アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

形あるものはいつかは壊れる。しかし、技術の進歩により明るい未来の象徴でもある、耐久性のあるものが開発される。
それにより、 壊れにくい = 買い換える必要が無い、生産の集約化も進むと考えられるが、

今、政府を筆頭にして借金が大繁殖、ウィルスの様に猛威を振るっているわけだが、その原因、貨幣、金融等根こそぎ撲滅するべきものではないのか?


所得格差の是正から貨幣の廃止へ
世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。

そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がゼロになる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、その時何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、
次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」

配給経済
「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。
 この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。
 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。
 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。
 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。
 もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。
 例えば、芸術家はその作品が売れるかどうかを、気にかけることなく絵を描くことができ、そしてその作品を、通人気取りや欲がらみではなく、本当に評価してくれていると思う人たちにのみ、与えることができる。
 ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても、その作品は大量に生産され、一つ持ちたいと望むすべての人びとに配給されることになる。
 また、希少品についてはどうだろう。二十一世紀の文明は、人間の天才以外の希少品を知ることはないであろう。キャビア、シャンペン、ダイアモンド、何であれ、これらすべての物は実験室で合成され、好きなだけ生産することが可能になる。ぶどう酒、ダイアモンド、キャビア、肉、香水等々、すべては化学的なものである。つまり、あらゆる化学式は、科学的に再生産され得るのだ。生命そして人間でさえも、その遺伝子コードの中にその個性のすべてを含んでいる、D・N・A の分子に他ならないのである。
...(ラエル著天才政治)》

所見など?

A 回答 (3件)

人はパンのみに生きるにあらず...(聖書の誰か)

この回答への補足

創造者のメッセンジャーですか。

補足日時:2010/09/04 12:16
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Thanks.

お礼日時:2010/09/07 13:36

そんな世界になったら、人類は衰退


絶滅するんでないですかね。

格差があるから、社会が活性化するんでしょう。

問題は、格差が在るか、無いか、ということではなく
格差が極端か、格差が固定化されていないか、
ということです。

この回答への補足

格差とは何だろう?人とサルの違いか?人と獣の違いか?人とサメの違いか?一般人と有能な指導者の違いであってほしくはないか?

《天才たちが人類全体の境遇を改善するために働くのに対し、政治家たちは自分自身が利権を得るために公約をする。どちらが統治に値するだろうか。

人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである!(ラエル著)》

世界には人々の生活・将来のために克服しなければならない技術的問題が多々あるとおもうが、金権にはそれらを解決する能力は無い。
一般人にしても、金だけ要求する類と、与えられた技術的問題の克服に取り組む類に大別されるとおもうが、一般の有権者から票を集めて代議士を気取り、挙句に金集めを画策する、今の政治は愚かを絵に描いたようだと言えないか。

「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」

金集めしかできない輩に、実現できる内容だろうか?
日本を原始的な金権腐敗から脱却させるべきである?

補足日時:2010/09/04 12:13
    • good
    • 0
この回答へのお礼

法がしっかりして後、社会が活性化、発展するではないか?
無法は人類を滅亡に導くではないか?

thanks.

お礼日時:2010/09/07 13:44

コンピュータが万能である、という仮定は誤り。



よって、今後も人の望みを満足させる為には、設備の運用が不可欠である。

誰がやるのか?
芸術家が好きに絵を買いていて技術者は黙々とモニタとにらめっこしないといけないのか?
電気設備であれば大学数学、物理は必須。
通信設備であれば同様に技術は必要。
その他、医療をするにも技術の習得が必要である。
そのような人の犠牲の上に多くの人の普通の幸せを作り上げるのか?
誰もそのようなことをしないと思います。

今の社会が完璧ではないですが、あなたの考えよりは合理的に動いています。

あなたの目指す社会ができるには、完全な科学が必要です。
それには、資本競争の時代か、それと同様以上の進化を求める社会が必要です。


あなたはゴールだけを示して、仮定を示さない。
それは子供のおかしの家と同じレベルの発想です。
そして、ありもしない幸せを妄想して、努力でできた社会を一方的に否定しているだけです。

