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南雲長官といえば真珠湾攻撃の作戦指揮官ですが、燃料施設への反復攻撃を許可しなかったことにより後世“消極的提督”としての評価があります。第二次攻撃を許可しなかったのは空母と航空戦力の温存を図ったためであると言われておりますが、ミッドウェー海戦においては索敵不備により、たった5分間で赤城・加賀・蒼龍3隻を失った彼は残った飛龍1隻で果敢に(と言うよりは無謀にも)アメリカ機動部隊に決戦を挑んで結局全てを失ってしまうことになります。真珠湾の時の提督とミッドウェーの時の提督が同じ人物とは思えないのですが、彼は名将なのでしょうか、愚将なのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

ANo.10様


その速度でのデータしかないだけです。
燃費は原則速度の二乗ですので、航続距離の参考にはなるでしょう。
気になるならご自分で計算して出してみてください。
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jkpawapuro様



14ノットでの航続距離とか18ノットでの航続距離って何の意味もありませんよ。
日本海軍の巡航速度は12ノットなんです。12ノットでどの位航海できるかが重要なんです。

両舷微速:4ノット
両舷半速:9ノット
両舷原速:12ノット(ここが巡航速度)
両舷強速:15ノット
第一戦速:18ノット

蒼龍の燃費は海防任務に就いている時、第一戦速でどの位航海し続けられるかが数値化されたものであって遠征航続距離の数値ではありません。
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蒼龍・飛龍が遠征に適さないとはいくらなんでも厳しいでしょう。



同世代のワスプ・レンジャー・レキシントン・ヨークタウンが15ノットで7000カイリ、赤城・加賀が14ノットで8000カイリ、蒼龍・飛龍に至っては18ノットで7680カイリ、蒼龍・飛龍など当時の空母ではむしろ遠征に適した航続距離の長い空母です。
いかに太平洋を越えていきなりハワイ攻撃をかけるのが当時の機動部隊に無謀な距離かということであって、攻撃をかけるだけでもすごい距離なんです。

真珠湾、ミッドウェーどちらも無謀な作戦には違いありません。ですがアメリカに勝てと無茶を言われれば、このくらいの投機的な作戦はいたしかたなく、国力差が反映されているだけだと私は解釈しています。

飛車角落ちで羽生と勝負しろと言われて、穴熊始めたらそっちのほうが愚かでしょう。
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南雲中将は機動部隊の司令官であって作戦立案した人物ではないです。

南雲の仕事は、基本的に幕僚(草加・源田たち)が立案してきた作戦を認可するハンコ押し係に過ぎません。ただ、幕僚が対立し二案提示してきた場合は、南雲が判断して作戦を決定します。

   真珠湾
 これは真珠湾作戦に参加した第二航空戦隊所属の海軍士官他から聞いた話です。真珠湾への遠征は赤城・蒼龍・飛龍は航続力に問題があり、遠征には不向きでした。そこで奇襲に使う爆弾は最初から艦載機に装着し、火薬庫には60番爆弾のみとして残りは重油のドラム缶を詰めました。通路にもドラム缶を置き、とにかく真珠湾に行って帰るだけの作戦でしか無かったそうです。作戦は第一次攻撃隊を淵田、第二次攻撃隊を島村が指揮をする。淵田隊は空母に帰還した後に60番爆弾を装着して敵空母出現に備える。島村隊収容後に全艦帰投するというものだったそうです。よく言われる第二航空戦隊の再出撃準備完了とは、真珠湾を再攻撃する為のではなく、空母出現対策の爆装を終えましたと南雲に報告しただけに過ぎないそうです。

   ミッドウェイ
 一段索敵を立案したのは源田であって南雲ではありません。そもそも空襲を受けた時に艦載機は格納庫にしまわれていました。出撃には30分以上を要する状態です。何故格納庫にあったのか?簡単な話で、防空隊が適宜離着陸を繰り返しているから甲板を塞ぐ訳にはいかないのです(現代はアングルドデッキといって発艦用と着艦用は重ならないようにしています)。南雲は源田の作戦案にしたがって攻撃準備をしており、その準備中に攻撃を受けました。

 あと、海軍は戦果主義で、輸送船や地上構築物への攻撃は評価されませんでした。源田たちは華々しい戦果を挙げたいのですからそんな0点坊主な施設への攻撃は企画しません(搭乗員に恨まれますし、彼らが自ら無視します)。

 最後に、真珠湾が何故消極的だったのか?黒島亀人が無謀な計画を作ったから。ミッドウェイの計画が稚拙だったのか?源田実が無能だったから。何故、燃料施設を攻撃しなかったのか?海軍の体質。

