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 この命題を次の二点で 問います。
 
 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。

 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか?


 (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。

 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~
 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる
 一つ松
 吾(あ)夫(せ)を

 一つ松 人にあり≫せ≪ば
 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を
 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を

 一つ松 吾夫を

 ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~
 (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう)

 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ
 一本の松
 我が背子よ
 もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように
 服を着せように ・・・

 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。
 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか?

 (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか?
 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。
 これが かれこれ千五百年 経つ。
 
 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。
 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。

 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。
 うんぬん。
 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?

A 回答 (104件中61~70件)

因みに、大航海時代の羅針盤やら聖書の活版印刷やらが、


「グレゴリ暦」の普及を促したのかを、現時点で調査しています。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 「近 代 の 座」  秋 尾   敏
 ☆ これは おおきな主題ですので いましばらくお時間をください。(ほかの設問での返答を先にすることをもおゆるしください。と言っても 大したよい反応は わたしからは出て来ないかも知れません)。
 
 ご参考に。
 ・・・
 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 判りやすいたとえで行きますと、

 古事記、万葉集、伊勢物語などの歌物語の詞書が不要になり、
 時代を経て、勅撰和歌集、私選和歌集が盛んになり、
 連歌の時代がやってきて、
 最後には俳句にたどり着いてしまう、

