最近、ネットなどで、中国語の文章を読むようになった学習者です。
「将」という単語は、頻繁に出てきますが、体得していないせいか、ここでいつも考えてしまいます。
以下、goo辞書の抜粋ですが、大きく分けて3つの使い方があるようです。
この内、どの使い方なのかを瞬時に判断するには、どうしたらいいのでしょうか?
どの使い方が多いのでしょうか? 大体の割合などが分かれば、なお嬉しいです。
副詞としての使い方が多いような気がしますが、どうでしょうか?

宜しくお願いいたします。

[動]
(1) 挑発する,たきつける
拿话将他一下言葉で彼を刺激する.
(2) (将棋で)王手をかける.
(3) 《方》(家畜が)子を生む.
━ [副]
(1) まもなく…しようとする,近く…なる.
(2) きっと…するであろう.
(3) 二つの動作が同時に行われることを示す
将信将疑半信半疑だ.
━ [介]
(1) 手段や道具を示す,…によって,…をもって
将功赎罪よい仕事をしてミスを帳消しにする.
(2) 目的語を前に引き出す働きをする,…を,(【同】把)
将书拿出来本を取り出す.

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A 回答 (3件)

こんにちは。



以前、別の質問者の方にもお答えさせて頂きましたが、
最も多いであろうと考えられる「将」の用法は、
あなたのおっしゃるとおり ─〔副〕ではないでしょうか。
特に(1)や(2)のように、未来や将来に関する事柄を
表記する文章に多く使われますよ。
私的な感覚ですが、多分8割くらいはこの(1)や(2)の
ような用法である気がします。残りは─〔介〕の用法でしょうか。
〔動〕のような用法は、私はほとんど眼にした事がありません。

使い方を瞬時に判断する方法は……う~ん、これはこれから先
たくさんの中文を眼にしていけば、自然に分かるようになるとしか
言えません。ニュースなどにはたくさん出てくる用法ですので、
「将」が出てくる度に、ご自分で意識してその使われ方を納得する
ーというつもりで読んでいれば、必ず意識せずとも自然に分かる時期が
来ようかと思いますよ。

今はパソコンがあるので、辞書ばかりに頼らず気になった単語があれば、
中国語のサイト内でその単語の「ページ内検索」をかけたり、
直接そのキーワードで検索をかけたり(将は多すぎてむりでしょうが)して、
その文章の構成を見るようにすれば、色んな文例を眼に出来るでしょう。
そういった地味な努力?というか、積み重ねを続けてみて下さい。
必ずあなたの中国語読解力向上の助けになろうかと思います。
頑張って下さい。

参考URL:http://fmvforum.okwave.jp/qa4383644.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。かなりスッキリしてきました。
しかし2割ぐらいは介詞としての用法もあるんですね。
沢山読んで、自然に分かるようになりたいと思います!

お礼日時:2011/04/19 16:20

まもなく…しようとする,近く…なる    一番多く使われている


それから目的語を前に引き出す働きをする,…を,(【同】把)
ほかの用法はあまり使わないんです。ただ10%です。
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> この内、どの使い方なのかを瞬時に判断するには、どうしたらいいのでしょうか?



品詞が違うのですから、使われ方、文の中でどういう成分になっているかを見れば、すぐにわかることもあります。

副詞であれば、述語(動詞など)を修飾するので、すぐあとには動詞などの述語部があります。
介詞であれば、その目的語なのですぐあとには名詞があります。
もちろん動詞が名詞として使われる場合もありますから「単語」の品詞にとらわれずに文の中で名詞(句)として使われているのか、述語部で動詞として使われているのかを判断する必要がありますね。

他の質問者さんの回答でも述べさせていただいておりますが、その単語だけを取り上げて、訳はどれだろうと考えるのではなく、その単語が文の中でどういう成分、役割になっているかを理解すれば、おのずからその単語の品詞と訳が定まってきます。
文型と言うと、英語の場合でもそのパターンを必死に暗記するように習得する傾向にありますが、文型は覚えるためのものではなく、使うためにあります。
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この回答へのお礼

No.1の方の回答で、副詞か介詞のどちらかが殆どということですので、
焦らず、次に来るのが動詞か名詞か見てみれば良いのですね。
ありがとうございます!

