは計帳の作成にも当てはまり、中央は畿内以外の諸国から個人の名簿を提出させることが出来なかった。
大和政権は天皇と畿内の豪族による連合政権であり.....。
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良民男女である事。

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不誠実な回答が見受けられるので、ひとこと。



大変申し訳ないですが、直接的に詳しい回答はできません。
大学受験生だった頃はもう少しましな回答ができていたかも知れませんが、あれから何十年も経ちますので記憶が定かでありません。
ただ、ヒントとしてなら・・・、

高校生用の日本史の参考書を覗いてみて下さい。
いろいろあるので、できるだけ、詳細な内容のものを吟味してみて。

大化改新の直後、というよりも、もう少し時間枠を広げて、

そしたら「律令制度」という単語があると思います。
そこの、「班田収授法」という単語が出てくる部分とその前後あたりをよ~く調べてみてください。

もっとも、すでに「そこは押さえた上」での質問ならば、私のこの拙い回答は役に立ちません。

そのときは、あしからず。
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この回答へのお礼

有難うございます。私は「律令制度」という単語を使って調べました。本当にいらいらな役に立てる資料が出てきました。

お礼日時:2010/06/24 02:12

「大化の改新の時、戸籍制度が作られました。

」とのことですが、
大化の改新の時は、まだ全国レベルの戸籍制度ができていなかったというのが日本の学説の主流です。
ですから、新しい日本の歴史の本には大化の改新の戸籍制度については書かれていないと思います。
大化の改新以前から天皇家や各豪族の領地で独自に戸籍のようなものを作っていたようです。
全国レベルでは飛鳥浄御原令(「あすかきよみはらりょう」と読みます)681年以降ともいわれています。
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この回答へのお礼

この答えは本当に役に立ちました。有難うございました。

お礼日時:2010/06/24 02:02

足の短いものから順に戸籍に登録していきました。


つまり、足の短い人たちの戸籍が先につくられて、最後につくられた戸籍は足の長い人です。
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この回答へのお礼

有難うございます!よく理解できないんですが、「足の短いもの」は、何を差していますか。本当の人の足ですか?

お礼日時:2010/06/24 01:55

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