江戸時代の刑法・民法・判例・条例など
「八百屋お七」の人形浄瑠璃の話には思わず涙しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE% …
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その時お七は、まだ16歳(現在の14才)になったばかりであったため町奉行は哀れみ、何とか命を助けようとした。当時、15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならないと言う規定が存在したため、町奉行はこれを適用しようとした。厳格な戸籍制度が完備されていない当時は、役所が行う町人に対する年齢の確認は本人の申告で十分であった。
町奉行は評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と謎を掛けた。それに対し彼女は正直に16歳であると答えた。甲斐庄は彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え、「いや、十五にちがいなかろう」と重ねて問いただした。ところが彼女は再度正直に年齢を述べ、かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでした。これではもはや甲斐庄は定法どおりの判決を下さざるを得なかった・・・・・・・・・・。
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それで、ふと疑問が湧きました。
質問1. 江戸時代にも現在と同様の刑法・民法・判例・条例などに該当するものがありましたか。推測ですが、江戸時代の整然とした行政組織から推測すると、ほとんど似たようなものがあったのではないかと思います。関連の情報は何でも結構です。教えてください。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
(1)町奉行は旗本の中でも「切れ者」が就任し、役人の中では花形。
江戸の司法、警察、民政の全般を扱い、さらには、江戸四宿(品川、内藤新宿、板橋、千住)も管理。また、交通行政も担当したので、現在で言えば、東京都知事兼地方裁判所長兼警視総監兼東京駅長といったところ。
(2)やり直しで売り出した大岡越前守。
寛保16年(1731)に無宿の伝兵衛という男が、火付けの罪で火付盗賊改より江戸引き回しのうえ、火炙りの刑を言い渡されました。ところが、伝兵衛には「アリバイ」があるとの噂が、町奉行所の手付同心の耳に入った。そこで、大岡越前守は、すぐさま、密かに証拠集めを指示し、吟味のやり直しをして「無罪」を言い渡した。当時は、1審制だったものをやり直しまでして無罪を言い渡した大岡越前守は、当然、名奉行として大人気となった。
(3)中町奉行所。
通常、町奉行所というと南北二つだが、元禄15年(1702)に中町奉行所が出来て、17年間3奉行所体制で職務に当たった。場所は、今の東京駅八重洲口付近にあった。しかし、17年後には北町奉行所に合併され、幕末まで南北の2つの奉行所となった。ちなみに、南町奉行所は数寄屋橋付近、北町奉行所は呉服橋付近であった。
(4)与力と同心。
南北奉行所にはそれぞれ与力25騎、同心120人いた。与力は1万石の知行地をもらい50人で200石ずつ分け合った。同心は30俵2人扶持。その他の収入としては、江戸の各藩邸からの付け届けがあった。これは、「もし、我が藩の者が不始末を起こした時は、一つよろしく頼む」という意味合いで、賄賂と紙一重であった。幕府の初期には秘密裏に行われていたが、中期以降は役所内で堂々と受け取るようになった。
なお、与力は犯罪の現場へ行く時は馬に乗って出張ったので「騎」と呼び、同心は走っていたのでただの「人」(にん)と呼ぶ。
(5)拷問(ごうもん)とは釣責(つりぜめ)のこと。
通常、拷問と言うと痛めつけて白状させることを言うが、江戸時代は「責問」と言った。
責問には、「笞打」(むちうち)、「石抱」(いしだき)「海老責」(えびぜめ)があった。この責問でも白状しなかった場合のみ「拷問」にかけられた。「拷問」とは「釣責」のことで、両手を後ろ手に縛り、その縛った縄で身体を宙吊りにする。これは、非常な苦しみで死ぬこともあったので、老中の許可を必要とした。
(6)死刑には将軍の印?
死罪に定まった者は、すべて調書をそろえて老中に差し出し、老中も、その罪が妥当だと判断した場合は、さらに将軍に差し出し印鑑をもらう必要があった。しかし、将軍も「そのうち見ておく」と答えて、中々判を押さなかった。
(7)死罪は6種類。
下手人・・・首を刎ねる。盗みの目的でない殺人犯で首を刎ねた後は、そのまま埋葬。
死罪・・・・首を刎ねる。強盗致傷害や10両以上の窃盗犯で、首を刎ねた後、死体を「試し切り」にした。
火罪・・・・火炙りの刑。
獄門・・・・刎ねた首をさらす。
はりつけ・・はりつけにして槍で刺し殺す。
鋸引(のこぎりびき)・・・晒し場で犯人を土中に埋め、首だけださせて、街行く人に竹の鋸で首を引かせた。その後はりつけにする。しかし、大概のばあい、町人は首を引いたりはしなかった。
(8)罪の種類。
(庶民、武士、僧侶も含む)
死刑・・・死罪、下手人、斬罪、獄門、鋸引、火刑。
遠島
追放・・・重追放、中追放、軽追放。
払・・・・江戸十里四方払、江戸払、所放(ところばらい)、門前払。
敲(たたき)・・・重敲(100敲)、敲(50敲、30敲)。
(庶民のみ)
手鎖(てぐさり)・・・30日、50日、100日、吟味中手鎖、過怠手鎖。
押込(おしこめ)・・・30日、50日、100日。
戸閉(とじめ)
過料・・・・・・・・・軽過料、重過料、応分過料、小問過料、材過料。
叱責・・・・・・・・・叱、急度叱(きっとしかり)。
(武士のみ)
切腹
改易
蟄居
閉門・・・50日、100日。
逼塞(ひっそく)・・・30日、50日。
押込
遠慮
隠居・・・蟄居隠居、永隠居。
差控
慎
謹慎
(僧侶のみ)
晒
追院
退院
構(かまい)
閉門・・・50日、100日。
逼塞・・・30日、50日。
遠慮
(婦女)
剃髪
奴
(その他)
縁座
預・・・預、永預、寺預、町預、村預、親類預。
(9)むずかしい女の取調べ。
女に対しては、原則として責問や拷問はしないことになっていた。それを知っている女は中々白状しなかった。また、裁きの時、女が膝小僧より上を出すと取り調べはすぐに中止された。そこで、悪党一味などの女には両膝を縛って取り調べをしたが、それでも後ろへ倒れたりしてのしたたかな女もいた。
まだまだありますが・・・。
No.1
- 回答日時:
Googleブックスにて「御定書百箇条」をキーワード検索すると全文が参照できます。
http://books.google.com/books?hl=ja
『鬼平犯科帳』に関係のある条文を抜粋して紹介したサイトがこちら。
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/sanko/osad …
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