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下記の難病情報センターHPに詳しく載っています。
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/052.htm
病名は「パーキンソン病関連疾患 進行性核上性麻痺」です。
携帯でこれを見ている方はURLは見れないんですよね。
HPから抜粋します。

「この病気はどういう経過をたどるのですか
歩行障害や運動障害が徐々に進行しバランスを失って転倒を頻回に起こし、最後には寝たきりとなります。発症に気づいてから寝たきりになるまでの期間は平均で4~5年程度ですが、患者さんごとに経過が異なります。2005年にパーキンソン病とよく似た経過(左右差、振るえがあり、眼球運動障害や認知症は初期にはない)をたどり、抗パーキンソン病薬の効果も一定度あるタイプ(PSP-P)が報告され、このタイプはゆっくり経過し、罹病期間が長いとされています。末期には食物や唾液の誤嚥による肺炎が死因となります。」

という病気です。
今日父から検査結果が出たと電話があり、 ショックを受けました。
母は3年前に同居していた母方の祖母を亡くしています。
私は高校まで祖母に育てられたので悲しかったですが、80歳台まで生きましたし「今までありがとう。もう苦しくないね。ばいばい、おばあちゃん。」と最後は見送りました。
母は祖母が少しずつ歩行が困難になり介護が必要になりそれから自宅で頑張っていました。
何で入院したのか覚えていませんが、入院する事になり、母は毎日通いました。
そのうち認知症になり母の顔もわからなくなりました。でも私が久しぶりに祖母に会った時は「どこかで見た顔だねー。」と言ってくれました。
1年くらい入院し、最後は肺炎になり、亡くなりました。

正直、私は母に対して「今までご苦労様。これからは自宅で開いていた好きな焼き物教室をまた開いて、お父さんとゆっくり過ごしてね。」と思っていました。

ところが祖母がなくなってから歩行がおかしく父がすぐに異変に気付いたみたいです。
それを知らされたのは去年の夏でした。
あちこちの病院を周り検査しましたが異常は認められず、父の判断で脳専門の病院に連れて行っていました。
でも薬を飲んでいても歩行困難、言語障害など進行していき、転倒する事も多くなり、庭で転倒し目の上を切り5針縫いました。
その病院で大きな眼科を紹介され、更にその病院から市でもあたらしい大きな総合病院を紹介され、そこで1ヶ月かけてあらゆる検査をし、結果が出ました。

とりあえずお正月に実家に帰ります。父はもう普通に話せるのはあと数ヶ月だろう、と言っていました。
ショックです。5年以内には嚥下困難で喉に詰まらせるか、痰が詰まるか、肺炎になるかで死亡するみたいです。

今、私が出来る事はお正月に会いに行くだけでしょうか?
電話もしない方がいいと父に言われています。遠くに離れているし子供もいるので頻繁に母に会いに行く事が難しいです。金銭的にも。

質問です。身内が難病と診断され、余命長くて5年と言われたらどうしますか?
そのような経験をしたことがある方の気持ちも聞きたいです。
また難病にかかっている方の気持ちも聞きたいです。

長文しつれいしました。

A 回答 (3件)

こんにちは。



私の父も進行性核上性麻痺でした。
この病名がハッキリわかったのが今年の夏でした。
でも、発症してから3年目でやっとはっきりした病名がわかり、難病指定の病気と言われてもピンときませんでした。
父の場合は最初は緩やかに進行し、ここ1年での進行が早く10月に誤嚥が原因の肺炎を起こし亡くなりました。

お母様がこの病気だそうですが、周りのサポートの方が大変になると思います。(ウチがそうでした)
あまり無理をせず、介護施設等を利用してご自身にも余裕をもってくださいね。
ウチは母が介護疲れで、いっぱいイッパイでしたので・・。
でも病名がわかってから、入院受け入れ病院があり安心して看病できましたが・・。

気落ちせず、頑張りすぎず、ゆっくり毎日を過ごしてくださいね。
(って言っても無理かもしれませんが・・)