では南雲は名将か愚将か?優秀な官僚であり、南太平洋海戦で見せた手腕は評価されるべきである。
真珠湾とミッドウェイの作戦裁可は山本であり、山本長官は無能と判断するのが妥当。
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1ですが、妙な回答が散見されるので、一回だけ口出ししてまいります。


漫談になりますが、お納めください。

戦術レベルでは、日本側は米空母を発見しており、空母攻撃に向かった艦載機は全て誘導され、接敵に成功しています。なので、日本側が戦場で索敵努力を怠ったというのは明白にマチガイで、利根4号機が接敵情報を発信したとき、それを補強するために「南雲が命じて」「飛龍の山口に」「2機だけ空母部隊がもっていた」「十三試艦上攻撃機(後の彗星)」を、索敵に投入する判断をし、それも米艦隊に接敵しています。
「故障」というのは利根4番機カタパルト不具合のことを言うのだとおもいますが、結局利根・筑摩の偵察機は全て発進しており、その利根・筑摩の偵察機が発見、接敵、誘導を実施しているので、故障は索敵に重大な影響を与えるに至っておりません。

不足していたのは南雲のレベルより上で実施されるべき事前の戦略索敵であり、あげれば、二次K作戦不実施、潜水艦の索敵線配備の遅延、米側の空母投入数の把握失敗、です。日本側は投入可能空母は2隻と判断しており、3隻目ヨークタウンの戦列復帰を予測しきれておらず、知っていればより慎重な行動をなしたと思われます。

一方、アメリカ側が日本側の動向を常に見破っていたような言い方もおかしく、「日本側がアリューシャンとミッドウェーに攻撃をしかける公算が大きく、その主軸はミッドウェーである」という戦略判断が精一杯でした。またミッドウェー作戦直前に日本側が暗号の乱数表を更新したので、この時点で解読は振り出しに戻っていたのが実情です。

ただ、情報分析の結果、ミッドウェー防衛に全てつぎこむ、という明確な戦略方針を立てて実施したアメリカ側の判断は、正解であったといえるでしょう。また、そのために損傷していたヨークタウンを突貫工事で戦列復帰させた努力と判断も果敢で正しかったといえます。

そして、アメリカ側はミッドウェー島の基地航空隊の大型陸上機による索敵成功と、基地航空隊が日本側を攻撃し続けていたから日本艦隊の居場所を常時つきとめていたのが真相で、ミッドウェー基地攻撃と防空に疲労した日本側を寄り切って、最後に5発の爆弾をヒットさせ、これが太平洋戦争の転換点となりました。

そのような中、南雲は米艦載雷撃機が赤城を襲ったとき、艦長から操舵を譲り受け、魚雷8を全てかわしています。軍艦乗りとしての腕前は、この一事でわかるとおもいます。

また、航空参謀の源田、淵田の両名は、このとき盲腸の手術、カゼと寝込んでおり、南雲の作戦に口出しはしていません。

山口少将は次席指揮官の阿部少将から空母攻撃の命令を受け、「我航空戦ノ指揮ス」と受諾返信してから作戦をしているので、山口少将が独断で踏ん張ったというのも、ちがうとおもいます。

ただ、南雲は真珠湾のとき、艦隊指揮官であることの不安を周囲にもらしており、また攻撃前日の夜中に飛行長の源田を起こして、空母をアメリカの潜水艦が追尾してきていると思う、などと訴え、源田を困らせたりしています。
本人が航空母艦の指揮を執ることを不安におもっていたのですから、やはり適材適所ではなかったのでしょう。
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彼は本来、敵戦艦夜襲撃滅に、命をかける水雷一筋の猛将です。



一個水雷戦隊を率いて、敵戦艦部隊に夜襲攻撃をかけさせれば、日本一の活躍をしたでしょう。臆病とは無縁です。愚将ではありません。

ただ、天下の第一航空艦隊全滅もしくは大損害の責任をかぶるだけの器量はなかったのでしょう。ほとんど参謀の言を重んじていたようです。参謀に恵まれなかったとも言えます。それでは名将とは言えません。


真珠湾に関しては、あれだけの艦隊を長駆遠征総指揮するのは、彼しかいなかった。
しかし、目前の大戦果に腰が引けたのも確かであろう。

ミッドウェーは、連合艦隊司令部の作戦立案のまずさ(どっちが主目標?奇襲の必要性は?)、さらに第一航空艦隊司令部のおごり、彼の参謀達(源田だ!)の判断ミスなどで、負けるべくしの自滅。

南太平洋では慎重な采配が評価の別れるところか。盟友角田の活躍により、最後の面目となる。

最期のサイパン、映画「軍閥」の中での自決シーン、合掌(隣のテニアンでは角田が!!)。
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現代でもそうですが、軍艦というのは全力航行すると艦によっては三日ともたず燃料がつきます。