 そのプロセスに似ているように思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうですね。《俳句》が文学あるいは少なくとも詩学の中で 歴史的に現代にまで来て その到達点であるということならば うなづくことも出来るかも知れませんが どうでしょうねぇ。
 おっしゃるように《うた》は 社会的・公的な認知としては確かに歌物語の中に置かれて初めてそれらが貴ばれています。たとえば わたくしの別の質問の中に採り入れた次のうたも やまとたけるの物語の中に――もともとは それとは別にうたわれ覚えられていたに過ぎないものが――置かれて初めて 公式には日の目を見たわけです。
 ▼ (記歌謡31) ~~~
  やまとは くにのまほろば    
  たたなづく あをかき     
  やまこもれる           
  やまとしうるはし      
 ~~~~~~~~~~
 ☆ ただしつまりは 逆に言えば もともと――第一の次元において―― 日常生活の中からヒラメキが得られそれの言葉による表現も与えられるようになったものです。《原初の美》がありますし 保たれていると言ってもいいほどです。やまとたけるの話とは切り離して受け取ることが出来るからです。

 あるいは と言うよりも おそらく《うた》は 独りいるときの自己表出のほかは 相手があって呼びかけ答えるというかけ合いの――互いの――自己表現だったと思われます。また いまもそうであると考えられます。
 ということは ウタも詩も芸術も 国家(あるいは豪族の家系)の正式な歴史書や歌集として編まれるという第二次の社会的認知によりも 第一の日常生活の次元におけるその息吹きのほうが うんと大事であると考えられます。原初の美の中核の部分です。

 ★ 連歌
 ☆ は どうでしょう? 市民のたのしみとして 第一の次元にとどまっているでしょうか? 第二の・社会権力(ないし権威)による認知の次元と足して二で割ったような成り立ちをしていませんか? いやいやあくまで市民の次元においていとなまれる芸術であると言われれば おそらくそれは生活日常とはすでにかけ離れてしまっているのではないか? と問うことになるでしょう。
 求愛のウタやあるいは冠婚葬祭での呼びかけ・問いかけとしての生活のウタからは 一たん離れてしまったあとだと考えられます。(実際にそのようにウタがうたわれることがあったとしても それは風流なことですねと受け答えられておしまいになるのではないでしょうか?)
 
 では
 ★ 俳句
 ☆ は どうか? じつはこれは現代では 生活日常の中に溶け込んでいます。無名の俳人がたくさんいます。ただしその表現の形態もしくは中身は どうか? 十七文字という形態にも制約され 中身ははっきり定義することもむつかしいのではないでしょうか?
 別に言いかえると 《わたし》がその自己表現の動態を生きるとき――《わたしがわたしである》ことを うんうんと推しながら 表現し切って行こうとするとき―― 確かにその一人ひとりは 正真正銘の芸術家であり しかも その中身はこの《自己還帰》の過程の全体(つまり一生)において捉えるかたちの芸術となっている。つまり 一つひとつの作品じたいには その内容があまり見るものはない。(そもそも 定型の容量が短すぎて表わしがたい)。

 ★ 俳句にいたると、これは省略の美。”菜の花や月は東に日は西に”。他のものは隠されてしまいます。
 ☆ わたしの見方から行けば こうです。《省略》していようがいまいが 《原初の美》もしくはその言葉への翻訳ないしその加工 これが表わされ伝えられ得れば それは芸術だと認められるのではないでしょうか?
 ★ ”菜の花や月は東に日は西に”
 ☆ そうですね。《原初の美》を凝縮したと言えましょうか? どうでしょうか?
 ・・・
 (つづきます
 →http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6404077.html No.27補足・お礼欄)

お礼日時:2011/04/08 11:57

更にもう1つのポイントを見付けました。



それは此のページの内容です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC% …

そもそも、『「和歌」の勢力が強かった時代』には、
非線形の封建的な時制が支配的になっていた筈です。

従いまして、下記の通りに考えました。

つまり、『「グレゴリ暦」の必要性への諒察を迫られなければ、
思想の「連歌」的な調律を乱さなかったのではないか?』
という事なのです。
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この回答へのお礼

