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20代、女性です。

私は「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が苦手です。この言葉を聞くたびに何だか切なくなります。

これから何かを成し遂げようとする人にとっては素敵な言葉なのでしょうけれど、

虐待の果てに亡くなった子供は?
孤独死した老人は?
難病で苦しいままの人は?
災害で命を落とした人は?どうしようもなくなって、自殺した人は?

これは乗り越えられる試練なのか?と思ってやりきれない気持ちになります。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉に対しての皆さんの
・言葉のとらえ方
・こういう風に考えたらいいのでは?

など、意見・感想をお聞かせください。
よろしくお願いします。

A 回答 (32件中1~10件)

「試練」を辞書で引くと、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。

」とあります。

なので、本人が「試されている」と感じた時に「試練」になるのではないかなと思います。
逆に言えば「乗り越えられるかも!」と感じた時に「試練」に変化するのかもしれません。
そういった場合は「神は乗り越えられる…」の言葉はものすごく励みになるでしょうね。

虐待の果てに亡くなった子供、孤独死した老人、難病で苦しいままの人は本人が試練と感じたかどうか…。
おそらくそんな感情はないと思うので、この言葉には当てはまらないのでしょうか。

災害で命を落とした人については、災いですので、試練とは違う気がします。
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この言葉は、知っていたら申し訳ないのですが…聖書の言葉なのです。



「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐える事の出来ないような試練に会わせるような事はなさいません。むしろ、耐える事が出来るように、試練と共に脱出の道も備えて下さいます。」
コリント人への手紙第一第10章13節

(神を信じる)あなた方を…耐えられないような試練に会わせることはない。

という、神の約束です。

「神を信じる」人にとって、励ましとか、思い込みとかではなく、事実そうなのです。

この世には、耐えられない試練があります。
これは紛れもない事実です。

人間は、悪魔と神の狭間で生きています。

耐えられない試練、どうしようもない悪、死や罪。
これは、神から来ているのではなく、悪魔がもたらすものです。

虐待。
孤独。
飢え。

全て人間が、造り主の神から離れた結果として存在するものです。

人間は神につくられたのに、「神はいない」などと神に失礼なことを言ったり、
神を手で作ってしまったり。

人間が作った神や仏ではなく、人間を造った本物の神に信頼しなくてはならないのに…

人間を造った神に信頼するなら…
耐えられない試練は与えられません。

もちろんクリスチャンでも、試練はあります。
試練は忍耐と品性を養うと聖書にかいてありますから。

でも、神を信じるクリスチャンは、試練は必ず素晴らしいことへのステップであることを知っています。

映画「ソウル・サーファー」や「幸せの隠れ場所」「ザ・ウォーカー」などぜひ見て見てください。

神を信じるなら、神が「すべてのことを働かせて益としてくださる」と聖書にかいてあるので、「神は耐えられない試練は与えない」と心から信じることができるのです。

この世からすべての悪魔を排除されますように…
それには、神を信じる人が多く必要です。

最悪なことは悪魔からきます。
神からくるのではありません。

最悪なことも、神にならすべてを働かせて素晴らしいことへと変えてくれるのです。

あなたも、ジーザス…本物の神に出会えますように…

祈ってます。

エホバの証人とか、間違った聖書を教えているところにいかないように…

この世の闇を見て落胆するのは、まともな感覚をもっているからです。

神の力があなたに望みますように…
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世の中には死んだ楽だと思うような苦しみ、悲しみあると思います。



私はそこまでの試練は味あったことはないですが

怒りや絶望、自己嫌悪、後悔、憎しみ、そういう心境に陥ったときに

この言葉を思い出すと、乗り越えなきゃいけない、
乗り越えられると、希望が出てきて、晴れやかな気持ちになります。
困難とは人が成長するためにあるとさえ思えます。

一見かわいそうな死にかたでも、本人は「耐え抜いた」「困難を乗り越えた」と満足してるかも
しれません。
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「神は乗り越えられる試練しか与えない」



キリスト教の聖書の中の一節なのですが、

これはむしろひどい悲しみの中にいる人へ贈られた言葉です。


tomo002さんが苦手だと思う原因は、

神を「加害者」と解釈しているからではないでしょうか?



キリスト教では 神とは、「重荷を一緒に背負ってくれる方」という存在です。



「試練」とは、その人に必ずもたらされる運命のようなものです

分かりやすい例を挙げると「死」がそうです。

遅かれ早かれ死は誰にも避けることができません


だから、その試練を 嘆いたって思い悩んだって事態は変わらない

悲しいですが仕方のないことです。


しかし、本当に辛いと思った時にその言葉を思い出してみてください

「ほら、あなたはこの試練を乗り越えられるから、安心して辛抱しなさい」と断言して

やさしく背中を押してくれる存在がいると考えたら、

勇気がわいて、冷静になってきませんか?

