まったくの素人で素朴な疑問ですが。

九州説だとか近畿説だとか言われていますが、そもそも邪馬台国って本当に有ったのでしょうか?

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A 回答 (7件)

当時の日本に何らかの国家群があったのはたしかですが、「邪馬台国」という呼称は、中国人が勝手に音をもとにつけた卑称なので、実際に魏志倭人伝の記述に相応する国家が日本にあったかは、わからない状態です。



あったのか、なかったのか。あったとして何と呼ばれていたのか、日本や朝鮮の書物に書かれている何にあたるのか、わからないというわけです。

だから魏志倭人伝の記述によく似ているものが見つかる可能性があったとしても、それが邪馬台国だと断言できないところが苦しいところなのです。

現実的に実証不可能といっていいでしょう。

歴史学では基本的に、書籍に記述がないものは、何も分からないのです。考古学では、遺物などを調査して類推することはできますが、それと書物の内容とを結びつけるほどの明確さを求めることはできません。

結論としては、永遠に答えのでない問題ということです。
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邪馬台国の記述の典拠である「魏志倭人伝」は、魏の次の王朝である晋の時代に編纂されたいわゆる正史『三国志』の一部です。


従って、邪馬台国の存在した時代と同時代の史料ではなく、編者の陳寿が何らかの史料をもとに記述したものと考えられます。
現在その史料は確認されていませんので、もとになった史料そのものがそもそも信用できる史料だったのかどうかは不明ですし、陳寿が誤記した可能性もありますし、陳寿が創作した可能性もありますし、正確な事実が記述されている可能性もあります。
しかし、悪魔の証明と同じように、邪馬台国が存在しなかったことを証明するのはきわめて困難です。
歴史学としては、倭国内で史料が残されていない以上、他国である中国の歴史書に全面的に依拠せざるをえません。
そこにある記述を使用しなければ、この時代の歴史は空白だらけになってしまいます。
歴史の流れを意識すれば、「魏志倭人伝」に依拠するだけではなく、邪馬台国とはどこにあって、朝廷の前身である大和王権とどのような関係であったかを考える作業が必要になってきます。これが現在の論争につながります。

まとめますと、邪馬台国があったかどうか確実なことは言えないが、日本の歴史を記述するにはあったことを前提にせざるをえない、です。
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この回答へのお礼

歴史の空白を埋める為に必要なのでしょうか

お礼日時:2011/04/23 17:23

そもそも、日本語に文字はありません。

漢字は中国の文字ですよね。ひらがなもカタカナも漢字を変化して作った文字なので、日本語独自の文字というのはないのです。
え、じゃ何をもって「邪馬台国」なるものが出てくるのか?質問者さんが聞きたいのはそういうことですよね。

中国の古代王朝である魏が、「魏志倭人伝」という書物を残しています。これは、国家の公式文書です。ちなみに魏は三国志の英雄のひとり曹操が作った国です。つまり邪馬台国は三国志とほぼ同時代の話なのです。
その魏に、「東から倭人というのがやってきて魏に挨拶しに来ました」と記録が残っていたのですね。そこに「邪馬台国」の記載があったのでその存在が記録に残っているということです。
国家の公式文書に記録が残っているわけですから、そこの信ぴょう性を疑うのはやめよう、というスタンスです。そりゃ、公式文書も改ざんや捏造は起こりますが、事実関係(そういう事件が起きたとかそういうこと)が全くの捏造というのも考えにくいですからね。