お礼日時:2011/04/19 16:24

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Q「将」の使い方について

お世話になっております。
取引先にサンプル発送依頼をしたときのことです。
相手から「様品我将尽快寄給イ尓」と返事がありました。
意味は「サンプルはできるだけ早急にお送りします」だと思いますが
ここで使われている「将」の意味は何なのでしょうか?
特に「将」がなくても文章に誤りはないと思うのです。
今まで気にしなかったのですが、たびたび「将」を見かけるもので・・・
ご教授お願いいたします。

Aベストアンサー

「将」は、未来に関する事柄を言う際に使われます。同じ中国語で「会」と同じ用法と考えてよいのではないでしょうか。英語でいえば「Will」の用法に良く似ています。
「将」がなくても意味は通じますが「将」を使うことで、より未来における不確定的な要素を、ニュアンスとして伝えることが出来ます。
日本語で言えば「将」なしの文章は「サンプルはできるだけ早急にお送りします」と、かなりはっきりと送る意思を伝える感じになりますが、「将」があれば「サンプルはできるだけ早急にお送りする所存です」となり、言下に「送るつもりではいるが、(未来のことなので)発送できないこともあり得る」、あるいは発送が遅れる場合もある…という、ニュアンスが生じます。

Q「将会」?、「就在野田出发之前,」の「就」?

1,「きっとそうなるだろう」という意味でしょうか?「会」をどけて、「将是非常(きっと重要な議題になる)~」でも意味的にいいのでしょうか。
2,「前」と呼応して、「直前」にの意味でしょうか?辞書にのってなかったので、質問いたしました。


「ニュース原稿」
CCTV消息:在媒体的聚焦之下,野田佳彦今天启程开始了他作为日本首相的第一次访美的行程。据报道说,安全方面的话题将会是非常重要的议题。就在野田出发之前,日美就棘手的驻军问题达成了协议,常驻冲绳的1.9万名美军当中将近一半将转移到位于关岛、夏威夷、澳大利亚的美军基地。

Aベストアンサー

「会」は、ご質問のように意味としては「そうなるであろう」という可能性を表す助動詞(能願動詞)です。
「~なはずだ」否定形で「~なはずはない、~なわけはない、ありえない」というような表現に使われます。
「きっと」という語感を加えて強調しています。
「会」がなくても「~となるだろう」といいう表現にはなりますが、ニュースとしての緊迫性、話題性から言うと、こういう助動詞や副詞は使われるのが常道でしょう。


「就」は副詞として、「在野田出发之前」を強調しています。
「まさに出発前に」、「ほかでもなく出発の前に」ということになります。
「直前に」と訳してもよい場合もありますが、「直前」と言う場合は時間的(時刻として)に非常に近いことに主眼を置くこともあるのに対して(例「試合の直前に雨が降った」)、この場合は順序やつながりとしての直前なので(例「試験の直前に予習していた内容」)、注意が必要です。
かっこ内の例文の日本語でおわかりになるでしょうか。

Q中国語の「もし」(要是、如果、・・・話)

「もし・・・なら」という意味の中国語(普通話)は、
ぱっと思いつくだけでも
要是
如果
・・・話
があります(日中辞典によれば、もっとあります。)が、
この意味・ニュアンスの違いを教えてください。


如果・・・話
の代わりに
要是・・・話
という言い方は可能ですか?
可能なら、意味・ニュアンスはどう変わりますか?

