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カウンセラーを選ぶとき

とある事を苦にしておりまして、カウンセリングなどで解消されるならと思っています。

しかし、私がした経験というのは、普通の人が経験する可能性がある事の中でかなり悪い部類の事で、私以上にヒドイ経験をした人でないと話にならないんじゃないの、と思ってしまっています。
まあもちろんそう決めつけるのはおかしいのですが、自分より若い人だとか、明らかに苦労知らずな人とかはやっぱり頼る気になれません。(以前、その問題の件の直後に精神科に行き、カウンセラーが常駐していたのですが、その人が若い女性で、涙を流したりして共感してはくれるのですが、一般常識的な知識も乏しく、人生経験も少なく、とんちんかんな事を言うので疲れてしまいました)

しかしこれ以上悪い事って、「冤罪で服役させられる」「自分や家族が犯罪に巻き込まれひどい暴行を受けた上殺される」「全身が動かなくなるような障害を負う」とかそういうレベルの事だと思います。そんな人がカウンセラーになっている訳もなく。

せめてある程度人生経験がある人に、と思うのですが、何を基準に選べばよいのでしょう?

A 回答 (5件)

臨床心理士です。



>とある事を苦にしておりまして

この「苦にしている」の内容や、それによって生じていることによっては、カウンセラーよりも、精神科医に診てもらう方がよろしいかも知れません。
つまり、「フラッシュバック」のように、突然、繰り返し思い出されることがある、それによってノイローゼのような状況にある、あるいは、そのことを考えるとかなり気持ちが落ち込んでしまうといった、かなり苦しい、辛い状況にあるとか、何らかの精神的な(身体的も含みます)症状が出てしまっているという状態であれば、まずは精神科医に診てもらうことが必要だと考えられます。

純粋に心理学的レベルの悩みであれば、カウンセラーへの相談でも解消される可能性はあると考えます。
その際、カウンセラーを選ぶ基準ですが、質問者ご自身がおっしゃるように、ある程度年齢がいっていて、人生経験だけでなく、さまざまなクライエントに会い、種々の相談に携わったという意味で経験のあるカウンセラーの方が、よいでしょう。

あるいは、場合によっては、身近にいらっしゃる年上の、それなりにさまざまな経験を積み、人の話をきちんと聞いてくださる方の方がよいかも知れません。
いわゆる、「酸いも甘いも噛み分けた」年長者、ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

参考になりました。

お礼日時:2010/09/28 01:36

No.4です。


すみません、補足させてください!

お寺といっても、古くからあって地域の信頼を得られていることが必須条件です。
新興宗教や、法外な相談料を請求するところにはくれぐれもご用心くださいね。

説明不足で失礼しました。
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はじめまして。

大変な悩みをお抱えのようですね。
軽率なことは書けないなぁと思いつつ・・・。

親の意向で中学生の頃、精神科内でカウンセリングを受け
成人後、自分の意思で民間のカウンセリングルームを訪ねました。
何だかんだで計4人のカウンセリングを受けたのですが
(当時の推定年齢は、20代男性、4~50代男性2人と同じく女性1人)
年齢や経験にはあまり関係なく、そういうものらしいです。

質問者さんに必要なのは、少しでも心を休めることですよね?
相手は必ずしもカウンセラーでなくてはいけませんか?

自分なりに少し考えてみたのですが、お寺でお話されてみるのも
ひとつの手かもしれませんよ。あらゆる悩みやその対処法を
ご存じの僧侶も多いはずですし、相談相手としては経験豊かです。
もちろん個人差はあると思いますが・・・あくまで参考意見として。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

参考になりました。

休む事が必要と言うよりは、自分の想像を超えるような嫌な目にあって、世の中にはこういう事もあるんだという事実を心が受け止めかねているという感じでしょうか。数年たちますが、フラッシュバックというのか、思い出すと大変苦痛です。と同時に、これに慣れないといけないとか、自分なりに整理をつけて思い出しても平気にならなければというような気持ちが働き、つい傷口を触ってみるような感じでじっくり思い出してしまったりします。
そういうかたちで克服できる事なのかどうなのかわからないのですが。

また、休む事が必要だとしても、これ以上は休む事は物理的にできませんので・・・。

その出来事の直後は確かにお寺などのイベントに心ひかれたのを覚えています。
何だか無償に仏さまに手を合わせたくなったものです。
しかしお坊さんって経験豊かなんでしょうか? 何かいろいろ悩んで出家された方などもいると思いますが、跡取りで寺を継いだ人はどうなんでしょうね・・・。

私たちがお坊さんを見るのは不祝儀のときばかりですが、牧師さんのように、人の話を聞いて「生きる手助け」をしたいというお坊さんも身近にいらっしゃいます。しかし本人が、なかなかそうは行かないと言っていて、現実にはちょっと難しいようですね。

お礼日時:2010/09/28 01:52

わたしの知る限り一般にカウンセラーなどの人は、


自分たちのように命をかけてきて育ったような人は滅多にいません。
そのように育ってきた人の大半がこういうメンタルの病気にかかるから
カウンセラーには、相当な努力や忍耐力がない限りなれないんです。

わたしが実際そうでした。
自分の苦しいつらい経験をしてたから経験を生かして臨床心理士になりたくて
学校も這ってまで行っていましたが体が悲鳴を上げて限界で諦めざるを得なくなりました。

ただ、わたしはどちらかというとカウンセラーが
そういう苦しい経験を経てる人もいていいと思うけども何も人生経験もとくにない
健康な人だからこそ話を客観的に聞ける能力があるんじゃないかなとも思います。

同じように似たような傷を背負ったもの同士でのカウンセリングじゃ
ただの傷の舐めあいにしか思えないような気もしなくはないのですがどうでしょう?

わたしはカウンセリングの治療には限界があると思います。
それは精神科医がいての治療でも同じように感じています。
結局自分が動いて変わる努力をするでしか本当の自分は変えられないのじゃないかなと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

参考になりました。

そうですね、健全に育ったからこそ人の話を受け止められるという部分はありますね。
しかしやっぱりあまりにも経験の乏しい人というのは困りますので、一応最低限の話がわかるということが条件になります。裕福な家庭でかわいがられ何不自由なく育ち学校を出てカウンセラーしかした事がない、いじめられた事もなければ大事な人を亡くした事も大失恋した事もないというような人はこの場合論外だと思います。

おたずねの件はカウンセラーというものの目的にかかわる問題だと思います。傷のなめあいではいけないのか、それで回復をうながされるものなのか。(私の場合は、聞いてもらっても別に何ら癒えるところありませんでしたが、まあ場合によるのでしょう)

自分が動いて努力をするにしても指針は必要だと思います。
もしも具体的にどういった療法があるとか、良い資料がある、といった情報をお持ちの方がいれば教えていただけると幸いかと思っております。

お礼日時:2010/09/28 01:43

説得しない人。


話を聴く中で、自分の中にある答えをうきぼりにしてくれ、自覚させてくれる人。
そんな感じだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

参考になりました。

お礼日時:2010/09/28 01:35

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