 どうなんでしょうか。西暦としての直線的な時間観念と元号制としての権威為政者(象徴)の即位から退位までの線分をひとつの世(代)とする時間観念と これらの複合ないし二重制度と思って来ましたが 別の見方もまだありそうです。気づきました。

 ひとつには グレゴリオ暦が太陽暦だということ そうだとすると 元号制とは別に まさにひと月ごとの時の循環という暦の制度つまり太陰暦 これもありますね。新月から満月を経てまた欠けてゆくその一つの円環 これの繰り返しであるという時間の観念。
 そう言えば 一日が 太陽の別様の循環になってもいますね。
 かなりの重層構造でもあります。

 あるいはまた そういう話をするのならば 仏暦というのも確かあったはずですよ。仏暦二千五百年と言ったり。

 さらにまた 何を隠そう 日本には 《建国記念日》があるからには――それは明らかに神話であり人為的に作られたということも分かっていますが―― 今年は確か二千六百七十一年目ではないでしょうか。紀元前660年が神武イハレヒコの建国だというようです。つまり これは直線的な時間観でもありますね。

 あぁ そう言えば お隣の朝鮮半島では いくつかの国があり王朝は変わっていますが たしか檀君神話だとかで すでに建国以来 数千年になっているのではないですか?

 そうしますと ただ非線形と言うだけでは正確ではありません。線形の時間観をも含むような非線形であり重層的な構造をかたちづくっているとも言わなければならなくなります。

 ★ 『「和歌」の勢力が強かった時代』
 ☆ とおっしゃいますが 上のように考えて来ると それは穏やかではありません。
 たとえば 万葉集は 実際の数は4500首ほどですが その大半は 作者が無名です。つまり庶民のうたが載せられています。
 その後の勅撰和歌集は もう何をかいわんやで 貴族らによるもののようですが 《うた》が 特に相聞のうたとして日常生活でうたわれていたものと おほやけに取り上げられるものとの間にひらきがなかった時代には けっして身分制の支配というほどのことでもなかったかも知れません。(と言っても けっきょく朝廷からは 労役に使われるわ土地の産物を税として差し出さなければならないわで 《搾取》されていたわけですが)。

 どうでしょう。いまいちど御破算で願いましてはということになりませんか? 歴史の見直しのような作業が待っているように思われます。

お礼日時:2011/04/09 21:47

安易に単純な纏め方で結論の提出を急ぎますと、


勿体無い、と思われますから、もう少しの御付き合いを御願い申し上げます。

従いまして、多数者参加型作品の時制を調べる為に、
次に是を御覧になって下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/MMORPG

「連歌」と"MMORPG"とのどちらもが、
複数の参加者達の集いによって成り立っていますが、
時制の出来上がり方が大きく違ってますよね。

昨日の投稿の内容には、「管理者」の言葉を盛り込ませて頂きましたが、
具体例を上げさせて頂いておりませんでしたので、
本日には此のヒントを御用意させて頂きました。
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この回答へのお礼

 ★ 多数者参加型作品
 ☆ それが《作品》と成るか あるいはどういう性格の作品と成るか これも大きな課題だと思われるのですが 《多数者参加》というかたちは そのおのおのの自己表現とそれらの錯綜しつつまとまるその全体のあり方をめぐって 大きく広い課題を提供するであろうとは思います。

 そこから にわかにどう展開すればよいのか これが分かりかねています。

 ぎゃくに言えば おのおの自由な表現をおこなっていくことが まづは望ましいし じっさいそのように表現の過程は踏まれているというようにも思われます。
 なかなか前へすすめません。

お礼日時:2011/04/09 14:45

畏れ入りますが、今回には、


先ず下記のページを御覧になって下さいませ。
http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/kindai/za.htm
http://before-and-afterimages.jp/MirageCity/shin …
http://pileofindexcards.org/wiki/index.php?title …
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。



 ですが 申し訳ない。わたしは 俳句や連歌のよき理解者ではありません。