Aベストアンサー

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「もし明日雨が降ったら、私は行きません。」

1.如果明天下雨,我就不去。
2.如果明天下雨的話,我就不去。
3.要是明天下雨,我就不去。
4.要是明天下雨的話,我就不去。
5.明天下雨的話,我就不去。

 硬さを順に並べると、1>2>=3>4>5のようになっていると思います。また、条件節を受ける働きとして、よく二番目の文節に「就」が来ます。

 ちなみに、「明天」を「如果」と「要是」の前か後ろか、どちらに置いてもかまわないのですが、「我」を「就」の前に置くべきです。つまり、このようなことです。

○如果明天下雨,我就不去。
○如果明天下雨的話,我就不去。
○要是明天下雨,我就不去。
○要是明天下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

○明天如果下雨,我就不去。
○明天如果下雨的話,我就不去。
○明天要是下雨,我就不去。
○明天要是下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

×如果明天下雨,就我不去。
×如果明天下雨的話,就我不去。
×要是明天下雨,就我不去。
×要是明天下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

×明天如果下雨,就我不去。
×明天如果下雨的話,就我不去。
×明天要是下雨,就我不去。
×明天要是下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「も...続きを読む

Q「好的」と「是的」の違いについて

最近中国語の勉強を始めました。
はい、イエスを意味する言葉として「好的」と「是的」がありますが
この使い分けはどうすれば良いのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、「好的」は良い・OKなど、了承を表す意味を持ちます。

例:「明天9点半在学校門口見面、好ma?」→「好的」
(明日9時半に学校の校門前で待ち合わせでいいですか?→いいです)


「是的」は、その通り・合っているなどの肯定を表す意味になります。

例:「ni是日本人ma?」→「是的」(あなたは日本人ですか?→そうです)


あと、正反疑問文の「好不好?」「是不是?」で聞かれた場合は、その動詞に対応して回答します。

・「好不好?」→好/不好     ・「是不是?」→是/不是

ご参考までに。

Q「会」の使われ方がよくわかりません

中国語を独学している初学者です。

中国語で以下の文章を書いたところ、日本語を勉強している中国人の大学生からいくつかの添削が入りました。
いずれも、“会”の使い方がダメらしく、文中“ ”でくくったように“会”についてたくさん間違いを指摘してもらいました。
どうしてここに“会”が必要なのかが、よくわかりません。

#1 自分の故郷が舞台になっている映画について書いた一節:
所以看了这部电影,我就经常"会"想起我故乡。
(だから、この映画を見ると、私はいつも故郷を思い出してしまいます。)

#2 友だちが、クリスマスにホームパーティーに招待してくれた時のエピソードの一節:
每年她的丈夫都"会"为(/给)我们做许多晚会的料理,我"会"提供几瓶日本酒,而别的朋友也"会"提供几瓶葡萄酒。
(毎年彼女の夫が私達の為にたくさんの料理を作ってくれます。私は何本かの日本酒を、別の友達は何本かのワインを提供します。)

“会”そのものの意味の他、たぶん、自分は中国語的な文章のつくり方・発想が理解できていないのだと思います。
日本語に、意訳でなく、直訳していただけるとその発想の違いが感じ取れるのかもしれません・・・。
どうぞよろしくお願いいたします。

中国語を独学している初学者です。

中国語で以下の文章を書いたところ、日本語を勉強している中国人の大学生からいくつかの添削が入りました。
いずれも、“会”の使い方がダメらしく、文中“ ”でくくったように“会”についてたくさん間違いを指摘してもらいました。
どうしてここに“会”が必要なのかが、よくわかりません。

#1 自分の故郷が舞台になっている映画について書いた一節:
所以看了这部电影,我就经常"会"想起我故乡。
(だから、この映画を見ると、私はいつも故郷を思い出して...続きを読む

Aベストアンサー

「就」や「都」などの副詞や「会」、「能」などの助動詞(能願動詞)は、日本語に慣れているとなかなかうまく使えませんね。
語気助詞を含めて、ニュアンスを出す話法は、本場の会話で雰囲気をつかまないとなかなか頭では理解できても使えません。

まず、#1 の「会」は、英語の「must」で考えるとわかりやすいかもしれません。
「~しなければならない」の方ではなく、「~に違いない」「~のはずだ」の方です。
「当然、そうだ」という場合の「会」で単に辞書にある「可能性」よりももっと強いものです。
可能性よりも必然性と言ってもいいでしょう。必ずそうなるのです。