で、なにがその九州説とか近畿説とかと揉めるのかというと、その記録にあった「邪馬台国がある場所」なんです。北九州の場所まで間違いなく記録がされているのです。そこは分かっている。「朝鮮半島の先に対馬があって、その先に国があってー」となっているのです。問題はそこから先。
「その国から南に船に乗って10日、歩いて1ヶ月のところに邪馬台国がある」と記載されているのです。その通りに南下すると、鹿児島のずっと先の海になってしまうのです。
そこで議論になりました。これは何かを間違えて記載したのだろうけど、どこが間違えていたのかとね。
で、近畿説の根拠は「これは南と東を書き間違えた」と。方向を東にするとちょうど近畿あたりになるので収まりがよくなります。それに、古代大和って今の奈良県あたりにありますよね。
一方、九州説では「これは船に乗って10日、歩いて1ヶ月が間違っている」と考えています。本当はもっと近いのでは、と。そりゃちょっと無理がねえ?と考えがちですが、当時は九州のほうが朝鮮半島との交易があって先進国でした。佐賀県で吉野ヶ里遺跡が発見されたとき、すわ邪馬台国か!?と非常に盛り上がりました。しかし、結局邪馬台国ではないことが分かりましたが、九州説論者はこれだけの大都会が佐賀にあったので邪馬台国も九州のどこかだろうと主張しています。

今のところ、近畿説のほうが有力です。しかしそうはいっても近畿説の最も痛いところは「それっぽい遺跡が全くない」ことです。というわけで、どちらも決定的な根拠がないのでいまだ結論が出ないということです。
宮崎県に高千穂という場所があり、地名から日本神話との関連の深さが指摘され、いわゆる「神武東征」の話なんかもあるのでそういう関係も考えると九州の存在も無視できないんですよね。

邪馬台国から古代大和にかけても日本の古代史というのは矛盾だらけで謎が深い時代でもあるのです。
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この回答へのお礼

「その国から南に船に乗って10日、歩いて1ヶ月のところに邪馬台国がある」と記載されているのです。その通りに南下すると、鹿児島のずっと先の海になってしまうのです

ここからが何だか素人には理解できなくて・・・・

こじつけたような気がするのですが・・・

お礼日時:2011/04/23 17:19

和歌はもともと倭歌(わか・やまとうた)と呼ばれていたという説があり、日本の祖先が倭という名を自称(もしくは受け入れていた)ということは言えるかもしれません。



ただ、福岡市東区の志賀島で発見された「漢委(倭)奴国王印」については、個人的には納得のいかないことがあります。 倭奴(ウェノム)は倭寇以来の日本についての蔑称であり、意味的には「こびとの国の奴ら」的なものです。 なぜそのような名を自称じたのか、あるいは受け入れたのか。 非常に疑問の残るところです。 まさか捏造でもないでしょうが、その後に「倭」の文字を嫌って「和」に転じたのはいつだったのでしょうか? 大きな和と書いて「やまと」と読むのはなぜなのでしょうか。
邪馬台国と「ヤマト」の発音の近さも鑑みると、邪馬台国は、渡来人に対する過渡的な日本人集団としてあり得た存在ではないかと思います。
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この回答へのお礼

発音による説はよく聞くのですが「和」は現代の北京語では「わ」とは全然ちがう発音ですが当時はどうだったのでしょう。

お礼日時:2011/04/23 17:16

「確実に」という証明は難しいですよね。

何と言っても昔過ぎてますし。
私もまったくわかりませんが、面白い質問でしたので、お邪魔しました。

このような小説もあります。

鯨統一郎著
邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫)

面白い論理展開で、邪馬台国は東北にあったんじゃないかという話です。
読むと、「なるほど~」と思えるので面白いです。

他にもいろいろな歴史的事項を仮説の積み重ねで、今の有力視されている説を覆す話です。
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この回答へのお礼

考古学や古代史はまったくの素人なんですが、諸説を読むとみんな何処かに無理が有るような仮定が有るような・・・・・

そうなると存在自体が怪しいなとしか思えないのですが。

お礼日時:2011/04/21 10:37

・九州説だとか近畿説だとか言われていますが



日本ではないという諸説もあり、どこかは
定かではないのですが、
邪馬台国の記述は、
中国の国定公式史書である
有名な三国志の
「魏書東夷伝」に、東夷の一つ倭人の国として
書かれています。架空のものなら
そのような史書には、公式記録の引用として
記載されないでしょうから、何かが存在したのは
間違いないでしょう\(^^;)...
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この回答へのお礼

やっぱり日本列島ではないという説もあるのですね。

「倭人」と言うのがどの様な民俗かは知りませんが私たちの祖先なのでしょうか?
出来れば「倭人」が私たちの祖先だという根拠みたいな物をしりたいのですが・・・

お礼日時:2011/04/21 10:20

>本当に有ったのでしょうか?