 よさが分かりません。あしからず。

 という結論に到りました。仕方ありません。

お礼日時:2011/04/08 23:05

「連歌」の流れは「ネットワーク管理者」によって支配されていませんよね。

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この回答へのお礼

 ★ 連歌 と ネットワーク(通信階層?)

 ☆ これらのあいだの関係や対応をどう捉えればよいかのところから まだ理解し得ていません。 
 連歌については なお勉強して行ければと考えます。(基本的な考え方は すでに述べました)。

お礼日時:2011/04/07 14:33

「良い香り」に値するのか否かは分かりませんが、


謎めいたヒントを本日には申し上げます。

つまり、『「中庸」こそが諸行の「無常性」を築き上げる』
という事情に目を向けてみて頂けますでしょうか?

そこで、間接的であり乍らも興味深い記述を紹介しますから、
是非御覧になって下さいませ。
http://4652.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/17-40 …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B% …

因みに、『「通信」の時制的な階層』の利用は、
『ネットワークの「管理者権限」の階層』によって制御されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%94%E5%AE%9A% …
http://www.teppi.com/solution/file_mgmt/010_fili …
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 時制
 ☆ というのは・つまり言葉による表現においての時制というのは 《直線的な時間》観のもとにあると考えます。

 ・・・過去2・・・・・・過去1・・・・・・現在・・・・・・・未来・・・
 ___|____|_____|____|___→
    t-2       t-1       t0      t+1

 これら 時系列の順序を 言葉の表現においても きちんとそれに対応したかたちで表わそうというのが 時制の一致という規則だと思います。
 ところが 非線形の構文によって成る日本文は この規則に一般に無頓着です。
 主題ごとにその主題の内容をしっかりと相手に伝えようとしますが それらの間の時間的な後先きは 文脈からそれぞれが察するかたちで理解することになっています。いちいち t-2 は t-1 よりも時間的に前であるという事実を 文表現の規則としては要求しない。欧文などでの線形の構文においては これをしっかりとおこなおうとする。
 こういうことだと考えます。

 このことと
 ★ 『「通信」の時制的な階層』
 ☆ との関係は いまひとつ汲み取れないでいます。ただちに対応しているようにはまだ受け取れていません。

 ★ 道元 もしくは クリシュナムルティ
 ☆ まだ抽象的なままになっていると受け取ります。

 ★ 中庸
 ☆ は プラグマティズムのごとく 実践の問題であるように受け取ります。理論としてはっきりしているようには受け取れません。

 ★ 『「中庸」こそが諸行の「無常性」を築き上げる』
 ☆ 実践の中に――つまり要するに 生活の中に―― 中庸という生活態度もあれば そこにおいて ものごとは移ろいゆくものだという諸行無常の観想も持たれるでしょうね。
 それ以上のことは 言葉で表現してもらわないと 何を主題として話をすすめるのか分からないところがあります。

 なかなか進みませんね。

お礼日時:2011/04/07 14:29

帰宅が遅くなりましたので、少ししか纏まっておりませんでして、


誠に畏れ入りますが、約束の通りに送信を致します。

神の時間的な秩序(西暦の時制)の下での「平等」への認識が、
明治維新以前の日本人には乏しかったので、
近隣の文節の時間的な動向「だけ」を参照する『連歌』もが、
日本に誕生し得たのだろう、
と私は考えて参りましたが、如何なのでしょうか?

そもそも、私が此の内容を意識し始めました理由は、
奈良・平安時代の文学の中に、下記の通りの奇妙な特質を見付けたからです。

例えば、「源氏物語絵巻」の登場人物達は実在の人物と違うのだろう、
と思われますが、奇しくも、紫式部は、
其の虚構の中の登場人物達への表敬を綴っていまして、
「帝、せさせ給ひけり。」等という旨の表現が繰り返されていますね。

従いまして、此の事情から、
「身分制の階層」と「時制の階層」との関係の有無を、
