フランス王妃マリー・アントワネットとルイ16世の間には確か3人の子供がいたと思うのですが、それぞれがその後どうなったか教えて下さい。

A 回答 (3件)

探してみたらニュースとして載っていたので、URLを書いておきます。



参考URL:http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。昔「ベルサイユのばら」を読んでずっと疑問だったもので・・・生き延びたという説もあったようですし。すっきりしました。

お礼日時:2001/05/04 20:58

1778-1851 マリー・テレーズ(夫:フランス王太子ルイ・アントワーヌ(19世))


1781-1789 ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ・フランソワ
1785-1795 ルイ・シャルル (ルイ17世)
1786-1787 マリー・ソフィー・ベアトリス(夭折)
の4人です。

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/pe …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。正しくは4人だったのですね・・・?

お礼日時:2001/05/04 20:53

長男は幼いうちに病死。


次男に関しては諸説があったそうですが、結局牢獄の中で病死していた事が
明らかになったそうです。最近、TBSの「世界不思議発見」でやっていました。
もう一人に関してはわかりません。
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この回答へのお礼

私も観たような気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/04 20:56

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Qルイ16世 フランス革命

ルイ16世が書いた本や手紙を探しています。
又、スピーチ文等も探しています。
フランス革命前の文、彼が残した言葉など、なんでも結構です。

ルイ16世で探しても、マリーアントワネット系の情報しか手に入らなかったので、質問させていただきます。

Aベストアンサー

Musee de l'Histoire de France(フランスの歴史博物館)に遺書があるそうです。
書簡のあるマリーなどと違って資料が少ないですよね。

参考URL:http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=6607

Qマリー・アントワネットのフランスでのイメージ

カテゴリーが違うかもしれませんが、歴史に詳しい方も多いと思いますので・・。

フランス革命で断頭台の露と散ったマリー・アントワネットですが、日本国内では豪奢で国民の反感を買ったというイメージがある一方、単純に世間に疎かったというか、ちょっと可愛そうな人だという印象を抱く人も多いのではないかと思います。

オーストリアから来たとか、パンがないのなら菓子をと言ったとか、虚実取り混ぜていろいろ反感を買ったのだとは思いますが、現在ではどういう印象を持って一般的フランス国民は見ているのでしょうか?

それと、夫のルイ16世については、どうでしょうか?
贅沢なかみさんを持ってしまって苦労した夫という感じでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 わたくしはフランス史にはまったく詳しくはありませんが、ちょっと現地で耳にしたことや書物から得た印象からこの二人について書きたくなりましたのでお許しを・・・・。

 ルイ16世・・・・・この方は政治にはあまり興味が無く、議会でもアクビに居眠りといった感じであったというのが定説です。
 国政はもとより、夜毎のパーティーにも興味はなく、ダンスすらも上手には出来ず、ただひたすら趣味の錠前作りや石工、狩猟に没頭していたとか。
 錠前作りなどは手伝いの少年まで雇っていたし、私室はほとんど金工細工の工房、そのために黒く汚れた爪を日頃から王妃マリーが非難していたとも。こうしたことは当時の女官長だったマダム・カンパンが手記に書き込んでいますが、これが後々の彼のイメージになったようです。

 
 ともあれ、このマダム・カンパンという人物、かなり評価は低く、当時とてお喋りカンパンとして有名だったと言います。
 まして、事実はそうひどいものでもなかったようです。まず16世は大変な読書家で博識で、いろいろな分野にわたって専門知識も人並み優れて豊富であったとか。
 しかも、人の話には十分耳を傾け、よく考える人柄であったし、かなり広い分野にわたって的確なアドバイスを与えられる、そこにも彼一流のものがあった、それがどうやら事実のようです。

 つまり、王としての実力はけっして不足してはいなかったということでしょう。しかし、彼の時代には国政も行政も、そのほとんどすべてが事実上王の権限や権力の及ばないところに移ってしまっていた、つまりルイ16世にしてみれば、すでに王として国政に手を出すすべもない状況に押しやられていた、それが革命を目の前にした実情であったように思います。

 一方、マリー・アントワネット・・・・・「パンがないのならお菓子を食べれば・・・・」という有名な一言がありますが、これもどうやら後世に作られたものではないかと聞いています。

 庶民のことはなにも知らない「お姫様育ち」であったように伝えられていますが、ある面たしかにそうであったとも言えましょう。それでもなお、一方で慈善や庶民の生活改善といった面での活動の実績も少なからず垣間見えます。そうした事実を知る限り、単なる無知なお姫様上がりのお妃とも言えないような気がしてならないし、たしかに可哀そうとも言いたくなるところがあります。

 とにかく、彼ら夫妻にとってはあまりにも時代が不利になっていたようです。もともとフランスは、今でもそうですが、貧富の差が極端に激しいお国柄、一部の実権を握った者が王政の無力さを謳い上げ、無能であまりにも封建的な王政こそが極度の貧困の原因だと民衆の蜂起を煽った、そしてその際にこうしたゴシップが流された・・・・・どうやらわたくし自身はそう思わざるを得ないと感じています。

 世が世なら、彼ら夫妻はきっと穏健派の指導者として良い国政を敷いたと思います。
 マリーが16世のもとに嫁いだ日にパリ市は彼女に歓迎の意を込めて「市民の鍵」を贈っていますが、のちにあの華麗なベルサイユ宮殿から市内の老朽化したチュイルリ宮殿(現在のチュイルリ公園の位置にあった)に彼らを移した際にもパリ市はふたたび「市民の鍵」を贈っています。この二度目の「市民の鍵」がいったい何を意味していたのか・・・・・今これを調べているところです。

 わたくしはフランス史にはまったく詳しくはありませんが、ちょっと現地で耳にしたことや書物から得た印象からこの二人について書きたくなりましたのでお許しを・・・・。

 ルイ16世・・・・・この方は政治にはあまり興味が無く、議会でもアクビに居眠りといった感じであったというのが定説です。
 国政はもとより、夜毎のパーティーにも興味はなく、ダンスすらも上手には出来ず、ただひたすら趣味の錠前作りや石工、狩猟に没頭していたとか。
 錠前作りなどは手伝いの少年まで雇っていたし、私室はほ...続きを読む

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the last direct descendent of Abraham Lincoln.
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Aベストアンサー

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Qマリー・アントワネットは「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」と言いましたか?

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。

はい。アンワネットが言い放った「迷言」として、後世まで語り継がれていますが、実際は違うらしいです。

彼女の驕慢・華美な生活ぶりはあまりにも有名ですが
それを誇張したものだと言われています。

それと、死刑の前夜、一夜にして彼女の髪が白髪になったというエピソードもありますが、医学的にはそんなことあり得ないそうです。
 
 いろんな意味で有名な人物には、そういった伝説(デマ?)は付き物なのでしょうね。
 
 余談ですが、キリストが誕生する直前に、大きな光り輝く星が、3人の博士を導いたというのもありますが、天文学者ケプラーによると、キリスト生誕の年
(諸説ありますが)あたりに、惑星の大接近があったと。それが、上述した星であり、その天体現象があった年(紀元前7年?)がキリスト生誕の年ではないかとケプラーは提唱しています。


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