なお、否定したときの「不会」には「できない」以外に「~はずがない」という用法があります。

つまり、淡々と「いつも思い出す」のではなく「本当に(←就)いつも、必ず(←会)思い出す」のです。
このようにして、自分の言いたいことを誇張気味に話すのが中国語の特徴です。
相手に伝えたいことがある以上、控えめなんてことはありません。(笑)

#2 の用法では、#1 と同様に「当然のように~する」という意味があります。
辞書にも「~するものだ」という意味が出ていると思います。
それ以外にも「会」には「上手である」という意味もあります。
つまり腕前を強調しているので、単に「毎年恒例なので当然~する」以上に「うまくこなせる」「手馴れている」という意味にもとれます。
「会」がはいっていないと単純な習慣の事実を記述しているだけですが、「会」が入ると、毎年やっていて生き生きとした動作と楽しげな雰囲気が感じられるようになります。

以上、個人的な解釈が多分に含まれていますので、文法的な正解を踏み外しているかもしれませんが、それが言葉と言うものだと思っています。

「就」や「都」などの副詞や「会」、「能」などの助動詞(能願動詞)は、日本語に慣れているとなかなかうまく使えませんね。
語気助詞を含めて、ニュアンスを出す話法は、本場の会話で雰囲気をつかまないとなかなか頭では理解できても使えません。

まず、#1 の「会」は、英語の「must」で考えるとわかりやすいかもしれません。
「~しなければならない」の方ではなく、「~に違いない」「~のはずだ」の方です。
「当然、そうだ」という場合の「会」で単に辞書にある「可能性」よりももっと強いものです。
可能性...続きを読む

Q中国語の「都」を見たとき、どう訳せばいいですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら、別の単語があります。

他们都不去日本。

この彼らの人数しだいで、勝手に厳密には、全員でないので、「全て」と訳さないパターンだろうと、
こちら側で適当に、全員ではない事にしたり、全員にしたりしていいのですか?

仮に、この彼らが、中国人全員のことを言っているとするなら、
厳密には、全員ではないだろうと、勝手に判断して、本当に全員日本に行かない。
と言っているのに、
都合よく「全て」という意味の「都」ではないと判断してもいいのですか?

それに、「全て」という意味でなかったとしても、
この「都」は、無視して訳さないのですか?
それとも、「ほぼ」や「大体」という意味に変えて訳すのですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら...続きを読む

Aベストアンサー

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があったとすれば「ほぼ全部」「大多数」という表現をする方が「適切」でしょう。
しかしながら、会話の文章などでは、話者がどう思っているのかということがすべてです。
聞いた側は話者の言うことをすべて信用するとすれば、「全部」であると理解するほかはありません。

> (1)都は、「すべて」「みんな」と言う意味の副詞です。
> 全てと言わないなら、入れてはいけない。まずこれが基本である。

前回のご質問で上記のようにお書きになられた通りです。
どう考えても「すべて」ではないと聞く側がわかっていたとしてもですね。

これは中国語という言語、言葉、文法の規則の問題ではなく、その背後にある文化、考え方の問題と言ってもいいでしょう。
日本語(日本)では、なるべく相手の側に立って話をするという一種の美徳があります。
間違っているかもしれないこと、例外があることに関して、相手が誤解しないように言葉を加えることはごく当たり前に行われます。
しかしながら、外国語(外国)では、自分の意見や主張を表現することが第一であり、他人から見て間違っていようが、自分の意見や主張を表現する場合に遠慮はしません。

まあ、日本でも「みんな(そうしているよ)」などと言い切ってしまうことはありますが。(笑)
このように「みんな(そうだよ)」と言われたことはありますよね?
本当に「みんな」でしょうか?違うこともありますよね。でも、「みんな」と言うのです。
中国語では、特にこの種の言い切りだとか、強調が多いのです。
そういう場合には「都」、「也」、「就」などが頻繁に使われますが、時に日本語には訳しにくくなります。