私は気にし始めたのです。

To be continued.

この回答への補足

 じどうしゃがいしゃさん――それにしても ヘンな(?――失礼!)お名前になさいましたね―― お早うございます。ご回答をありがとうございます。
 《連歌》を勉強中です。いまも そうです。
 歩きながら考えるという方式で書き始めています。

 ★ 神の時間的な秩序(西暦の時制)の下での「平等」への認識が、 / 明治維新以前の日本人には乏しかったので、
 ☆ おおむねそのように《直線的な時間》観に収れんして来たように考えます。ただしそれこそ 二重構造を呈するかのごとく それは一筋縄ではないかも知れません。
 そのほかに《反復的 / 円環的 / 線分的なそれぞれ時間》観があったと分析したのは 真木悠介:『時間の比較社会学』1981です。わたしはこれに拠らないのですが 中では《線分的時間》が 生まれてから死ぬまでの線分としての一生涯 これを時間のすべてとするという思想は おもしろいかと思います。ユダヤ人のごとく来世やら再生やらはいっさいないのだと決めて生きる。前世も無しです。

 あとは《反復的・円環的》と言っても かの――わたしにとっては何を言っているのか分からないところの――《永劫回帰》説は放っておきますが 要するにときが流れれば春は夏になりさらに秋から冬へとそして再び春へと季節が移り変わるごとく そしてまた《世にあたらしきものなし》と言うかのごとく 人の生きることと世とは繰り返していると言いたいのだと思われます。
 元号制という時間観は そんなところでしょう。

 しかもそこには別の側面が取りだせるようです。皇帝が就任してから退任するまでの一定の線分を 人民も一緒に 生きるという見方が 部分的には取りだせるかも分かりません。乃木大将は 明治天皇の崩御とともに殉死したそうですから。インドでは サティーとか言って 未亡人はいないというナラワシがあったようです。つまり夫の死とともに夫人もみづから命を断つという誰もが守る習慣だったようです。

 直線的な時間観の起こりをまづ考えます。
 イザナキとイザナミの三人の子ども(厳密には イザナキ一人から生まれた)は 日と月と闇にそれぞれたとえられるアマテラス(天照)とツクヨミ(月・読み(=数える))とスサノヲ(スサは荒ぶのスサ の男)です。
 そしてあるいは はつくにしらすすめらみこと(初・国・知らす(治める)・天皇)と呼ばれる崇神ミマキイリヒコイニヱの世には 神の子と言われたオホタタネコがいます。つまり言いたいことは 人の呼称に ヒコ(日子⇒彦)とネコ(根子)とがあったことです。
 これらから分かることは 人は一般にネコすなわち 大地の子である。また特に身体を言っている。ただし人には心があり これはネコ身体にそなわる精神であり あたかも日の光に譬えられるゆえに ヒコ(日子)でもある。
 単純にここから ヒコはアマテラスに そしてネコはスサノヲにそれぞれ当てはめられる。

 言いかえると 大地の上に生まれ生きる子であるネコについてその内の一般的で普遍的なことを引き出すなら それは 抽象概念として 精神でありヒコであると捉えた。体つきや顔つきは人それぞれであるゆえ。
 だとすれば おそらくその頃の人にとっては 昼(日‐ル)と夜(夜‐ル)とは別の時空間であったろう。そこをさらに ヒコないし心の光をそれら両者にも当てはめ貫かせた。つまりしたがって 要するに日の光が――という意味で アマテラスなる概念が―― 普遍性のシルシとなった。昼と夜のふたつの世界が一つにまとめられた。
 このアマテラス語によれば それぞれ個性のある生きた言葉と生活を表わすスサノヲ語が あたかも共通性を持ち社会も共同体としていとなんで行けると踏んだ。
 結論:アマテラス普遍概念語による統一的時空間としての社会とそこにおける生のいとなみ〔なる世界観〕

 ★ 神の時間的な秩序(西暦の時制)の下での「平等」への認識が、/ 明治維新以前の日本人には乏しかったので、
 ☆ 神の時間的な秩序のための基礎的な道具(概念)は出来ていたであろう。
 その下での平等は どうであったか? 《公地公民制》というのは アマテラス科学語かつ人格語を表わすアマテラシテ(象徴)の下にある土地と人民は すべてオホヤケ(大宅)の所有であり 土地は《平等》に分け与えられる(班田収授制)のだそうです。どうもタテマエは そうであったのだと思われます。
 ただし 時間制と言いますか 暦法はそうではなかった(発達しなかった)ようですね。

 ★ ~~~~~~~
 ので、
 近隣の文節の時間的な動向「だけ」を参照する『連歌』もが、
 日本に誕生し得たのだろう、
 と私は考えて参りましたが、如何なのでしょうか?
 ~~~~~~~~~
 ☆ さてどうなのでしょう? 連歌ですかぁ。