クソみたいな政治家でもまがいなりに人の責任を預って行動している。
あなたはそれ以下です。
行動しているなら、それを示して、回りの人もいっしょに動かして下さい。

この回答への補足

_天才政治に基づく世界政府の樹立
 統治とは、先を見通すことである。したがって将来の見通しを全く持たない統治者は、統治する資格がない。
 そういうわけで、先を見通すことのできる人びと、つまり天才たちによって構成される単一の世界政府を、早急に樹立する必要がある。

 天才たちが人類全体の境遇を改善するために働くのに対し、政治家たちは自分自身が利権を得るために公約をする。どちらが統治に値するだろうか。
 世界が平均より知性の高い人びとによって統治されることを望むのは、愚かなことなのだろうか?
 私は、自分が平均より知性が高いかどうかは知らないが、自分より知性の確かに高い人々によって統治されることを望んでいることは知っている。
 今日、私たちを統治している者たちが、私たちより恵まれた環境に育ち、高等教育を受け、莫大な金と縁故を持っているということは皆知っている。
しかしそんなことは、かれらを私たちの指導者として承認するための、適切な基準とはいえないのだ!
 なぜなら、マイクロ・コンピューターと情報科学の時代にあっては、博学や知識の蓄積といったことは、もはや何の役にも立たないからだ。新時代の人間は多くを知る必要はないが、コンピューターによって随意に提供される、理解するために必要な情報を感じとり、分析し、総合し、そして即座に選択することができなければならない。コンピューターが人間の記憶を限界から解放してくれるのだから。
 また、新時代の人間は、科学とりわけ情報科学の発達によって、純粋さを、ほぼ本来の裸の姿を、いわば再発見するであろう。必要なときは、いたるところに設置した機械に貯えられた知識が、かれに役立つように提供されるので、自分の進路を選択するためには大きな原則を知るだけでよい。
 知性を純粋な状態に置こう!
 各政府が天才たちにしかるべき場所を与えていないのだから、天才たちはその場所を自分自身の手で、しかも世界的規模で手にいれるべきだ!
 でも、どのようにして?中立国に、仮の「天才政治に基づく世界政府」を樹立するのだ。それは自分たちの研究成果が、軍人や政治家の手に握られるのを拒否する科学者たちによって構成される政府である。これらの科学者たちは、最終的には、「天才政治」の確立を願い、そして後に全会一致で承認されるならば、そこで働く科学者たちが発明した作品や、安全な機械の商品化により、利益をあげることを願っている人たちで出資される研究センターの創設を計画している。
 この「天才政治に基づく世界政府」は、さらに審議の結果を最初の五年間は公表しないことを決定し、それを合法的に管理人の監視のもとに置くことができる。それは、もし実際に統治が行われていたとしたら、避けることができたであろうあらゆる問題を浮かび上がらせ、またその研究成果が、なんら功績のなかった「平均政治的」政治家たちによって利用されるのを防ぐためである。逆に、これらの「平均政治的」政治家たちの国の世論に、かれらが別の行動をとることが可能であったことを示せば、必ずやかれらの名声は汚れ、それらの諸国に、次回の選挙からは「天才政治」主義者を選出したいという願望を起こさせるであろう。
 というのは、この事実上の「天才政治に基づく世界政府」による諸活動の一つが、世界中のあらゆる国々で、世界的な「天才政治」実現のための国民的運動の創設を促進するだろうからだ。
 大事なことは、「天才政治」を強制することではない。「天才政治」というこの選択的民主主義を実現するために、原始的な民主主義を廃止にする必要性を、民主的に認めさせることこそが大事なのである。
 世界的「天才政治」実現のための国民的運動が、一国の全国民によって民主的に選ばれるとき、その国は「天才政治に基づく世界政府」によって、自ずから統治されることになるのは明白である。そして、各国が「天才政治」への道を選択するにつれて、「天才政治に基づく世界政府」の構成員の集団は数を増していくだろう。それは地球の住民の少なくとも半分が、世界的「天才政治」への道を選択するまでである。その時には、他の人びともそれに従うことを余儀なくされ、地球の人類は最後には統一されるだろう。(ラエル著)_

全世界規模でやってほしくはないか?金権は通用しなくとも、知性に国境はないのでは?