前回のお答えでは、「都を使っていても、必ずしも論理的に全部を意味しない」ということであって、「都をすべてとは訳さない」とは申しておりません。
ほかには「ほぼ」「大体」については、そのように訳するとも申しておりませんし、回答内に使用しておりません。
似たような語を使っているのは、「都を使うときの気持ち」を説明している部分で、

「ほっとんど、みんな、そうしているんだよ」、「いつでも(どこでも)そうなんだよ」、あるいは「みんな、もうそうしているよ」「とっくだよ」という気持ちで語る場合には、「都」はあるのが当たり前

という部分です。

話者が仮に頭の中で感じているのが「アバウト」であったとしても、ひとたび言葉で「都」と言った時点で「すべて」だと言い切っているのですから、聞いた側は「すべて」と訳すしかありません。

他には人数にこだわっておられるようですが、二人でも三人でも「みんな」であれば「都」は用います。

ということで、前回と今回のお答えが疑問点とずれていて、単純に文法的な回答をお求めの場合は、「都=すべて」とだけご記憶になられて学習を進めていただいた方がよいでしょう。
いつか、中国語の言葉の裏だとか、表現の特性を知りたくなったり、単純に文法規則で解釈できなくなった場合に思い出してください。

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があった...続きを読む

Q中国語 ”不可以”と”不能”の違い

中国語で ”不可以”と”不能”はどうちがうのでしょうか?
たとえば、「日本可以 ロ乞 鮮魚片。」の否定文は
「日本不能 ロ乞 鮮魚片。」ですが、
「日本不可以 ロ乞 鮮魚片。」といえるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を述べて → 食べれない 
 = 中国語は一言 不可以口乞 と表現(食べようと思えば食べられる)

(2)今日は魚を買い忘れたので刺身は ←理由を述べて → 食べれない
 = 中国語は一言 不能口乞 と表現(物理的に食べるのは無理)

…と言うようにです。(1)と(2)の日本語、違うのは前の説明文であって、結局は どちらにも同じ『食べられない』を使っていますね。
ところが中国語では『出来る・出来ない』という表現方法が何種類も用意されているのです。ここでの話ならば、日本には1つしかない『食べられない』が、中国語では3つも4つもあるのですね。この辺はお分かりでしょう。
最初は面倒に感じるでしょうが、慣れてしまえば日本語のように長々と理由を述べなくても、一言で意志を伝え理由を理解出来るのです。その表現方法の代表が可以と能(会)です。


初めて納豆を見た中国の人が あなたに食べられますか?と聞く時も、その方が 能口乞ma? とあなたに聞いたとすれば、それはあなたに『これはそもそも食べる事が出来るものか?』とか『中国人の私にも食べられるものか?』というニュアンスの『食べれるか?』です。

一方、可以口乞ma? と聞いた時、それは単にあなたに食べる許可を求めているという事になります。

…難しいかな? (というか説明も難しいんです)(^_^;)
残念ながら、これは自分で色んな場面を考えて、この場合は可以かな?能かな?と考え、慣れて行くしかないと思います。
今後は さらに会という表現、また~得(不)了とか ~得(不)下 などの出来る出来ない表現も出てくるでしょうから、まずはシッカリ可以と能の使い分けを体得しましょう。
頑張って!!

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を...続きを読む

Q「所」+動詞の使い方

<「所」+動詞>と<動詞>の違いがよくわかりません。以下のA,B,C,Dの(1)、(2)は両方とも正しい中国語表現でしょうか?

(A)
 (1)我想去的地方。
 (2)我所想去的地方。

(B)
 (1)我買的書。
 (2)我所買的書。

(C)
 (1)我愛的故郷。
 (2)我所愛的故郷。

(D)
 (1)我関心的是他的目的。
 (2)我所関心的是他的目的。

もし、(1)も(2)も正しいとすれば、動詞の前に「所」がある場合とない場合とで意味はどのように違うのでしょうか?

Aベストアンサー

意味は大体同じです。「所」が有る場合は「地方」「書」「故郷」などを強調します。この場合、語句の重点は受動者にあります。これらの言い方は全部聞き取れますが、Dの(2)はよく言われます。でもね、日常生活の会話の中で「所」がない場合は多いです。「所」を加えれば、ちょっと言いにくくなります。

Q中国語で「辛苦了」とは?