あ、そういえば、PSPの会と言うのがあったと思います。(当然知ってますか?)
ウチは入る間もなく、亡くなってしまいましたが・・。

何も回答になってなくてすみません。

この回答への補足

31日~2日まで息子と実家へ行きました。母と久しぶりに会いましたが、思っていたより普通に会話出来ていたのが意外でつい普通にべらべらとおしゃべりをしてしまい、父に怒られてしまいました。
感謝の気持ちを伝えようと思っていたのに何も言えなかった。本当にどうでもいい事をべらべらと、兄ともべらべらしゃべりまくり、とにかくうるさいと父に怒られました。
母は普段は実家に来てからはほとんど横になっていたそうですが、私達が来てからは無理していたのかたまにベッドへ行く程度で座っていました。自分で立つ事が出来ず、父や兄がイスから車輪付き歩行器に両手を置く手伝いをし、トイレに連れて行っていました。眼球動作が進行し正面しか見れないそうです。
母は兄に父には言わない事を言う時があるみたいで、最近病院で「難病かなー。」と言ったそうです。
この事は父は知りません。病名は知らないけど、やっぱり元養護学校の教師。症状で分かってしまったのでしょう。進行性だとは気付いていないので病院では毎日筋肉が衰えないよう、リハビリを頑張っているようです。
でも病院だから専門の方がリハビリをやってくださるけど、2月からは父が介護を始めます。
兄が「お母さんが亡くなったらお父さんも緊張感が突然取れてどうなるかわからないね。」と言っていました。
金銭的に年に1、2回しか実家へ行けないので、祖母の時も急激に衰えていました。
母も髪を染めていないので白髪だらけ。パーマもかけていない、カラーもしていない母を見たのは初めてでした。
兄が「多分、しゃべれるのは長くて3月くらいじゃないかな。」と言っていました。電話で声が聞けないのが残念です。

補足日時:2011/01/03 16:19
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。理由がありました。
今後の母をどうするか、病院内で話し合うと聞いていたのでその結果がでたらv6sp様にお伝えしようと思っていました。
とりあえず1月中は今の病院に入院できるそうです。
でもその間に医療介護施設を探すと父が言っていました。

正直v6sp様のお父様の症状と同じでショックでした。名前も全く同じですしね。
母も発症してから3年は経っています。もういつ亡くなってもおかしくない事が分かり、このお正月に顔を見て、息子と会わせて話が出来る事に感謝しています。
2泊3日の短い期間ですが、変に気付かれないよう、感謝の気持ちを素直に言いたいと思っています。
実は今年5月まで約1年間5才の息子を実家に預けていたのです。
幼稚園に通っていたので母と過ごす時間が多かったです。
幸い息子はおとなしい方なので特に乱暴で言う事聞かなくて困る、という事はなかったようですが、予定より早く母から父へ「もう無理。」と言ったのです。その時はかなり我慢していたんだろうな、と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
私にも色々あり、急遽実家へ預けるという形になりましたが、両親のおかげで180度くらい違う環境になり、家族3人で暮らせるようになりました。
その時の感謝の気持ちを一番伝えたいです。

お礼日時:2010/12/23 01:43

お気持ちお察しします。


私の義母もこの春突然余命1年を宣告されました。

ずっと専業主婦だったので健康診断を全く受けておらず、
背中が痛いと近くの病院に行ったところ、即大きい病院で検査するように言われ。。
末期の食道癌で手術も出来ない状態だとわかりました。
まだ60歳です。

還暦祝いをしたばかりなのに突然の宣告で、本人も家族も精神状態がボロボロになりました。
でも泣くだけ泣いたら奇跡を信じて頑張ろうという気持ちになって、その望みを胸にみんなが
前を向くようになりました。末期癌が治ったって人、ネットにいっぱいいましたもの。

治療入院は定期的に行っていますが、奇跡的に通常生活を送れています。
うちも最終的に食事は取れず、唾さえも飲み込めなくなると病院からの説明がありましたが
今は普段食べていたような好きなものを問題なく食べれる状態です。