その時代にいないので「わからない」が正解。

それをいろいろな発掘等で証明しようと
がんばっているんです。
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この回答へのお礼

それをいろいろな発掘等で証明しようとがんばっているんです。

何が発掘されると邪馬台国の存在の証明になるのか知っていたら教えて頂けませんでしょうか。

お礼日時:2011/04/21 10:12

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Q邪馬台国の位置について・・・

私は小学校のときに邪馬台国の位置の話について思っていたんですが、どうして邪馬台国の記述は間違ってると言い切れるんですか?もしかしたらアトランティスのように海に沈んでしまったということはないんですか?あるいはそうゆう学説はないんですか?実際沖縄の方で沈んだ島もあるという話をきいたのですが・・・

Aベストアンサー

実際にそういう説もあるみたいです。

参考URL:http://www.president.co.jp/pre/20001218/03.html

Q邪馬台国=九州説と記紀

邪馬台国=畿内説では、記紀に登場する
倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼、豊鍬入姫命がトヨ、
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のように対応させて説明されることが多いです。

奈良県桜井市から天理市にかけて山の辺の道がありますが
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邪馬台国=九州説でも、畿内説のように記紀に登場する人物に対応させるのですか。
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※九州説の内容を質問しています。
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関祐二さんの本やほかの本にもあったかと思いますが、墓の比定はできないんですが、卑弥呼やトヨが誰か、という意味では、次のように示唆していたかと思います。

卑弥呼は、日巫女で役職のようなもの。
当時大和に刃向っていた九州勢力では、山門県(やまとのあがた)にいた田油津(たぶらつ)姫がいて、神宮皇后かこれを打ち破った。この時兄がいたが、多油津姫が殺されたと聞いて逃げた。
この九州勢力が大和に対抗するためにさかんに中国との外交を展開している中で、金印を授かったりしている。
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ここから、豊浦宮の神功皇后が、トヨとして卑弥呼を継いだ、と考えている。

こんな感じだったかと思います。ちょっと不確かですが。

ちなみに、この豊については、この後歴史上色々と出てくるのでそこをたどっても面白いですよ。
こんなサイトもありました。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index7.html

関祐二さんの本やほかの本にもあったかと思いますが、墓の比定はできないんですが、卑弥呼やトヨが誰か、という意味では、次のように示唆していたかと思います。

卑弥呼は、日巫女で役職のようなもの。
当時大和に刃向っていた九州勢力では、山門県(やまとのあがた)にいた田油津(たぶらつ)姫がいて、神宮皇后かこれを打ち破った。この時兄がいたが、多油津姫が殺されたと聞いて逃げた。
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Q邪馬台国の位置そんなに重要ですか?

考古学と言うと直ぐに京大と東大のお勧めの邪馬台国近畿九州2説が直ぐに頭をよぎりますが。これってそんなに重要な事なのでしょうか?。

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Aベストアンサー

少なくとも私自身は実生活に直接は関係ないと思っていたのですが。。。
これほど学問(学者)の話題が一般的な社会レベル(一般人)で
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といいながら、興味をそそられているわけです。というよりも
関係をもとうとしていると言ったほうがいいかもしれません。

それはやはり国史ということで、無意識に日本人のルーツの確認を
しているのではないでしょうか。
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Q邪馬台国、三重県説について

