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 アレクサンダー大王もギリシャの王ということが出来ると存じます。
 このお方がインドに遠征した時のエピソードに関する質問なのですが。

 聖者として評判されている方がおられた。
 大王はその方が瞑想されているところにいき、【聖者よ、わしは大王である。望みのものがあれば申してみよ。なんでもかなえて差し上げよう』と云った。

 聖者は、【大王?太陽を隠しているそなたがどいてくれることが望みじゃ』といったそうです。
 
 たいへん示唆的な話ですが、アレクサンダー大王とこのような会話をしたと伝えられる聖者のお名前が判りましたら、どうかお教え下さい。

 もう65年も前に授業で聞いた話ですので、細部は伝説内容と異なる作文が混じっているかもしれませんがどうぞよろしくお願い申しあげます。

A 回答 (1件)

私の知っている(から、結構 知られているんでしょうね)


のでは、

インドに行く前の話ですが\(^^;)...


・ディオゲネス
古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。
大樽を住処にし、寝ていたので「樽のディオゲネス」とも言われた。

紀元前336年、
アレクサンドロス大王が、まだ父マケドニアのフィリポス王の旗下のアレクサンダー将軍として軍を率い、
ギリシャを征服平定しコリントスに入城したとき、
既に全ギリシャで著名であった哲人ディオゲネスが挨拶に来なかったので、
アレクサンダーの方から探し求めて、会いに行った。
ディオゲネスは、市の体育場の隅に、いつものように、愛用の大樽に横たわり
日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンダーが挨拶をして、
何か希望はないかと聞くと、
「ありがたいが、この年では、そう欲もなくてな。そーじゃな、将軍殿、
あなたにそこに立たれると日陰になるから、どいてくださらんか。
今日は、そんなところか。では、若いの、いい眼をしてるの、気を付けて、いきなされ。」
とだけ言った。
帰途、大王は「男たるもの、アレクサンドロスにあらずんば、ディオゲネスになりたし」と言った。

ブルターク英雄伝より



・唯一の正しい政府は世界政府であるといい、「自分はコスモポリタンだ」と言い、史上初めてコスモポリタニズムという語を作ったひとでもある\(^^;)...。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。
 目より鱗以上です。
 ディオゲネスでしたか。
 インドの哲人の話ではなかったですね。
 私の創作的間違いでした。
 
 インドの哲人が権力や権力者を無用なもの、なくなれば世の中も文化も陽が当たるという皮肉。
 西欧的知性がどけば、真理がわかるものだ、という皮肉。

 などと絡めて考えていました。長い年月、といっても中学からたかだか60数年の私の人生の間に勝手な理解に変化させてしまいました。
 有り難う御座いました。
 

お礼日時:2011/04/14 11:09

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