西洋ではコペルニクスやガリレオらが「地球は丸い」と発見したのは中世の頃と思いますが、日本人が「地球は丸い」と気付いたのはいつ頃でしょう?
 またその他の「世界史の歴史的事柄が日本人に与えたインパクト」という視点から書かれた書籍はないでしょうか?(例えば「ローマ帝国の衰亡と日本人」や「魔女狩りと日本人」「アメリカ大陸発見と日本人」などなど)

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

ametsuchiさんの回答に対して



 確かに、地球が球体であることはアリストテレスからプトレマイオスに至るギリシャ・ローマ世界では知られていました。
 しかし、その後のローマ帝国の崩壊により、中世のキリスト教絶対の思想の下、地球球体説は否定され、マッパ・ムンディなどの聖書に基づいた世界像が描かれました。(「マッパ・ムンディ」の本来の語義は単にラテン語で「世界地図」)
 そして、15世紀ルネッサンス期に、トスカネリなどが地球球体説を再発見するのです。

 日本においては、織田信長が宣教師と地球が球体であることについて問答し納得したという逸話もあり、知識自体は南蛮貿易により16世紀には伝わっていたと考えられます。

 もっとも、ここでの「発見された時代」は上層知識人に限ったことです。ヨーロッパにおいても地球球体説が庶民の常識となったのはもっと後でしょうし、日本においても然りです。ただ、江戸時代の江戸の庶民は、地球が丸いことを知っていた、という記述を呼んだ憶えがあります。(杉本苑子だったかな)
    • good
    • 2

16世紀にブルジョワ階級はいないでしょう。

封建時代だから。
「丸い」と思った人は何人もいると思います。ただ、それが「説」となってみんなの議論のねたになる場がなかった。

織田信長が地球儀を見ているシーンはありましたが、信長自身、ほんとうに丸い、と信じていたかどうかもわかりません。平賀源内が、ガリレオの本を読んでうなっていた、というシーンをやはりTVで見たことはありますが、これもそのシーン自体があやしい。

世界史的な事件が日本人とかかわったのは、「元」でしょう。マルコポーロの知ったかぶり(?)で、黄金の島あつかいされて日本は(キャプテン・クックも)迷惑した・・。源義経がチンギスハーンだった、という説もあるし、「蒙古襲来」もある。しかし、本のねたになりますか・・。私もみたいですね。
「アメリカ大陸発見」はヨーロッパ人にとっての発見だから、それが日本人とどう、というのは・・・。
    • good
    • 1

 「日本人が」というのが、どのくらいの日本人をさすかによるでしょう。


 ヨーロッパ人でさえ、コロンブスが大西洋を回ってインドに行く、といったとき、馬鹿にしたスポンサーが多かったそうです。
 現代人でさえ、TVや本で知らなかったら、丸い、と認識しているかどうか。
    • good
    • 1

sukemasaさんと意見がかぶって申し訳ないんですが、私もキリスト教伝来以後の16世紀後半くらいから、日本のブルジョワ階級にそのような考えが根付いたのではないかと思います。

大河ドラマを観てると、信長と地球儀がセットになっているシーンも見受けられますし(^^;。

プロレタリア階級の人々、特に貧農層の人々がいつ頃認識し始めたのかはちょっと分かりません。江戸時代だとは思うんですが・・・
    • good
    • 0

もともと、地球は丸いという考え方は


世界中にあったはずです。

キリスト教(教会)の影響さえなければ
そんなに問題になる話ではなかったはずで、
沖縄→ミクロネシア の交易船は、天体の位置の変化
(特定の星の地平に没る時間の変化)を利用して
場所を把握していましたから(ハワイのマウイ島のミクロネシア博物館の
プラネタリウムの説明による)、地球が丸いという認識は
その時代(紀元前)からあったと考えて良い筈です.
    • good
    • 1

昔、アニメで野球ボールを投げて一周したので地球は丸いといってましたよ

    • good
    • 1

日本人が地球を丸いと意識したのは正確に分かりません。

遅くとも江戸中期18世紀中頃にはそう認識されていました。詳しい方のフォロー願います。

それより、コペルニクスやガリレオらは地動説を唱えたのであって、その当時から地球は丸いと認識されていました。地球が丸いと認識されていたのは、ギリシア時代からです。エラトステネスによって地球の大きさまで推定されていました。

地動説ですら、ギリシア時代からあったのです。確かトレミー(=プトレマイオス)だったかな?
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q地球は丸い

最初に地球は丸いっていう事を言った歴史上の人物って誰ですか?

Aベストアンサー

#1&4です。

トスカネリ(1397~1482)は【中世ヨーロッパ世界】で最も最初に言った人ということになるでしょう。

全世界でみれば、ピタゴラス(紀元前6世紀)の方が2000年近く前ですから、ピタゴラスの方が圧倒的に早いですね。

ただ、古代エジプトでも相当に早くから天文学が発達しおり(一説では太陽暦の採用は紀元前4000年頃)、こちらの方が、ギリシャよりも早いかもしれません。

歴史的にはそのように地球は丸いという説が既に有ったにもかかわらず、カトリック的な世界観のもと、中世ヨーロッパ世界では長らく忘れ去られていました。そこから、ギリシャやエジプトの古代文明の価値を再認識しすることで学問を復興しようという運動がルネッサンスです。ですから、そのルネッサンスの渦中で最初に球体説を唱えたのがトスカネリと言うことです。

わたしも質問文を読んで直感的にトスカネリを思いついたわけですから、まさしくカトリック的世界観から抜け出せずにいた一人でした。

Q中国や日本で地球が丸いと認識されてたのはいつですか

本を読んでいたら「古代中国の地球儀・渾天儀」とあったのでビックリ!
さっそく渾天儀について調べてみたところ、次のサイトが見つかりました。
http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2011_11/2011-11-04.pdf
これを読むとどうも、渾天儀とは地球儀というよりも観測機械のようですね?


