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哲学とはどういう学問で人にとってどのように役立つものですか。

ウィキペディアなども読んでみましたがいまひとつよくわかりません。
ここの質問や回答をいくつか読んでみましたが
どうでもいいようなことをああでもない、こうでもないとやりあっているようなもの
抽象的であったり難解な文章が並び、これで本当にコミュニケーションがとれているのか
と驚くようなものがありました。
それで哲学とはどういうものなのか
さっぱりわからなくなってしまいました。

A 回答 (26件中21~26件)

哲学はいろいろ種類がありますが、真実を求めようとする学問であることはどの哲学でも同じです。


その多くは、人間や社会や世界についての根源的な認識を対象にします。または認識そのものも対象になります。

例を挙げて言えば

人生の価値とは何か、生きるとは何か、人間の価値は何によって決まるのか
善悪とは何か、正義とは何か
この世界はどうやってうまれたのか、終わりはあるのか
人間はものごとを正しく認識できるのか、真実とは何か

などになります。

私達は生きるにあたって、意識的にも無意識的にも自分の思想をつくっています。
その思想の根元にあたるのが、自分の認識です。
「こうだからこうだ。」という考え方の、最初の「こう」の部分が認識です。
その最初の認識が重要であることに気づけば、人は真実を見つけるために哲学を始めます。そしてその人にとっては、先人らによって考えられた哲学がとても価値のあるものになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど真実をもとめようとすることが哲学なのですね。
>「こうだからこうだ。」という考え方の、最初の「こう」の部分が認識です。
理論的に考えることが大切だということですね。

お礼日時:2010/07/18 00:29

高校までの学習を終了していることを前提に、話します。


高校社会の倫理という科目で、哲学や宗教について学習します。
国語、外国語は、言葉と論理の学習ですね。哲学の重要な要素です。
理科は、自然科学の一部分です。ニュートン力学(微分積分学)が、太陽系の惑星と太陽の運動を解明して、同時に、地球上の物体の運動も同じ方程式で表わすことができることを発見した。そして、産業革命で、生産力を解放した。力学的自然観と資本主義生産の万能論が登場します。世界観、人間観、歴史観、これらも、哲学の重要な要素です。
地学で、天文学の一部を学習します。宇宙は、138億年の歴史をもっています。太陽系の歴史が46億年です。地球の歴史は、地質学などで、かなりわかってきました。生物の歴史は、38億年くらいでしょうか。
歴史では、文字に記録された資料をもとに研究するので、数千年の歴史です。
理科が、自然科学の一部分なら、社会は、社会科学の一部分です。
人文科学のなかに、国語、外国語、歴史、心理学、哲学などが入るでしょう。
体育は、健康、医学に入るのでしょう。芸術は、表現ですね。
さて、哲学とは、うーん、「倫理」の授業をのぞいてみてください。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2009/radio …
「現代社会」「政治経済」「地理」「日本史」「世界史」「地学」「生物」「物理」「化学」「理科総合」
「数学」これらの科目もすべて、「哲学」の構成部分です。
「問い」をたてること。「問うこと」が哲学ですね。いろんな問いがあります。根本問題、それを避けては、生きて行けない「問い」もあります。
若い人々の、人生の選択に、職業の選択、配偶者の選択、思想の選択(世界観の選択)があると思います。
「世界観」というと、かたくるしく、難しそうですが、やさしく言うと、「ものの見方、考え方」です。
人間は、労働によって、生産するようになったので、自然、社会を変えてきました。「ものの見方、考え方、変え方」といえば、もっと正確です。
自然には、自然の法則があります。自然科学の受け持ちです。社会にも、法則があります。社会科学の受け持ちです。思考、思想、感情、理性など、大脳の活動には、哲学と宗教が対応してくれます。
古代から、人類は、どんな「問い」を考えて、どう答えを見つけてきたか?「ソフィーの世界」NHK出版、という本を読んでみて下さい。
政治の世界にも、哲学は存在します。各政党のホームページを読んでみて下さい。綱領という文書には、自分たちの政党の理念を堂々と述べています。唯物論は、かくしません。自分たちが唯物論にたって、活動していることを表明します。観念論は、手ごわいです。難解です。
正しい理論を学ぶと、未来が見えてきます。占いではありません。現実の社会の矛盾が、どのような仕方で解決されていくかが、よくよくわかるようになります。
「問い」が大切です。お励みください。

参考URL:http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/index.html

この回答への補足

>正しい理論を学ぶと、未来が見えてきます。
正しい理論というのがよくわかりません。

まちがった理論では未来が見えてこない、ということですね。
すいません、お礼を書いてから気がつきました。

補足日時:2010/07/18 00:32
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「問い」をたてること。「問うこと」が哲学ですね。

