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きっとカテ違い・・。

ビールの消費量が1960年代後半から伸びてきているようなので、

http://www.brewers.or.jp/data/t01-beer-stu.html

1970年代あたりからかな、と予想するのですがどうでしょう?

A 回答 (5件)

近似の用例としては、『巻懐食鏡/香月牛山著(正徳丙申-1716)』


http://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/cont …
(香月牛山の名は則真、字は啓益、牛山は号。貞庵、被髪翁とも号す。)
の中の「酒」項目で「中華ノ酒」との対比において「日本ノ酒」と表現されていますが、
ダメ出しされそうなので先に進めます^^

◆『英国ドクトルドレッセル同行報告書/石田為武編/高鋭一校/明10.10.17』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897375/34
 ◇第廿四 日本酒倫敦輸入ノ税格ヲ減ス可キ事<題目>(34/77)
 ◇本文中(35/77)3箇所など

◆『仏蘭西巴里府万国大博覧会報告書[第1冊]1/仏国博覧会事務局/明治13.2』
「第二篇 日本部/第七章 物品ノ審査並評論之事/第七十四五兩小區」(62頁)<75/170>
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801830/75
 ◇本文中4箇所

◆『日本酒醸造法 農商務省報告/上村秀昇編/楽成舎/明治17.3.21』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848169/2
◆『傍訓註解 日本酒醸造法 農商務省報告/弾舜平編/黎光堂/明治17.4.20』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848170/3

上記以外では、
国立国会図書館デジタルアーカイブポータル(PORTA)
http://porta.ndl.go.jp/
でキーワード「日本酒」検索すると1283件ヒット(時系列ではありません)して
そのうちのアジ歴(アジア歴史資料センター)分の中の
[96.]「1局より出征将校以下へ為慰労物品下賜の旨伺」(陸軍省/明治10年4月10日)
[135.]「支局ヘ北海丸残品受取方ノ往柬附北海丸書面(五月五日)」(蕃地事務局/明治7年5月5日)
[189.]「外入82 兵学校届 教師ハムモンド外1名饗応費支弁方」(海軍省/明治14年2月8日)
ほか[134.][136.][185.][187.][188.][190.][191.][192.]などの文書内に早い時期の「日本酒」用例があります。
蕃地事務局の早期の用例のほか、日本酒に縁が深い^^
陸軍省や海軍省では既に明治10年代の文書から「日本酒」の用例が散見されます。
(アジ歴の各文書を直接貼付けるには無理がある様子なので、
PORTAの「日本酒」キーワード検索から御確認頂ければ幸いです)

上記のとおり、明治7年5月5日を筆頭に、明治10年代に「日本酒」の用例があるものの、
同時代の酒税関連法令などでは「清酒」の用語が遣われていましたが、
明治19年7月28日には勅令の中で「日本酒」が遣われています。
◆『法令全書[第23冊]/内閣官報局/明治19年 上巻』
「明治十九年八月 勅令 第六十一號」(302~303頁)<373/846>
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787968/373
朕朝鮮國ニ於テ製造シテ我國ニ輸入スル日本酒ニ海關税ニ徴收スルノ件ヲ裁可シ玆ニ之ヲ公布セシム
御 名  御 璽
 明治十九年七月二十八日
勅令第六十一號(官報八月二日)
…以下省略…

あと、明治期の一部の国語辞書をチェックしてみると
◆『言海 第4冊つ-を/大槻文彦編/明治24』には未収録ですが、
◆『辞林/金沢庄三郎編/三省堂/明治40.4』では「日本酒」が収録されています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/863016/611
(611/877)<1179頁最下段11行目>
「にほん志ゆ[日本酒]」(名)我國在來の製法による酒。

なお、
◆「神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ>新聞記事文庫>
(ただし、1911(明治44)年10月~1945(昭和20)年1月の間の特定の切抜記事)」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html
「日本酒」キーワード検索371件ヒットの中には明治45年、大正元年の記事もありますから、
既に大正初期には一般的だった様子が伺えます。

今回、可能な範囲で検索してみましたが、
No.2のPinhole-09様がおっしゃるように新聞記事など或いは公的文書などを辿れば、
No.3のisa-98様の御回答の明治5年のオーストリア・ウィーン博覧会前後まで遡れそうに思います。

この回答への補足

#5様の補足欄を使わせていただきます。

自分なりに勝手に想像しまして、まず対外国に対して清酒を紹介するためにJapanese~と表現し、
それを再翻訳(?)して「日本酒」になった、と私の中で納得させました。
本当に、みなさんの回答からの勝手な解釈なんですが、でもなんかそれっぽいからいいかな(^^;

みなさま、こんな何気ない質問にいろいろ調べていただきまして本当にありがとうございました。

補足日時:2011/02/08 08:37
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
こんなに詳細に調べていただいたのにダメ出しだなんてとんでもございません(^^

うーん、外国との接点が多い公的立場の人が、洋酒と区別するために日本酒という表現を使うようになったのでしょうか。

お礼日時:2011/02/08 08:27

日本国語大辞典(小学館)の「日本酒」の項目には坪内逍遥の『内地雑居未来之夢』(1886=明治19年)の用例(「日本酒改良の一事是なり」)が挙げられています。

『内地雑居未来之夢』をインターネットで検索してみたら、この用例のすぐあとに「其の味美なること西洋酒に優らん」という表現がありますので、「日本酒」という言葉は、「西洋酒」など外国の酒との対比・区別のために使われるようになったと考えられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ネットの時代になって辞書を引かなくなった、というよりも、辞書を捨てちゃいました(恥
明治のころから言われていたんですねえ。