補足日時:2011/04/06 12:03
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この回答へのお礼

 ▲ (ヰキぺ:連歌) ~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E6%AD%8C
 連歌は「筑波(つくば)の道」とも称されるが、これは連歌の起源が『古事記』にある甲斐国酒折(山梨県甲府市)において、倭建命(やまとたけるのみこと)と御火焼翁(みひたきのおきな)との筑波山を詠みこんだ唱和問答歌に位置づけられていることによる。
 ▼ ((1) 芭蕉以前の俳諧)~~~
  http://www.e-t.ed.jp/edotori390172/bun-01.htm
 
 【やまとたける】:新治(にいはり)筑波を過ぎて幾夜か寝つる
  (新治とか筑波というあの地を過ぎてから、もう幾つの夜を過ごしただろうか)

 【おきな】:かがなべて夜には九夜(ここのよ)日には十日を
  (指折り数えて夜は九晩、日は十日になります)
 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ですが これは公式に文献に載ったかたちを言うのであって もともと《うた》は 相聞歌として日常の中におこなわれていたと考えられています。

 ▲(ヰキぺ:歌垣】~~~~~ 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
 (うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
 現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
 古代日本の常陸筑波山などにおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

 歌垣はその後の歌合、連歌に影響を及ぼしたとされている。
 現代にも歌垣の残存は見られ、沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣の遺風が見られる。
 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ しかも 日本語がその基礎語彙をそこに負うと仮説されるタミル語では ニ千年前ころに編まれたサンガムという歌集を知るとそこに 五七調(七五調)も見出されると言います(大野晋:『日本語の源流を求めて』2007 II 言語を比較する 9 五七五七七の韻律)。

 ★ 近隣の文節の時間的な動向「だけ」を参照する「連歌」
 ☆ どうでしょう? もし要するに求愛ないし口説きのときの掛け合いの言葉をひと組とする《うたの連なり》から 連歌が出て来たとするなら そのときの《時間》観は どうなっているか?

 わたくしがそもそも連歌と 言葉の表現における時制の問題とを 同じ次元で取り扱いたくないのは 連歌は 二人より多くの人たちによって表現されているということからなのです。
 言いかえると そこでは 意志ないし思いの表明は ひとりの人のまとまった思想として成るのではなく 多くの思想があつまったかたちを取っているからです。
 自由意志の主体は あくまで《個人》であって 二人三人が集まって ひとつのまとまった意志が成り立つとは思えません。それは 同意や合意です。それぞれ多少の違いがあっても ひとつの意志や思想や政策として合意するのですから そこでは言ってみれば 時間の扱い方は ごちゃまぜになっているはずです。もともと そうであるはずです。
 だから 連歌という表現に時間観をどのように取り出し扱うのか 非常に疑問なのです。

 ですから 連歌を持ち出すのは どういうわけか これをもっとおしえて欲しいと考えます。

 ★ ~~~~~~~~
 ・・・「帝、せさせ給ひけり。」等という旨の表現が繰り返されていますね。

 従いまして、此の事情から、
 「身分制の階層」と「時制の階層」との関係の有無を、
 私は気にし始めたのです。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ これは どうでしょう。端折って述べますが 身分制の階層は おそらく言葉の表現形式としては わたしは《飾り》もしくは修辞法でしょうか 大きくはレトリックとして現われるのではないかと思っています。
 日常生活の言葉としてのスサノヲ人間語 そしてその中から普遍概念を抜き出して共通語としたアマテラス科学語かつ人格語 のほかのところで成り立たそうとするレトリック語法であるように思います。

  ありがとう。  
  すみません。
  サンキュー。
  かたじけない。
  恩に着るよ。 / 恩に着ます。
  おそれいります。
  感謝の意を表します。
  お礼を申し述べます。
  〔何も言わず 頭を下げる。 / 手を合わす。〕
  ご苦労さまでした。
  ご苦労であった。

 《ご苦労》は 身分制の飾りや付け足しだと思われます。《恐れ入ります》は どうでしょう?

  

お礼日時:2011/04/06 14:06

本日には、先ずインターネットの階層の点から、


時刻合わせ(時制の一致)の仕組みに触れます。

私達は此のOKWave等のサイトやらメールやらを通して、
情報の遣り取りを行なっていますが、
『其の途中の過程を担ってくれている「サーバ」群の時間的な連携』を、
利用者達が意識する必要が御座いませんね。

此の理由はインターネットの階層構造にあります。

そもそも私達がPCで通信を行なう際には、何らかの目的を意図していますので、
当然乍ら其の行為には感情的な要素が残っていますね。

でも有り難い事に、間を中継してくれているネットワークが、
ユーザーPC側への自己主張を行なわず、
『デジタル的な「無心(!)」』で"Service"を提供し得る様に、
ルータの内側(LAN)とそれの外側(WAN)との「通信」が、
別の『見えない「上位階層」の規格(Protocol)』で管理されている御蔭で、
恰も神の超越論的な視座から提供された時間軸に沿っているかの如くに、
全体の秩序が維持されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Local_Area_Network
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wide_Area_Network

そして、例えば、特に(此の質問ページの本題の)時制に絡んだ規格として、
NTP(http://ja.wikipedia.org/wiki/Network_Time_Protoc …が標準化されています。

従いまして、此処迄の流れからも類推して頂けると思いますが、
『世界全体が同じ時間を共有する「西暦」の時制』が、
「科学的」な通信を成り立たせているのではないでしょうか?

但し、此処からが本題でして、
東洋の中でも特に日本の元号の様に、循環する時間が採用されていますと、
時制の一致を維持出来なかっただろうか、という疑問が残りますね。

「自然の成り行きに自分達の身を任せる」態度が比較的に高く評価されてきた、
という通説を踏まえますと、「時制の一致」の価値が軽んじられてきた様にも感じられますが、…。

______________________________________________________________

すいません。時間の都合で、続きを明日に綴らせて下さい。
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この回答へのお礼