邪馬台国、三重県説について

直井裕さんが書かれた、『邪馬台国は三重県にあった』を読んだのですが…三重県にある!ということを決めつけて、強引に三重に辿りつかせたという印象を受けたのですが…(特に最終ページ付近の、にわかに信じがたいタイムスリップ体験の話)
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Aベストアンサー

ある事はあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A7%AB%E5%91%BD


伊勢神宮から考えれば、神風と常世です。

三重県の弥生遺跡は少ないです。
http://www.db.pref.mie.jp/db/user_upload_file/k405700/14/H16murat.pdf

古墳を考えると地方豪族と言う感じです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%97%97%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

卓上では悪くは無い。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/bunpu.png

古事記や日本書紀の読みは、大和朝廷の勢力が後々ここを勢力下に置いた為。
となります。

しかし、後々まで放置していた事が地方豪族の証にもなります。(東端)

Q(邪馬台国)か(やまたいこく)って言う焼酎をご存知ですか?

5、6年に大阪・箕面にあった”焼味尽” 牛タンの店にですが
そこにあったんでよく飲んでいました。

当時は焼酎の飲み始めで 麦焼酎ばかり飲んでいました。
そこの店主にもうこれがなくなったら 入荷しないと言われたので
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すっかりそのことを忘れてて もう一度飲みたいと思ったのですが
姉妹品の焼酎の名前及び、酒店と場所が忘れました。

探しにいければ見つけれるのですが 東北に転勤になったので
探せません。

二度目に買いに言ったときに店主は ネットでも販売してると言ったのを
思い出しました。

名前がわかればいいのですが (邪馬台国)か(やまたいこく)の焼酎か
酒造会社を知っていれば教えていただけないでしょうか。

Aベストアンサー

「邪馬美人」(やばびじん)ではないですか?

先週、大分県の兄貴のところに遊びに行ったときに御馳走になりました。焼酎はあまり詳しくないのですが「プレミアがついて結構高いんだぞ」と説明されました。「東京だったら1万円(一升瓶)くらいすんだぞ」と。

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Q邪馬台国説

ここに邪馬台国の可能性とあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%BD%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

内容は可能性では無く、

>黒板勝美が尻尾をつけて墓を捏造
>記紀による天皇家の出自も改竄で、現実は神武も卑弥呼も朝鮮半島からきた。

と、可能性では無く、2ちゃんねる顔負けに断言しています。

内容は、
南九州から青銅器が出土下と言う意味なのでしょうか?
また、どう言った根拠がそれを断言させたのでしょうか?

Aベストアンサー

この「西都原古墳群wiki」の文章を書いた人は、多分、いわゆる『民間歴史研究家』と分類される類の人でしょうね。

民間歴史研究家の特徴は、思い込みが激しく、都合の良い資料を集めて来て編集する。自説に不都合なことは書かない。

このwikiの内容を見ても『・・・好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。』と断言していますが、中国の真面目な正式の研究者の研究により「『好太王碑文の改竄』は無かった」ことは明らかにされています。素人の私でも知っている周知の事実ですから、日本の学者ならば、このような初歩的な情報は知っているはずでしょうね。この改竄説を今でも言い張っているのは韓国系の民間歴史研究家ぐらいのものですよ。

同じくこのwikiには『・・・6 神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。』と書かれています。この記述の根拠は記紀の神代編の項目と字数を根拠にしているのだと思いますが、それならば、記紀記述で一番多い出雲・伯耆・因幡の遺跡、例えば「妻木晩田遺跡」等の存在をまず否定すべきでしょう。こちらには、古墳の古い形である「四隅突出型墳丘墓」も数多くありますね。

まあ、はっきりいってwikiの内容をそのまま鵜呑みにする人は少ないでしょうし、この内容を信用する人は特に少ないでしょう。論理の組み立てが幼稚すぎます。

この「西都原古墳群wiki」の文章を書いた人は、多分、いわゆる『民間歴史研究家』と分類される類の人でしょうね。

民間歴史研究家の特徴は、思い込みが激しく、都合の良い資料を集めて来て編集する。自説に不都合なことは書かない。

このwikiの内容を見ても『・・・好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。』と断言していますが、中国の真面目な正式の研究者の研究により「『好太王碑文の改竄』は無かった」ことは明らかにされています。素人の私でも知っている周知の事実ですから、日本の学者...続きを読む

Q邪馬台国の読み方は 「やまたいこく」 or 「ヤマトコク」???

