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大相撲の第60代横綱双羽黒の戦略暦を見ると、一度も優勝していないようですが、本当に一度も優勝していないのでしょうか?もしそうだとしたら、なぜ一度も優勝せずに横綱になれたのでしょうか?教えてください。

A 回答 (4件)

双羽黒(北尾)は幕内優勝の経験無く、横綱に昇進しました。


当時の相撲協会は、若貴ブームの前で日本人スター力士が不足でした。
そして小錦を初めとする、外人力士の台頭などがありました。
そこに、急成長してきた若手力士がいました。
体格も良く、力士として大成がが見込まれていたので、相撲協会は前例のないことですが、今後の活躍の期待を込めて、優勝経験がないまま横綱に昇進させてしまいました。
しかしその後間もなく、双羽黒は親方とのトラブルで廃業したため優勝経験のない横綱になりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/09/15 23:17

優勝や勝ち星といった数的条件を明確に言うようになったのは双羽黒の一件があってからだと記憶していますが。

あれで色々問題になったので優勝が条件として絶対になったのです。
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 横綱に昇進することの条件として「大関が2場所連続優勝、またはそれに見合う成績を上げること」となっていますが、この「見合う成績」というのが実にあいまいなのです。


 双羽黒の場合、2場所連続で、優勝決定戦で敗れていますが、成績は優勝力士と同じであるため、「見合う成績」とされ、横綱昇進となったのです。
 しかし、双羽黒のように、後にも先にもまったく優勝経験のない横綱というのは異例です。
 二代目若乃花、三重ノ海なども、横綱昇進直前の2場所は、決定戦で敗れるなどで、優勝はしていませんが、これらの力士の場合は、それ以前に優勝経験がありますし、また横綱昇進以降も優勝はしています。
 
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 現役時代を御存じ無い方なのでしょうか?私も知らなかったのですが、当時の新聞縮刷版を読み漁ってみました。



 今月6日に立浪部屋に“復帰”された元双羽黒こと北尾光司氏と同じ昭和38年生まれで「花のサンパチ組」の一人で当時関脇だった保志(後の第61代横綱北勝海、現八角親方)が台頭した時期とちょうど重なっています。既に5人大関が居り、過去に遡ってみても「6人大関」の前例が存在しなかったことから、しかも当時千代の富士の1人横綱だったこともあり北尾氏はやや甘めの基準ながら横綱昇進を果たした事になると言えるでしょう。
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