それはそうと、中国や日本では地球が丸いと認識されたのはいつごろのことになりますか?

Aベストアンサー

    日本の場合織田信長(1534-82)について、下記に次のような記述があります。
    「イエズス会の献上した地球儀・時計・地図などをよく理解したと言われる(当時はこの世界が丸い物体であることを知る日本人はおらず、地球儀献上の際も家臣の誰もがその説明を理解できなかったが、信長は「理にかなっている」と言い、理解した)。」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

Q地球は丸かった・・・どなたの名言・・・?

こんにちは!
おバカだとは、承知の上での質問です。
地球が丸いという事に気付いたのは、どなたでしたでしょうか?
すみません、どなかた教えてください。

Aベストアンサー

ガガーリンの「地球は青かった」の勘違いでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qお米1合はご飯何グラムですか?

お米1合(150g)は炊きあがり後の「ご飯」になった時は大体何グラムでしょうか?
また、炊飯ジャーなどで、容量6L等とありますが、このリットルはどの状態の事を差すのでしょうか?(米?ご飯?、容積?)

Aベストアンサー

一合150gのたきあがりは約300gです。ちなみにお茶碗一杯150gおにぎり一個100gすし一貫20gカレー一人前300g弁当一個220gが標準です。

Q天動説と地球球体説

天動説と地球球体説

来年度受験予定の高校2年生です。
世界史でどうしてもわからないところを質問させてください。

天動説と地球球体説の関連で困っています。

中世のキリスト教に大きな影響を与えたのはプトレマイオスの概念だと習いました。
資料集の説明を見ると、プトレマイオスの説は[天動説+地球球体説]ですよね?

中世のキリスト教世界は、天動説をとり大地はお盆のような形をしていると考えられた、と習いました。
ということは[天動説+お盆(≠地球球体説)]になりますよね?

では、大昔に球体と考えられていた地球がいつからお盆の形をしていると考えられるようになったのでしょうか?
ルネサンス期に論争になったのは「地動説か天動説」かばかりがとりあげられます。
「地球が球かお盆か」の方が大きな考え方の違いのように思えるんですが、こちらはあまり学校では教えてもらっていません。
どうしてでしょうか?

詳しい方がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

私もうろ覚えなので、わかる範囲でのみ書きます。
補強する資料を確認してください

スティーヴン・ジェイ・グールド、『神と科学は共存できるか?』に書いてあったもののうろ覚えの箇所です。

あなたがお書きのとおり、地球が球体であることは太古のギリシア時代から知られていて、本当に知識のある教養人は、クリスチャンであってもルネサンス期を通して地球球体説を信じていたようです。というより、もはや一般常識に近かったそうです。

だが、確かに、何人かの高位の聖職者の中には、聖書を自分なりに解釈した結果、地球はお盆型をしていると主張したらしく、冷たい目で見られたようですが、それなりに影響力は持っていたようです。
(時期に関しては忘れてしまったので他であたってください。先に示したグールドの本がとてもお勧めなのですが…すみません)

だから、地球お盆説は、いまだかつて、万人に認められるメジャーな説であったことはないのです。たしか、ローマカトリックもそのような見解は持っていなかったのではないでしょうか?だから、コロンブスの伝記などでよく主張される、大西洋を越えたら滝に飲み込まれて死んでしまうと当時の人が信じていたというのは、まったくのうそで、いまではそのような話は教科書などには絶対に載せてはいけないことになっています。

ただし、天動説については、やはりこの時期、論争があったようです。ただ、ローマカトリックは、公には天動説を支持していたようですが、実は科学界の論争には特に干渉していなかったというのが本当のところのようです。どちらでもよかったというのが真実に近いですね。

ただ、ガリレオが宗教裁判にかけられたのは、その著書、「天文学対話」で、ローマ法王をかなり馬鹿にした態度が問題だったようです。

実際にはガリレオは、自宅で何一つ不自由することなく、人生を全うし、研究さえ行っています。

グールドの著書にはそこらへんがとても詳しく、わかりやすく書いてあります。

ご参考までに

私もうろ覚えなので、わかる範囲でのみ書きます。
補強する資料を確認してください

スティーヴン・ジェイ・グールド、『神と科学は共存できるか?』に書いてあったもののうろ覚えの箇所です。

あなたがお書きのとおり、地球が球体であることは太古のギリシア時代から知られていて、本当に知識のある教養人は、クリスチャンであってもルネサンス期を通して地球球体説を信じていたようです。というより、もはや一般常識に近かったそうです。

だが、確かに、何人かの高位の聖職者の中には、聖書を自分なりに...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q江戸時代はなぜキリスト教はNGだったの?

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

Aベストアンサー

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakure_book.html

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104020/250-7207972-6663457

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング