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時代劇とかによく出て来る台詞
「天に代わって成敗してくれる」
という場合の天とはどういった概念をさしているのでしょうか?

委任状はあるのかよ┐('~`;)┌

と突っ込みたくなりますが、冗談はさておき東洋思想における宇宙の天や日本の天道とは少し違うようです。太陽や宇宙が悪人を懲らしめるわけではないので。

A 回答 (8件)

この場合は「神」ですよ。



日本人は神道なので全てに対して神がいます。八百万(やおよろず)の神とか言いますよね。
木でも、家にも、土地にも、山にも全て神が存在するという考えです。
自分の正義を神の代わりにとたとえているのでしょうね(勝手ですけど)

そもそも神の考えが勝手で、神道では死んだ先祖は「神」なんですよ。
神道の場合死んでもお教をあげません。坊さんも来ません。
代わりに神主が来て儀式をします。
お盆もなしです。神なので先祖は墓ではなく家を守っているのでもともと墓にはいないのです。

どこの葬儀場でも神道の為の準備を持っています。結構いますので。
というか仏教が後に中国から来たんですけどね。

神社も勝手にそこらじゅうに建てて拝んでます。
靖国神社は戦争で死んだ人や戦犯を神として拝んでます。
問題になってますが。

ということで、日本人の神は他の国にくらべて非常に近い存在と考えてよいのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座いました。

神ですか…

>自分の正義を神の代わりにとたとえているのでしょうね(勝手ですけど)

なるほど、確かに勝手な論理ですよね。神様は正義の味方だったのか(;´д`)

日本語において「天」はいろいろな意味に使いまわしているいる単語で、理解しづらいですね。

お礼日時:2010/11/18 16:55

人間社会を俯瞰する存在、空には誰も住んでないわけだから、唯一の存在かも

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この回答へのお礼

>人間社会を俯瞰する存在

天下の天という意味ですね

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/18 17:15

こんにちは。



これの、2番の概念です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/152954/m1u/ …

福沢諭吉著「学問ノススメ」の「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」の「天」と同じですから、2番の意味がしっくりきますよね。

それを「神」と呼ぶか否かは、人それぞれです。
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この回答へのお礼

天地・万物を支配する理法。
ということでしょうか。

>それを「神」と呼ぶか否かは、人それぞれです

哲学や思想の問題になってしまいそうですが、神と天は同じなのか?
ということで、ますます解らなくなってしまいました。

お礼日時:2010/11/18 17:21

国語辞典にある「天の神」、漢和辞典にある「宇宙の主宰者」がこれに当たるのでしょう。

ただ、時代劇で言うからといって当時の人が本当に言っていたとは限らない。(後世の脚本家が勝手に書いたセリフかも知れず)

ちなみに、中国で「天を祭る」という思想が最初に現れたのは周の国だったそうです。殷までは祖霊や山の神や川の神を祭っていたそうで。

>神と天は同じなのか?
>ということで、ますます解らなくなってしまいました

日本の、中国の、印度の、キリスト教の、「天・神」はみな少しずつ意味がずれていますからね。それぞれの宗教でいう「神格」にあたるものを日本語に訳す時みな「天」や「神」しか言いようがなかったのでしょうから。もとの宗教がちがうので、意味がずれるのは当たり前といえば当たり前。

この回答への補足

pinaisa-laさんの回答も納得できる回答ですが
ベストアンサーは一つなので
最初に多様な神として回答していただいたNASTYさんをベストアンサーにします。
みなさん、ありがとうございました。

補足日時:2010/11/23 22:54
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この回答へのお礼

>ただ、時代劇で言うからといって当時の人が本当に言っていたとは限らない。(後世の脚本 家が勝手に書いたセリフかも知れず

はい、それは承知していますが、現在でも「天に代わって」というフレーズは時々出て来ますよね?
学術的にそういう意味での天が日本人の根本的な思想の共通にあるのものなのでは?

>もとの宗教がちがうので、意味がずれるのは当たり前といえば当たり前

なるほど、そいう考え方もあるのですね。天は外来語を総括的に翻訳したものであると。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/18 22:35

 日本語という言語は、複雑な敬語の仕組みが示しているように、その言葉を使用する《場》によって、様々な変化があります。


 言葉遣いばかりでなく、第一人称も《場》によって、使い分けられています。

 この場合の《天》も、場合によっては、《お上》でも、《お天道様》でも、何でも良かったのではないでしょうか。もちろん、神でも、仏様でも同様です。
 水戸黄門が成り立つのも、徳川様が絶対権力であろう、という時代背景故でしょう。

 その言葉を使われる《場》に於いて、話者にも聞く人にも(おそらく)共通する「超越した強いもの」程度の意味であって、具体的な何かを指してはいないのです。

 また、「言葉の真の意味」よりも、当の「話者の言葉の勢い」の方に、《説得力》もあるものなのでしょう。
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この回答へのお礼

>この場合の《天》も、場合によっては、《お上》でも、《お天道様》でも、何でも良かっ たのではないでしょうか。

なるほど、言葉の使い方、すなわち単純に日本語の言い回しということですね。

>その言葉を使われる《場》に於いて、話者にも聞く人にも(おそらく)共通する「超越した強いもの」程度の意味であって、具体的な何かを指してはいないのです

ふむふむ、「天に代わって」は結局日本語の使い方のひとつということですよね。pinaisa-laさんの意見も説得力がありますね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/19 19:23

どの宗教でも「神」の住家は「天」と決まっています。

したがって「天に代わって」は「正義をとり行う絶対者に代わって」の意味です。
戦時中の「出征兵士を送る歌」には「天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は」とありました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
Ishiwaraさんのご回答は神、すなわち「正義をとり行う絶対者に代わって」ということなのですね。

改めてよく考えてみると、日本人にとっての神の存在って、キリスト教とは全く異なりますよね。また中国とも大分違います。日本の神様って世界的にみても、すごく人間臭いと思います。それだけ身近な存在ということですかね。

お礼日時:2010/11/19 19:37

質問の中で否定していらっしゃる「天道」=「天帝」で正解と思います。



この天帝というのは中国の古代宗教に由来するものですね。

これが神道などにあてはまらないというので迷っていらっしゃるのかとも思いますが、そもそも日本の宗教は仏教が来ればそれとの混淆を、キリスト教が来ればまたそれと混淆、というふうに神様はいくつあっても良いと言う方式なので、違う原理の神様がいくつあってもなんとも思わないわけです。

広辞苑には次のように書いてあって、やはり混淆主義・折衷主義を裏付けているように思います。

てん-てい 【天帝】
(1)古代中国で,宇宙の万物を支配すると考えられた神。造物主。上帝。
(2)仏教で,帝釈天(タイシヤクテン)のこと。てんたい。
(3)キリスト教で神のこと。上帝。

ギリシャ神話でも天が神々の居場所ですよね。
芥川の蜘蛛の糸を読んでも、地下に地獄があって天井に極楽があるという構図になっていて、上方が神の域だという概念は人類全般の直感のように見えます。
おそらく上方から俯瞰する体験などとも関係があり、人間の動物としての行動(行動心理)とも関係があるのだと思われます。
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この回答へのお礼

>これが神道などにあてはまらないというので迷っていらっしゃるのかとも思いますが

神道的な神の考え方は、そこに存在すること自体が尊いものであり、それをおかした人には罰が下るというような考え方で、正義を実行するようなものではありませんから。

>神様はいくつあっても良いと言う方式なので、違う原理の神様がいくつあってもな んとも思わないわけです

なるほど、宗教関しては適当な国民ですからね。

結局いろいろな神様がいるので、そのちのどれか適当ということですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/20 13:08

No.7です。



神道というと明治以降、特に大戦時の国家神道の影響で何か統一的なものであるような思い込みが現在ではあるわけですけれども、実際には山の神だとか、いろいろあるわけですね。

戦争も「天にかわりて不義を討つ」(軍歌「日本陸軍」歌詞) という思想(つまりは国家神道)が戦争を遂行する支柱になっていたのは記憶に新しいところと思います。
http://rasiel.web.infoseek.co.jp/data/rikugun.htm

古事記日本書紀の神様は自ら土蜘蛛だの八岐大蛇だのを退治しています。

日の本、日の丸、天照大神、など、太陽信仰と日本の国権や国家神道との関わりは元々強いのではないかとも思われます。

国家神道は思想的には儒教を取り込んだもので、「天道と民の間に王道があるべきであって、為政者は大きな家族の父親になぞらえることができるもの」という江戸時代の封建制・武士の政治思想の影響を受けた、あるいはその下地を利用したものという説があります。

時代劇の江戸時代の侍が「正義」を行なう場合にもっと大きな理を代行するという建前を出してくるのは自然であるというような感覚が今の私達の間にもあるんでしょうね。
だいたい「困っている民のために本来当事者でない侍が力を貸す」というような設定が最初からあるせいもあるのではと。
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この回答へのお礼

>道というと明治以降、特に大戦時の国家神道の影響で何か統一的なものであ るような思い込みが現在ではあるわけですけれども

あれは酷かったですね。権力の正当性を宗教と結びつけるというのは世界中で行われてきました。日本の大和政権もそうだったのですが、江戸時代までは天皇が神であるなどという考え方は存在しませんでした。

>国家神道は思想的には儒教を取り込んだもので、「天道と民の間に王道があるべきであっ て、為政者は大きな家族の父親になぞらえることができるもの」という江戸時代の封建制・ 武士の政治思想の影響を受けた、あるいはその下地を利用したものという説があります

ふむふむ、私は幕末に天誅などいうテロが横行していましたから、その思想を上手く改良したものであると考えています。天誅などというのは大義がない人たちのでっち上げの屁理屈です。それを水戸学と上手く結びつけて国家神道とかができたのかなと。

>時代劇の江戸時代の侍が「正義」を行なう場合にもっと大きな理を代行するという建前を出してくるのは自然であるというような感覚が今の私達の間にもあるんでしょうね。

もし多くの人がそう考えているのであれば、未だ戦前の思考から抜け出せていないということですね。故山本夏彦氏の「悪は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」ということで、天に代わってなどという人間はろくなものではありません。

お礼日時:2010/11/20 18:44

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