補足日時:2010/09/04 12:26
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 人間は強制労働をするようには創られていない。それにもかかわらず、あなた方はすべて、六十才から六十五歳の引退でようやく放免される、終身の強制労働を宣告されているようなものである。

 将来はどうなるのだろうか?労働時間はますます短縮されるだろう。一日六時間、五時間、四時間、三時間......と次第に短くなっていくはずである。
 逆に、年次休暇は長くなっていくだろう。また引退の年齢は、五十歳、四十五歳、四十歳......と次第に早まっていくだろう。

 そのとき人間はどのように時間を費やすのだろう?あなたはどう思うだろうか?ここに一つの問題が浮かび上がってくる。あなたの受けた教育があなたをも汚染し、強制労働の終身刑に同意するようにあなたを形造ってしまっていることだ。人間には二つのタイプが出てくることになろう。一方は、一つの天職「天賦の才」を持ち、余暇もしくは引退後に、自分の好きな領域で自発的に労働することで自己開花する人びと、他方は、余暇を、自分の教養を高めたり文化活動やスポーツなど、各人に応じた娯楽のために活用する人びとである。
 各人の自由時間が次第に増えるにつれ、常時あるバカンスでこれらの大衆を楽しませるために、あらゆる種類の作家、画家、詩人、エンターテイナー、芸術家がますます必要となるだろう。あるときは生産者、あるときは消費者というように、各人がその能力と嗜好に応じて自由にその立場を変えるのである。

 一定期間(できる限り早急に)が経過すると、労働時間はますます短縮され、引退年齢もますます早まり、最後には義務的労働、強制的労働は完全に廃止されることになるだろう。働くことが好きな人々のみが「自発的に」労働を続けるのだ。そのとき人びとは、「人権宣言」の第一条に「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」と記すであろう。

 それではその時、必要不可欠な仕事をいったい誰がやるのかと、あなたは私に問うだろう。それは、機械がやるのだ!既にロボットは人間の負担を軽減し始めている。

 しかし、明らかに資本主義社会では、このシステムは成功の見込みがない。というのは、例えば工場の所有者は、全労働者を解雇し、かれらにはもはや給料を払わず、そうすることでかつての労働力であった労働者を飢えるままにしておきながら、機械のおかげで自分たちは荒稼ぎするからである。これは不正であり容認できないことである。
百人の労働者に代わる一台の機械を製造させた経営者は、もはや働くことのなくなった百人の労働者たちに給料を支払い続けねばならない。その時機械は、労働者たちがレジャーと開花の文明に入ることを可能にするのだ。

また、人間が強制労働の機械、もしくは強制労働の場所へ行く通勤の機械と混同されている限りは、技術は社会の人間性を喪失させることになろう。機械と人間とは決して混同されてはならない。人間は開花のための場所で存在するように造られており、いっぽう機械は、ロボットやコンピューターに管理されて、労働のための場所で存在するように造られているのだ。
 人間によって遂行される労働はすべて、必ず機械によって遂行されることが可能だ。人間が行うことのすべてをコンピューターは行うことができ、しかも、人間よりもはるかに上手に行うことができる。人間にはミスがあるが、コンピューターには決してない。
 もし地球上の軍事予算に使い尽くしている金額を、工場、生産現場および事務所の改良に投資するなら、七年間で労働は完全に自動化され、人間はもはや労働する必要がなくなるであろう。
 人間は自己開花するために造られ、機械は働くために造られている。ロボットが人間の作業を行うべきであって、人間がロボットの作業を行うべきではない。しかし現在、すべての企業で起こっていることは、残念ながら後者である。
 それでは、誰が機械を監視するのかと、あなたは私に問うかもしれない。それは実に簡単なことだ。生産手段の完全な自動化に必要な最初の約十年間は、軍隊が、この監視と保持の仕事に配属されることが可能である。あるいはさらに、現に毎年何週間かスイスで行われているように、兵役にかわって、公的サービスが一、二年のうちに創設されるかもしれない。そうすると、召集兵と専門家集団のみが各生産単位で働くことになり、それ以外の人間は完全に自由となる。(ラエル著)

Thanks.

お礼日時:2010/09/05 13:41

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!