どうせ試練にあわなきゃいけないんなら、悩んだってしょーがない。

乗り越えられるって神様が約束してくれてるんだから

頑張ってみようじゃないか、と思えてきませんか?





キリスト教になじみのない方は、あまりピンッとこないかもしれませんね・・・

でも私が大好きな言葉だったので、

誰かがこの言葉を知って、勇気をあたえられる事があれば、と願いをこめ

ふつつかながら回答させていただきました^^;

最後に『砂の上の足跡』という詩を紹介させて下さい。

『FOOTPRINTS IN THE SAND』という英語が原文で作者不明の

アメリカでは童話?のような詩なんですが、私の文章を読むより断然分かりやすいと思います♪←




砂の上の足跡


ある晩、男が夢をみていた。

夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。

ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。

しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。

しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。

私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。

あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、

その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」
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>私は「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が苦手です。



こんなのありました。
『ご夫婦で(映画)ご覧ください!』
→ よっけーな一言だよ、これ、、、って。
→ だから映画の興行成績落ちるんだよ、、、って。

夫婦以外、みちゃいけないの?とか、
離婚したばかりの人、結婚が破談になった人たちにとって、
長年夫婦して来ておいて、倦怠期なんて贅沢病で、むっしんけーなこと言うなぁ、とか、
ホント自己中だなぁ・・・だ、そうです。

苦手な言葉、というか、今聞きたくないよ、無神経だよ・・・と感じる言葉、
たくさんの立場の人がみているので・・・メディアなんかではしょっちゅう こういうのにぶつかりますヨね。
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たぶん、さまざまな被害に遭われたお気の毒な結果になってしまった方々の受けた、災いに対して向けた言葉→神様の試練、言葉 ではないですよね、これ。



そういう大切な方々を失われたり、辛い心をどうにも救い様ない、という哀しみの中、それでも生きて行かねばならない人に向けての、神様からのエール。

あなたならきっと、いつかこの哀しみから立ち直れるよ、、、
頑張って生きていこー!
という意味をこめた、その災い自体じゃなく、乗り越えて生きてゆく方、それこそが試練ということかな、と思いました。

普通に、誰かが発した言葉には、それぞれ、目的の方向性があるわけで、すべての人に向けられている言葉ではない、ということでしょうね。
ある意味自己中心的にいつも自分に関わるという考え方ならず、傍観して客観的にどんな人に向けられている言葉か冷静に判断すれば、言霊にやりこめられてしまうことはないかと。
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「神は乗り越えられる試練しか与えない」


この言葉は主さんの言う通り矛盾しています。
災害や事件に巻き込まれて亡くなった方等、その死に方が乗り越えられる試練な訳ないですもんね。
私の考えですが、この言葉は生まれ変わりがあるという前提での言葉ではないでしょうか。
不幸な死に方をされた方はその周辺の方、家族や恋人、友人等への試練。
当人は次の人生で同じような死に方をしない。
不幸な人生を送られた方は試練を乗り越えた分、生まれ変わったら良い人生が与えられる。
しかし、欲に溺れるとまた辛い試練を与えられる。
というような事でしょうか。
一回の人生で表題の言葉を当てはめる事は無理があると思います。
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貴方は人を思いやることのできる優しい心の持ち主ですね。

それだけに心を痛めてしまうことも少なくないのではないでしょうか?ちょっと心配です。
そんな貴方はこの言葉を、もっと「自分のため」にとらえて良いのではないでしょうか。確かにこの世の中には「傷ましくて度し難いこと」がたくさんありますよね。でも、その切なさも貴方が乗り越えられる試練で、そのこと自体もこれから貴方や私達が解決していかなければいけない試練だと思います。
だって「神は乗り越えられる試練しか貴方にも私にも与えない」のですから。キレイゴトですみません。でも一緒に頑張りましょう。
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この言葉は、誰か一人に対しての言葉じゃなくて人間、人類すべてに対する言葉だと思います。

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他の人も書いていますが、どんなに良い言葉も投げかける人を間違えたらただの屁理屈になってしまいます。



この言葉はあなたがあげている虐待や事故や難病で亡くなった人に当てはまるものではありません。
なぜならこの人達は運命に負けたのではなく、不本意に亡くなったからです。

この言葉は、どんな屈強にも負けないで生きようとする人が支えにする言葉です。
あなたが自分自身の事でこの言葉を受け入れられずに苦手だと言うのなら仕方ないですが、あなたが勝手に「気の毒だと思っている人」に当てはめて腹を立てるのは筋違い。
ちびくろさんぼの絵本を人種差別だからと廃盤にしようとした日本の団体に考え方が似ています。

あなたが弱者と思っている人がどのくらいの苦しみを受けて亡くなったか本当に理解していますか?
言葉が酷いのではなく、その人達にこの言葉を当てはめる事自体が残酷なのではないでしょうか?
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