なるほどそうなんですか。
私は疑問をもつことは、知識を得ること以上に大切だと思います。

>「世界観」というと、かたくるしく、難しそうですが、やさしく言うと、「ものの見方、考え方」です。

この表現は気に入りました。
誰にでもわかって、誤解がない表現ですね。

>正しい理論を学ぶと、未来が見えてきます。
正しい理論というのがよくわかりません。
自分では正しいと思っていてもまちがっていることもあるのでは。

お礼日時:2010/07/18 00:23

哲学とはどういう学問で人にとってどのように役立つものですか。



○あなたの存在理由が何かと問うものですね。難しいものじゃありません。
簡単に言えば、あなたの存在が神仏によるものだと信じればそれが答えですね。要は、算数や物理のような理論や答えではないのですね。
じゃ何故そんなものが必要なのと問われれば、知らないと存在できないからなのですね。
最近、宮崎で牛が大量に殺処分されましたね。牛から観れば人間は神様だよね。牛は神としての人間に問いますね。何故、何にもしていない僕らを殺すのですかとね。人間はいいますね。だってあなた方は病気でしょ。病気なら処分するしかないでしょ。ということなんですね。人間も神(地球も含みますよ)から観れば単なる牛並みの生物でしかないのですね。ちょっと高等な生物が存在理由を忘れれば病気ですから殺処分ですよね。地球の生物としての人間が生存を許される条件は存在理由を知ることしかないですよね。それがわからなければ神仏にすがるしかない。だから哲学や宗教が存在するのですね。
数学や物理、医学がなくても人間・個人の生存には何にも影響ないんですね。長生きしたいか、はたまた便利かどうかだけでしょ。どんなに便利でも1時間に100mmも雨が降ればアウト、頑丈なビルも地震でアウトなど、そうなれば科学は役に立たんのですね。まったく役に立たないことがわかると哲学の大切さが身にしみてわかるようになりますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あなたの存在が神仏によるものだと信じればそれが答えですね。
つまり、信じたことが哲学なのですか?
信じたことが間違っていたらどうなるのでしょうか。

>知らないと存在できないからなのですね。
こちらのほうは何となくわかるような気がしますが。

>地球の生物としての人間が生存を許される条件は存在理由を知ることしかないですよね。それがわからなければ神仏にすがるしかない。だから哲学や宗教が存在するのですね。

つまり宗教とは哲学を理解できない人がすがるもので、宗教と哲学は対立するものなのですか。
たしかに自分の頭で考えることのできない人が宗教にすがることはあるように思います。
しかし宗教者であってもきちんと考えておられる方もいます。

>数学や物理、医学がなくても人間・個人の生存には何にも影響ないんですね。

確かに生存するということだけを考えるならば。
しかし科学は役にたたないかな。
少なくとも私にはワクワクする楽しさがあるように思えますが。

お礼日時:2010/07/18 00:03

もし人の生きる目的が物質的豊かさならば、哲学(=物事の意味を深く知る努力)


に大した意味はなく、学問は生産技術の向上のためにのみ寄与すべきものですが、
生きる目的が精神的な充足感のためならば、その指標は物質的豊かさだけでなく、
物事の意味を理解する事が重要な関数となります。

ところが、これまで人類の進化は、認識性の発達による自覚的な行動の多様化
(=適応)によっており、その一環の社会性の発達においても、助け合い
(原始共産制)として自律的社会行動をとっていたにも関わらず、分業化&
市場の拡大において、その「助け合い」の情報(感謝)をお金という物質に
付加したために、その「お金」が独立した価値を持つようになり、盗んだお金も
マネーゲームで稼いだお金も、苦労して(実体生産して)稼いだ金と同じ価値を
持つようになり、助け合う喜びのためではなく、「お金」という物体を得るために、
イヤイヤ働かされるようになってしまった(他律的社会化)。

今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるだろう?
人が捉われているのは、“お金(&その源泉としての出世)”という虚構の価値で。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を
発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に
社会行動をとらせる道をとったのだ。
(認識の発達による「自覚的生存=ヒト型進化」から、自己チューなままの
「他律的生存=アリ型進化」への転針)
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食の
ジャングルに変える、悪魔のツール。
その結果たる“自己チュー”な意識において、その意識の希薄さ(非自覚的生存)
によって精神的充足量は減ずる一方、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に
尽きるものになってしまう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

哲学とは物事の意味を深く知る努力のことですか。
それならば私は哲学をしていることになると思います。
私にはやりたいことがあり、精進していると自分では思っているからです。


>(認識の発達による「自覚的生存=ヒト型進化」から、自己チューなままの
「他律的生存=アリ型進化」への転針)

こういうことから哲学は悪魔のツールになった、
とそういうことをおっしゃているのでしょうか。

お礼日時:2010/07/18 00:01

役に立たないものの総括が哲学です。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
わたしもそのように思うことがよくあります。
時間の無駄なんじゃないか、と・・・。

お礼日時:2010/07/17 23:22

ようはもう自己満ですよ、AさんにとってみればすごいことでもBさんにとってはへーそうなんだ、で終わりなんですから

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私もそのように思うことが多々あります。
「へーそうなんだ」どころか「えーっ、なんで?」と思ったりもします。

お礼日時:2010/07/17 23:21

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