あなたの習慣について教えてください!!

特攻隊に関して不明のことがありますので質問します。

1.海軍は全員が志願でしたが、陸軍の場合、どのような経歴を経て飛行兵になり、特攻に参加したのでしょうか。徴兵されて飛行兵になった人はいますか。
2.爆弾と魚雷の2種類がありますが、おもに爆弾が使用されたのでしょうか?
 魚雷のほうが当る確率が高いと思いますが。
 それに魚雷なら投下後、帰還することも可能だったと思います。
3.護衛機や監視機(命中を確認)はついていましたか。

A 回答 (10件)

基本的に航空機パイロットってのは今も昔もエリートです。

当時の飛行機には当たり前ですがGPSなんかついていないので航法ができなきゃいけないから理系だし、体力も視力も必要です。自動車を運転するのとは訳が違うのです。もっとも、当時の日本では自動車運転でさえ「特殊技術」でしたが。

雷撃については半分は質問者さんのおっしゃることは正解です。実は、雷撃を決めないと大型艦は撃沈しないのです。エセックス級は米軍が誇る大型空母で、うち一隻も沈まなかった艦ですが、特攻攻撃は何度も受けて中には大破したものもいます。しかし、大破にとどまり沈没はありませんでした。
その理由は特攻攻撃では雷撃を受けなかったからです。雷撃を受けると喫水線下に穴が開き、そこから大量の海水が入るのでそれで沈没に至るのです。マレー沖海戦でプリンスオブウェールズとレパルスが沈没したのも雷撃を受けたからです。

しかし、雷撃には非常に高い練度が必要とされます。まず、低空を安定して飛行しなければなりません。これがまず基礎飛行技術として難しい。低いところを飛べば当然ちょっと操縦桿を間違えれば水面に激突してしまうわけです。
さらに、動く艦船の動きを予測してタイミングよく魚雷を投下しなければなりません。敵艦が進んだ先に魚雷の行く先が当たるように相手の速度、タイミングを計らなければなりません。当然、敵艦がどう回避するかも予想した上で射点と方向を決めるのです。
つまり一人前の雷撃機パイロットを育てるためには膨大な飛行訓練と魚雷発射訓練が欠かせないのです。

さらに、雷撃機は敵艦(の未来位置)に向かって真っ直ぐ低高度を低速度で飛行しなければなりません。だから雷撃機は戦闘機のいいカモなのです。日米両軍とも雷撃機の損害はとても多いです。なので、雷撃機パイロットは育てるのに時間もお金もかかる上に死にやすいという非常に危険な仕事なんですね。大戦末期の日本軍にそんな人材は枯渇していたことはご存知だと思います。

意外な話を教えてあげます。我らが誇る零戦ですが、実は米軍急降下爆撃機のドーントレスはあまり撃墜できなかったという苦い事実があります。ドーントレスのエンジンが1200馬力であったのに対し零戦はせいぜい1000馬力。この20%差は大きくて、高高度を飛行するドーントレスを捕捉するのがなかなか難しかったのですよ。
ですので零戦がカモにしていたのは雷撃機なのですが、しかし大戦初期には時代遅れになっていたデバステーター雷撃機もその命中率は日本軍とほぼ互角で、案外に米軍は健闘していたことが分かります。

米軍と日本軍の差を開かせたのは、生産力の違いだけではなく、実は航空機搭乗員の生還率に大きな差があったのも事実です。日本海軍最後の勝利ともいわれる南太平洋海戦では、戦術的には米軍は一時的に空母戦力を失うのですが、しかしそのとき日本海軍も100名を超える航空機搭乗員を失い、この南太平洋海戦をもって日本海軍は優秀な航空機搭乗員をほぼすりつぶしました。
一説には、この南太平洋海戦で米海軍が失った航空機搭乗員は、たった17名だったそうです。撃墜されて生還した搭乗員は、経験を積んで次はもっとしたたかなベテラン搭乗員となります。あのブッシュ元大統領(父)も雷撃機搭乗員として太平洋戦線で戦い、撃墜されて生還するという経験をしています。
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 2についてですが、特攻隊は体当たり攻撃をしますので、爆弾や魚雷を投下する事は考えられていません。


 魚雷を搭載できるのは攻撃機ですから、零戦のような戦闘機には積めません。
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陸軍報道班員だった高木俊朗が、たくさんの本を書いていますよ。

多くは文庫になっています。3年ほど前に出された特攻隊遺族とのかかわりをまとめたものが印象的でした。
出撃前夜の取材記事もあるし、そもそも、<特攻>という作戦を発案・実施に至る経緯について書いたものもあります。
今までの御回答を否定するつもりはありませんが、同時代で誠実に記録しようとした人の判断も大切かと考えましたので、紹介しました。
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1.少年飛行兵や学徒出身の特操:特別操縦見習士官が多かった。



2.陸軍にも魚雷攻撃ができる"爆撃機"がありました。キ-67 四式重爆「飛龍」がそれで、海軍の一式陸上攻撃機の性能向上版に相当する機体です。速度、防弾にも優れ、電波高度計搭載のものもあり、攻撃機としてはかなりのものです。ある意味、銀河以上の攻撃機です。海軍のパイロット1名を配置して使用されました。(魚雷は海軍支給)
しかし、高性能機でも、練度低下とアメリカ軍の戦闘機の性能、艦船の対空戦闘能力の向上(VT信管)のために、ほとんど戦果はありません。実際、台湾沖海戦でのT部隊の「大活躍、大戦果」(実際には練度不足のための誤認)もあります。