宣告から8ヶ月経ち、あと数ヶ月で何かなるようには見えませんが
突然亡くなる方もいるそうなので、家族みんな一日一日を大切に過ごしています。

とはいえ、私達は義父母とは離れて住んでいますし、小さい子供がいるので毎週帰省することは
難しいのですが、とにかく後悔しないように出来る限り孫に会わせたり頑張っています。
今もふと涙が出たり、どうしようもない不安や喪失感が襲ってきますが、
子供が小さいので子供の前で泣いたり出来ないのが一番辛いです。。

でも後悔しないように頑張ります!頑張りたいです!
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
60歳ですか。まだまだ早いですよね。でも余命1年と宣告されてから8ヶ月経っても普通な感じなのでしょうか?

今度の大晦日に息子6歳と東京から長崎へ行きます。2泊3日です。
何とか認識して話す事ができるのは今年のお正月が最後だろうと父に言われました。
母は自分の診断結果を知りません。父から母には「パーキンソン病のような症状」とだけ
伝えていています。
今度お正月に帰ったらバレないように雑談の中で感謝の気持ちを伝えようと思っています。
実は母とはずっと仲が悪かったのです。53歳まで養護学校の教師で疲れ果てて毎日帰ってきて、
仕事も持ち帰る事も多かったです。
私は「母に育てられた」という気持ちはなく、「おばあちゃんに育てられた」と思っています。
実際母との思い出が出てきません。「働いている人」としか思えませんでした。
家事も子育てもやっていませんでしたから。遊んだ記憶もありません。
そのせいか、おばあちゃんが亡くなった時よりかはショックは小さく、「最後に話す事が出来て良かった。」と思っています。
おばあちゃんにはもっと長生きして欲しかったし、今でもおばあちゃんに子育ての相談をしたいです。

でも母には去年の9月~今年の5月まで息子を預けていて、幼稚園に通っていたので息子と一緒にいる時間が長く、突然世話する事になり、大変だったと思います。
その点に関しての感謝の気持ちを伝えるつもりです。
最初は私のせいで体調がわるくなったのでは、と心配していましたが、その時には既に発症していたようです。

とりあえず、会って、息子の成長ぶりを見せて、無理の無い程度に話そうと思っています。
他の方の回答では1年以内にいつ亡くなってもおかしくないようです。

お礼日時:2010/12/25 05:50

私の義父もパーキンソン病です。


診断されたときはみんなショックを受けていました。
発病後10年生きる人はいないと言われましたが、9年経った今でも元気に生きています。
手がいつも震えています。
便秘も酷いようです。
酷くなっているようですが薬があっているのか思ったほど進行していきません。
貴方の母も、もう何年も前からおかしかったのではと思います。
5年もあるのですから貴方に出来る事はいろいろあると思います。
あまり無いと思いますがネットで実家の近くのパーキンソン病の専門医を探して紹介してはいかがですか。
愛知県にはありますが。
専門医が良いと本で読んだ事があります。
手紙や消化の良い食べ物を送るとか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お義父様がパーキンソン病ですか。10年以内なんですね。
私は病院の事務をやっていたので、パーキンソン病の患者さんを見た事はあります。
「小刻みにちょこちょこ歩く、手はいつも震えている。」症状はそれしか知りませんでした。
10年以内に亡くなるとは知りませんでした。

質問文にも書いたように母は発症から5年以内に寝たきりになるようです。
歩行困難が始まったのは3年前。あと2年・・・。急速に進行したので心配していたのですが、検査前は
見た感じだけで「治るかもしれません。」と言われたそうなので安心していました。
それが治らない上にもうすぐなんて・・・。

母が今入院している病院は長崎市にあります。看護体勢、環境もかなり整っていて良いそうです。
もしパーキンソン病専門医がいたらすぐに紹介してもらってると思います。

消化の良い食べ物をネットで探し、手紙も書こうと思います。
でも母には「パーキンソン病のような症状が出る病気。」とだけ伝えてあり進行性である事は
話していません。母は元養護学校の教師です。そういう病気に関しては詳しいので具体的に
話すと病気に対する症状がわかってしまいますから。

お礼日時:2010/12/19 13:01

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