反復攻撃の検討の時点ですでに随伴タンカーからの補給を受けている段階であり、その燃料で戦って帰らないといけません。
この状態で攻撃するとなると、低速の巡航状態でほとんど動かず攻撃を重ねることになります。
しかも随伴の駆逐艦は燃料が持たないので空母と分離してタンカーと一緒に返すことになるでしょう。
これでは極めて無防備な状態で攻撃することになり、もし反撃を受けたら大損害が想定されます。

米軍の太平洋艦隊およびハワイ基地航空戦力はおおむね壊滅しましたが、当時敵空母の位置は把握しておらず、また潜水艦戦力の残存状態と活動状態もつかめていません。敵の反撃の可能性を否定できない状態です。
ここで反復攻撃は、リスクが大きく割に合わないと見るのは、至極妥当な話です。

さらに第一撃で攻撃しなかったのは燃料の延焼で煙が上がり攻撃のじゃまになるのが理由ですが、
それと同時に当時日本軍の予想ではハワイ燃料タンクは当然地下化されており、地上タンクは中身が入っていないと見積もられていました。

この状況であれば、反復攻撃しないのは名将でも愚将でもなく普通としか言えないと思います。


ミッドウェーで偵察機を飛ばさなかったのは凡ミスとしか言いようがないですね。
水偵が駄目なら艦攻を一隻飛ばせばいいだけですし。
ただヒリュウの無謀な攻撃は仕方ないと思いますよ。
空母は中に艦載機を積んでいるとそれだけ撃沈の危険が増します。(飛行機は可燃物の塊ですので)
一度空母同士の交戦が始まると、不利だろうがなんだろうが機体は全部飛ばすしかありません。
しかもそれで戦果をあげてるわけですし、兵装転換と策敵機不足の二つミスはありますが、まあ凡将として一定の指揮はとっていると思いますよ。
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 南雲中将は航空戦の専門家ではありません。


 水雷戦隊を率いて戦っていれば評価は違うでしょう。

 ミッドウェーの索敵ですが、故障で十分索敵できなかったのが原因です。他の機に行かせれば良かったと言われればそれまでです。
 3隻の空母がやられたのは空母攻撃用に爆弾を魚雷へ換装作業中に急降下爆撃機で攻撃されたからです。爆弾や魚雷を搭載し、ガソリンが満載された艦載機が飛行甲板に列んでいるのですから、一発の爆弾で火の海になります。
 敵空母を発見した時点で、陸上攻撃用の装備のまま発艦させていれば、あの事態は避けられたという意見がありますが、不十分な装備で行かせないという考えもありますのでこれについて責任を問うのは酷なような気がします。

 飛龍は第二航空戦隊の司令官山口少将の旗艦ですし、南雲中将は飛龍に移乗していませんから戦いを挑んだのは山口少将です。
 飛龍からはアメリカ機動部隊に攻撃部隊を行かせましたが、結果的にヨークタウンばかりを攻撃していて、他に2隻戦闘可能な空母が残っていた事に気付きませんでした。
 無謀という判断ができるのは状況を完全に把握できて言える事であって、あの状況では退却はあり得ないでしょう。
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ミッドウェーに関しては索敵不備以前に暗号をアメリカに解読されて待ち伏せされ そこに日本がノコノコと突っ込んでいって袋のねずみちゃん状態でボコボコにされてます



そもそも真珠湾攻撃の目的はハワイのアメリカ艦隊そのものにダメージを与えるためで燃料施設は最初から眼中にありません
それから真珠湾の時は山本五十六が生きていて 色々と南雲氏にアドバイスやらなんやらしてますが
ブーゲンビル島上空で山本長官が死んで 頼る人もいなくなり日本の指揮命令系統がおかしくなります

アリューシャン・ミッドウェー作戦は山本が最後の最後の切り札として取っておいたウルトラCの秘策です
なのにそれを日本軍は容易に使ってしまった…

南雲氏が愚将だとしたら彼を愚将に仕立て上げたのは日本軍という組織でしょう
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南雲提督の専門は、水雷戦の専門家で、航空作戦の専門家ではありません。


年功序列の海軍人事で第一航空艦隊司令官となっていた為、消極的と言うより、慎重過ぎたのですよ。
海軍当局が適材適所に人事を行わなかった為に今日の評価がなされたのでしょう。
なので名将でも愚将でもありません。

日露の時の海軍における東郷提督の人事は、異例の抜擢で有った事と比べると分かりますよね。

年功序列の人事では、危機は乗り越えられません。
会社の人事もしかりです。
潰れた会社の人事をみれば、年功序列の人事で行った会社の割合が多いと聞いています。

ご参考まで
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