 ていねいに説明をいただきありがとうございます。

 今回だけの反応としましては まだ単純なお応えになります。すなわち
 ★ ~~~~~~~~
 従いまして、此処迄の流れからも類推して頂けると思いますが、
 『世界全体が同じ時間を共有する「西暦」の時制』が、
 「科学的」な通信を成り立たせているのではないでしょうか?
 ~~~~~~~~~~
 ☆ もしこういう帰結なのでしたら 単純な受け答えになると思います。

 日本では 時制をめぐって二重制度である。
 すなわち 暦は 西暦と元号とが併用されている。後者では 時制の一致があいまいになるかたちであり それをおぎなうためにも(世界の基準に合わせるために) 前者の西暦を用いると。

 時空間のあり方が 二重構造になっているかと。

 いやぁ分かりませんが 取り敢えずにて。

お礼日時:2011/04/05 05:17

有り難う御座います。



『日本人は地球人か』という馬鹿馬鹿しい質問を或る自称物理学者(猪突先生)からは「病的な頑固さ」が窺われますが、それに対しまして、
此処の質問者様からは素晴らしい優しさが窺われますので、嬉しく思います。
(勝手に比べまして、すいません。)

此処のページの質問は非常に重要な価値を持っていますので、
御互いの立場で更に深い発見が有ろうか、と期待されますし、
世間の御役にも立てるかも知れませんから、
もう少しの御教授を御願い出来ますでしょうか?
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この回答へのお礼

 これはこれは わざわい転じて福と成すのごとく 世界は好転しましたね。

 へっ へっ へっ と言っていたのが ウソみたい。

 超党派 あるいは 大連立 でまいりましょうか。

 ただしお伝えしたように パソコンの仕組みや機械やあるいは自然科学 これらにはからっきしのわたしですので あとで失望なさらないように願います。
 言語類型論については 或る程度――特にほかの人びとの言わない見方 つまり定説とは一味ちがった見方について―― 世間に対して問うというようなかたちで考えたところがあります。そのあたりでしたら もう少し蓄えがあるとは思います。

 いづれにしましても こちらこそ どうぞよろしく。

お礼日時:2011/04/03 17:32

『コンピュータ間での通信にも応用され得る程の論理が、


現時点で日本的な思想の中に見出され難い』
という事情にも、長所と短所とが含まれているのでしょうが、
現代科学で東洋思想が軽視され過ぎている、と思われますので、
此のページの質問は哲学分野だけに留まらない価値が有ろうか、
と考えたものですから、敢えて通信の内容に言及させて頂いております。

つまり、此のページの質問内容は他の方々からの質問よりも重要で、
『今後に日本的な思想が新たな通信プロトコルを生み出せるのか否か』
という命題をも導いてき得るでしょう。

因みに現在には下記の世界規格が標準化されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E4%BF%A1% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/OSI%E5%8F%82%E7%85% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E4%BF%82% …

この回答への補足

 日本文について 《 A-ハ B―ガ C‐ナリ。/ C‐スル。》という文型が基本構文だと考えられるが それについて説明せよと言われれば とりあえずわたしの次の投稿を見てみてください。

 【Q:「は」 と 「が」】 その回答No.7
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5277320.html

 【Q:水が飲みたい】その回答No.4&10&11&13&16
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5331453.html

 【Q:主語と述語】そのNo.8&11&13&15
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5319882.html

 【Q:体言】No.3
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5358059.html

 【Q:「は」と「を」】No.6
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5233472.html

 【Q:「手本」の対義語】No.3&4&5&6&8&10&12&14&16&19&21&22&23
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5168258.html


 ほかに関連の質問として次があります。

 【Q:《言語記号の恣意性》は 神話である。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5664705.html

 【Q:name と名前 は同じ発想か?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5761266.html


 ひけらかしのごとくにて はづかしながら。

補足日時:2011/04/03 12:13
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ここらできちんと もしここまでにおいてわたしから気持ちをそこなう言葉を発していたとするなら ごめんなさいとあやまります。
 むろんわたしはつねに受け身であり 売り言葉に買い言葉であるという弁明をこの期に及んでも持ちますが ここまで対話をつづけるということでしたら きちんと和解を述べますし 提案します。

 さて お伝えしていますように 通信プロトコルについても丸っきり阿呆です。
 ただ思ったことは 要するにコンピュータに使う言語をどうするかの問題が ひとつにかかわっているということでしょうか? という見方です。

 それが勘違いでしたら もううっちゃっておいてください。

 わたしの見るところ 日本語は 韓国語とともに 世界でほかの言語とは文法をひとしくしていない。
 これは 文の構造のことを言っています。《生成》の有り方が違っているのであり ただし見るところでは この日本文や韓国文を言語の初源的な生成のかたちとして ほかの諸言語の構文は発達して来た。こう見ます。

 《 A-ハ B―ガ C‐ナリ。/ C‐スル。》という文型が 基本になっている。そういう構文です。
 これは あくまで A や B や C という主題を――けっこう無造作に――次から次へとポーンポーンと投げ入れて行くような生成のあり方から来ているようです。
 そうは言っても 文は話し手の意志・思想の表明なのですから ゆくゆくは 欧文に見られるような《主格( S )x 対格( O )x述格( V )》といった文の意味としての論理連絡を とうぜんのごとく持ち合わせます。結果としてそういう思想の表明という中身を表わします。
 ということは 言いかえるなら 主題を提示するためのシルシである活用格としてのハ格やガ格〔・ヲ格・ニ格・ノ格などなど〕(あるいは論述格における用言の法活用もあるが)は 二重の役目を果たしている。これが いちばんの特徴です。

 (1) わたし( A )‐ハ 〔注文の品( B )‐ガ〕 うなぎ( C )です。

 話し手は 頭の中から いま気になっている事柄を一つひとつ主題として 言い出します。初めに言い出されるのは ハ格で承けます。《わたし( A )‐ハ》 これがともかく第一に気にしている事柄であり このハ格で承けておけば あとでほかの主題との論理連絡は いかようにも整えられる。
 というわけで この例の場合には 決して主格( S )として論理連絡するのではなく 《話題を提示しますが わたしに関して言えば》という意味となって文にとどまります。

 この例の場合通常 B-ガの主題提示は省かれますが けっきょくそのほかの部分である《〔注文の品( B )‐ガ〕 うなぎ( C )です。》が 《 S-V-Compliment. 》として――つまり《注文は( S )‐です( V )‐うなぎ(補語= Compliment )》として――主題どうしの意味連絡が決まります。
 一般に論理連絡ないし意味連絡というのは 論述主題( C-ナリ。/ C‐スル。 の部分)の述格にほかの主題がみな意味上収れんするというその形を言います。

  わたし‐ハ・・・です。
  注文‐ガ・・・・です。
  うなぎ・・・・・です。

 のように論述主題(うなぎ= C )を承ける述格としての用言(です。)に意味連絡は収れんして行きます。言いかえると 述格用言とその法活用のあり方(法= mood =話し手の気分のあり方)が ほかの主題を支配しています。
 ちなみに

 (2) わたし‐ハ うなぎ‐ガ 食べたい。
 (3) わたし‐ハ うなぎ‐ヲ 食べよう。

 とすれば おおむね《主・対・述》の論理連絡が分かりやすい文となります。ただし 中でヲ格はだいたい意味が対格として決まっていますが ハ格やガ格は その意味連絡の表示が そのハやガだけでは 一義的に決まるものではない。こういう厄介な文の成り立ちを持っています。
 要するに ハ格は 一方で基本的に 主題提示格( T1 )であり 他方では意味連絡のうえで主格( S )にも対格( O )にもなり得ます。(わたし‐ハ うなぎ‐ガ 見ている。 では ハ格⇒ヲ格)。
 欧文の構文類型( S-V-O )を 線形として そして和文のそれ(《 A-ハ B―ガ C‐ナリ。/ C‐スル。》)を 非線形と見立てる便法を持ちます。非線形は 二重構造です。

 とうぜん日本文を欧文と同じように取り扱うことには無理があるでしょう。欧文の文型に合わせるのなら おそらくプロトコルは 簡便法を用いざるを得ないものと思われます。

 ご関心がありましたら 参照してみてください。
 その参照箇所は 補足欄にかかげます。

お礼日時:2011/04/03 12:07
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