タイトルの通りですが中国語で「辛苦了」は何という意味でしょうか?

中国人からメールが来る時に冒頭によく入っています。
(本文は日本語なのでメールは普通に読んでます)

Aベストアンサー

日本語で言う「お疲れ様」です。
読み方はシン・ク・ラです。

Q(中国語)就是について・勉強方法もおしえてください!

今、中国語の勉強のために中国の方のインタビュー記事を
読んでいます。その中に「就是」という単語がよく出てきます。

なんとなくは分かるのですが、これは日本語でいう「まあ」みたいな
あまり意味のない言葉として捉えていいのでしょうか。
それとも、ないと文法的におかしいのでしょうか。

例えばこんな感じです。
「~有一点舒服、可是就是唯一就是朋友都不在。」
 ~快適だったが、唯一(寂しかったのは)友達がいなかったこと
 です。

といった具合にこんな短い文の中に2つも就是が入ってくるのです。
中国人のように喋りたい!と思って勉強しているのですが
自分ではこんな風には喋れないだろうな~と思うのです。

「就」とか「就是」を会話の中で自然に入れてみたいのですが、
どうすればいいのでしょうか。
(不是~就是などの構文は使うことは出来るつもり…)

あわせて勉強方法も教えていただけたら嬉しいです。(中級者)
今はこのインタビュー記事を聴き取り、内容を理解し
暗記しようとブツブツつぶやいています。
でもつい就是のような細かい(?)部分が気になって
先に進まないというか…。
気にせずにどんどん暗記したほうがいいのでしょうか。
これから中国語スクールにも通う予定です。

どれかひとつでも構いません。
アドバイス等よろしくお願いいたします。

今、中国語の勉強のために中国の方のインタビュー記事を
読んでいます。その中に「就是」という単語がよく出てきます。

なんとなくは分かるのですが、これは日本語でいう「まあ」みたいな
あまり意味のない言葉として捉えていいのでしょうか。
それとも、ないと文法的におかしいのでしょうか。

例えばこんな感じです。
「~有一点舒服、可是就是唯一就是朋友都不在。」
 ~快適だったが、唯一(寂しかったのは)友達がいなかったこと
 です。

といった具合にこんな短い文の中に2つも就是が入っ...続きを読む

Aベストアンサー

この場合の就是は、日本語の「ほんとに、やっぱり、まさに」と言った意味の使い方ですね。すっごく強調したい、まさにこう言いたい。
意味は違いますが、英語だと「you know」というのがありますが(「まあ」、「えーと」、「あのー」の語感)、こちらは、あまり知的とは受け取られません。
有名人の真似をするのは、そういう趣味の世界では楽しいですが、会話の中で、こんなに入れる必要もないと思いますよ。
きちんと、意味のある場所に的確に使うのでないと、変に流行り口調にかぶれてるだけだとか、あまりよい印象はもたれないのではないでしょうかね。

>でもつい就是のような細かい(?)部分が気になって
と書かれているように、変に入っていると、聞きにくいですよね。(笑)
こういう表現は、本当に自分の感覚に馴染まないうちは使わない方がよいです。(勘違いして使ってしまう恐れもありますから。)
そういうわからない点、あいまいな点を除いたら、「気にせずにどんどん暗記したほうがいい」と思います。
そして、ある程度馴染んできたら、少しずつ取り入れれば、会話にリズムが出てくることでしょう。

この場合の就是は、日本語の「ほんとに、やっぱり、まさに」と言った意味の使い方ですね。すっごく強調したい、まさにこう言いたい。
意味は違いますが、英語だと「you know」というのがありますが(「まあ」、「えーと」、「あのー」の語感)、こちらは、あまり知的とは受け取られません。
有名人の真似をするのは、そういう趣味の世界では楽しいですが、会話の中で、こんなに入れる必要もないと思いますよ。
きちんと、意味のある場所に的確に使うのでないと、変に流行り口調にかぶれてるだけだとか、あまり...続きを読む


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