お礼日時:2011/02/08 08:17

広義には明治5年のオーストリア万国博覧会で日本酒を出品した時点です。


これによって日本酒の輸出が始まります。

江戸時代の朱印船貿易では日本人町に日本酒は既に輸出されていました。

明治の庶民でもワインやビールと言った西洋の高級酒は知っていたでしょう。

最も注意すべき箇所は昭和ではなく大正時代デモクラシーです。
http://www.kamiya-bar.com/02.html

明治13年創業です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
浅草には大抵昼間に行くので、未だに神谷バーには入ったことがないですねえ。
もう少し歳をとって、昼酒が似合うような風貌になったらデビューしようと思います。

お礼日時:2011/02/08 08:11

いい質問ですね。

(笑)
こういう判っているようで、正確なことは判らない話は
以外と多いのです。

私は酒屋の広告から、穴をあけて見ました。
明治、大正、戦中までの昭和。   日本酒と書かれた
広告は、私の見た中ではありませんでした。

今の日本酒にあたるものは、江戸時代から清酒と呼ばれて
いました。   他に濁酒(どぶろく)と正中(しょうちゅう=
焼酎)がありました。

明治の広告には和酒、洋酒と書いたものがあります。
どぶろくは禁止されていたので、和酒は清酒と正中を
指すのでしょう。

昭和の戦前、戦中の広告では、清酒、銘酒、大吟醸が
あります。
「日本」が書かれた唯一のものは、吉田(酒造)の
「大日本清酒」名鶴でした。

「日本酒」の名がまったく無かったとは、断言できませんが
一般的ではなかったのは確かでしょう。

昭和28年の新酒税法で、清酒(日本酒)と書かれてから
広まったと考えられます。

ほかの切り口(小説、新聞など)から調べると別な答が
出るかも知れませんが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
御礼遅くなって申し訳ありません。
またお褒めに預かりまして、恐縮でございます(笑

なるほど、広告は時代を映すものですね。
和酒という言い方は、そういわれてみれば言いそうな気がします。
>昭和28年の新酒税法で、清酒(日本酒)と書かれてから広まったと考えられます。
うーむ、恐るべし税金。

お礼日時:2011/02/08 08:05

世間一般伝ホン種と呼ばれるようになったのがいつかと云うことについて具体的な記述を見つけるには時間が掛かりそうですが、



多分時代は明治に遡り、日本と名乗り始めた頃に他国の酒との分類をせざるをえない状況が 単に清酒と呼ばず日本酒と名乗る原因になったと思われます。

他国を意識して初めて自国の酒という認識が、清酒=日本酒という概念を生み出していったのでしょう。

最初の酒税法は明治8年(1875年)江戸時代にあった酒株制度という規制を撤廃し、酒造税・営業税の二本立てで発令されたようです。
明治政府にとって 税収の3割が酒税に頼っていたとwikipediaの「日本酒の歴史」の項目にあります。


発足当時の明治政府の哲学として、日本を欧化する政策は重要で、ビールやワインと云ったものは、その普及を目的として税制上保護され、清酒やどぶろく、焼酎に多くの税金を課すようになっていったようです。


一部の大手日本酒醸造メーカーは、外国で日本酒の醸造を行っていて、出来上がった製品は現地で販売されるだけでなく、日本へも輸入されてます。

日本国内で販売される場合には、原産国名および外国産清酒を使用したことの表示が必要です。

酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則(昭和28年3月6日大蔵省令第11号)第11条の5により、清酒は日本酒と表示することが認められているので、実際には「外国産清酒」もしくは「外国産日本酒」と表示さます。

平成17年10月1日から地理的表示に関する表示基準を定める件が改定され、「清酒の産地のうち国税庁長官が指定するものを表示する地理的表示は、当該産地以外の地域を産地とする清酒について使用してはならない。」とする地理的表示の保護についての規定が新設されました。

wikipediaの「日本酒の歴史」の ビール・ワインとの競合の項目を読むと、
ビールの売り上げが伸びる原因が書かれています。

現行の法律では、
酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則
(昭和二十八年三月六日大蔵省令第十一号)
最終改正:平成一八年四月二八日財務省令第四〇号
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S28/S28F03401000 …

 酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律第九十五条 及び酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行令 (昭和二十八年政令第二十八号)第六条 の規定に基き、並びに同令 の規定を実施するため、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則を次のように定める。
第十一条の五  令第八条の三第四項 に規定する財務省令で定める酒類は、次の表の上欄に掲げる品目の酒類とし、同項 に規定する財務省令で定める呼称は、当該酒類のうち、同表の当該中欄に掲げるものにつき、同表の当該下欄に定める呼称とする。

とあり表の中に
上欄中欄               下欄
清酒当該品目に属する酒類のすべてのもの日本酒

現在正式に日本酒と呼んででよいとされる根拠は、
この通達によるとすると昭和28年(1953年)なのでしょうか。
世間一般にはやはり明治時代の後期のような気もしますが。


概ねこういった話は税金がらみですね。

ビール・発泡酒・第三のビールなどもそういった酒税法と複雑に絡み合っていますから。


以上 ほとんど大半の文章をウィキに頼りました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/日本酒の歴史#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E9.85.92.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E5.8F.A4.E6.96.87.E6.9B.B8
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
御礼遅くなって申し訳ありません。

質問しておきながらwikipediaも調べていなかったという横着者でございます。
ものすごく思い入れたっぷりの記事ですね(笑
公的(?)に「日本酒」が登場するのが1953年ということは、
それ以前からその呼称があったということになりますね。

お礼日時:2011/02/08 08:00

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