意外と知られていないのが、雷撃の際の速度です。最大速度では魚雷が耐えられません。魚雷の種類によって200Km/hから450Km/h程度の速度で敵弾の中をゆっくりと進んでいかなければなりません。かなりの精神力でないと不可能です。

また、陸軍ではB-29への戦闘機による無武装体当たり攻撃(震天制空隊:生還例多い)、空挺部隊の敵飛行場への殴り込み攻撃(生還を前提としない)、サイパン島飛行場への特殊爆弾特攻(桜弾:超大型成型炸薬を機体内部に固定した専用機)など様々考え、実行されました。

<投下後、帰還することも可能だったと思います。
特攻作戦は、生還してはいけないのです。砕けることに意味があるのです。一旦" 制度 "として出来上がると、融通がきかない、建前論でしかモノを言えないのが、現在も日本、特にお役所に残る風潮です。

3.そのかわり、その死を見届けるのに異常な温情をかけるのが、日本です。余程のことがない限り、戦果確認機は付けられます。良い無線機があれば、報告後、突入する例も多かったらしいです。逆に無線機が使えないと、帰路はベテランでも非常に恐ろしかったらしいです。(それだけ重圧だったらしい。)
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>それに魚雷なら投下後、帰還することも可能だったと思います。



補足っぽい話になりますが、特攻行われてる時期であっても、一式陸攻や天山などを用いての魚雷攻撃は行われています。
勿論、昼間ではなく夜間なんですが、幾度と無く出撃していますし、それなりに帰還を果たしています。
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2.


>それに魚雷なら投下後、帰還することも可能だったと思います。
その理屈なら、爆弾なら投下後帰還することも可能だったと思います、とは言わないのでしょうか?

3.
基本的に付きます。
また、菊水作戦などの大規模作戦ではかなりの数の護衛機が付きます。
そうでもなくても、特効機以上の護衛機が付く出撃は多数存在します。
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2.主に爆弾が使用されています。

理由のひとつは価格。爆弾は最大の800kg程度のもので一発800円程度(当時の金額・年度により変動あり)、魚雷は2~3万円程度(同左)でした。もうひとつは整備と装着の手間。魚雷は非常に手間がかかり、ある基地では15本装気(酸素・空気の充填)、機体に装着するのに16時間以上かかったという話があります。
 なお、命中率は種々の条件によって大きく左右されるので一概にどちらが高いとは言えません。戦前の日本海軍によるシミュレーションでは、敵主力艦を撃沈(命中10本程度)するには最低でも最低72機で同時多方向からの攻撃が必要、それ以下では命中は見込めないという結果が出ていたという話がありますし、実戦でもやはり一回あたりの命中数は数本、率では数%~高くても20%程度だったようです。対する爆撃については、初期の急降下爆撃では90%台の命中率を出した海戦も発生しています。
 なお、昼間雷撃を三回やって生き残った搭乗員はいないとされており、一般的に爆撃機より雷撃機の未帰還率のほうが高かったといわれています。

3.いずれもついていました。監視機ではなくて戦果確認機ですね。
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陸軍の場合は航空兵に志願したと思います。


航空兵になるには専門訓練が必要です。
特攻隊になるかは海軍と同じで志願するか、強制的な志願です。

なぜ、特攻をするようになったかといえば爆弾や魚雷での通常攻撃をしても、操縦技術の不足やアメリカの防空体制の強化により、
攻撃の命中率と帰還率が低下したからです。

魚雷により攻撃した部隊もありましたが、撃沈や重大な被害はあたえられず、部隊の半数が撃墜される状態でした。

護衛機と監視機は後期には少なくなっていきましたが部隊によると思います。
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陸軍が魚雷を持っていたかなぁ・・・


陸軍は魚雷を積める「攻撃機」は持っていなかったと思いますよ。

>魚雷のほうが当る確率が高いと思いますが。
現在の魚雷のように誘導装置が付いているわけではありません。
当時の魚雷は、無誘導 真っ直ぐにしか進めません。
距離が開いていれば回避されてしまいます。
近くまで行けば対空砲で撃墜されます。
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1 志願とは名ばかりで志願するしかない状況だったと思います


  陸海軍変わらないと思います

2 何故魚雷の方が当たるとお考えなのでしょうか?
  そもそも魚雷を積めるのは攻撃機だけです爆撃機よりも速度も遅く急降下も出来ません爆雷の命中率はマレー沖海戦で41%(上空直援機なし)、珊瑚海海戦で11%、ミッドウェイ海戦で30%、南太平洋海戦で6%だったそうです(全て日本側の数字)投下後帰還する事が可能なら最初から特攻をする必要がありません 名前は忘れてしまいましたが最後まで特攻を拒否し戦果をあげて帰って来たパイロットも居たと言いますが 余程の腕が無い限り終戦間際の圧倒的多数の敵直援機さらにはVT信管装備の高射砲をくぐり抜け敵艦隊まで近づく事すら難しかったのが現状です

3 護衛機は初期の頃は付いていたようですが基本付きません 戦果報告機は同行し高高度で戦果を確認戦闘には参加せず帰還と言う事だったらしいのですが やはり敵機や高射砲の餌食に成るか成らなくても目の前で仲間の機が敵機に食われるのを傍観することは出来ず戦闘に加わり殆どの機が帰還しなかったそうです
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