「台与」は「とよ」と読む例が多いのに、
邪馬台国は『やまとこく』と読まないのでしょうか?

Aベストアンサー

邪馬台国の正確な音は不明ではないでしょうか。
「台与(とよ)」が「壱与(いよ)」ではないかと言われるように、「邪馬台国」も「邪馬壱国」「邪馬一国」など表記に異論があり発音も「やまたい」「やまと」「やまいち」説がまだ統合されていません。
「やまと国」と読んだ学者は漢字学者の藤堂明保氏と(たしか家永三郎氏も「やまと国」派だと思いますが自信なし)。
**正史で実際に使われたのは「台」「壱」でなくその正字です。

下記wikipediaサイトの「邪馬台国の表記に関する説」を参照下さい↓

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD

Q邪馬台国朝鮮半島説・・・他。

古代史研究家の山形明郷氏という方が「邪馬台国論争終結宣言 考証 史説の虚構性を衝く」という本を出しています。
 http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E8%AB%96%E4%BA%89%E7%B5%82%E7%B5%90%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%95%E8%80%83%E8%A8%BC-%E5%8F%B2%E8%AA%AC%E3%81%AE%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%80%A7%E3%82%92%E8%A1%9D%E3%81%8F-%E5%B1%B1%E5%BD%A2-%E6%98%8E%E9%83%B7/dp/4795213623/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1237819907&sr=8-1

山形氏のこの本では邪馬台国は朝鮮半島にあったという事らしいのですが・・・
残念ながら自分はまだこの本を読んでいません。
どこのネット書店も品切れで取り扱っておらず、ネット古書店の「スーパー源氏」や「日本の古本屋さん」他、色々探したましたが、見つかりませんでした。

質問1.
この本を読んだ方おられるでしょうか?
読んだ方がおられたら、邪馬台国の朝鮮半島説について、どう思われましたか。信憑性は高いものだったのでしょうか?

質問2.
あと自分が子供の頃は邪馬台国は九州説が有力だったのですが、最近は畿内説が有力とか・・・これはいつ頃から、何が決め手となって畿内説が有力となったのでしょうか?

質問3.
あとテレビ東京の「日本史ミステリー」?という番組かなんかで、以前に邪馬台国は四国にあったという説を放送していたらしいのですが、見逃してしまいました。見た方はどう思いましたか?納得のいく説だったのでしょうか?

古代史研究家の山形明郷氏という方が「邪馬台国論争終結宣言 考証 史説の虚構性を衝く」という本を出しています。
 http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E8%AB%96%E4%BA%89%E7%B5%82%E7%B5%90%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%95%E8%80%83%E8%A8%BC-%E5%8F%B2%E8%AA%AC%E3%81%AE%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%80%A7%E3%82%92%E8%A1%9D%E3%81%8F-%E5%B1%B1%E5%BD%A2-%E6%98%8E%E9%83%B7/dp/4795213623/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1237819907&sr=8-1

山形氏のこの本では邪馬台国は朝鮮半島...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

私も先日このQ and Aで朝鮮半島説があることを知り興味を持っていました。

山形明郷氏の本は読んでおりません。
従って質問1、2のみの回答となります。

質問2.
九州説が有力視されたのは、古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」が出版されてのちのことではないでしょうか。

古田氏は魏志倭人伝には邪馬台国とは記されていない、邪馬一国とある。
従ってあったのは邪馬台国ではなく、邪馬一国だと主張されました。

またその場所については筑前博多だとされました。

http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-c126.html

古田氏以前の研究者は魏志倭人伝には誤りがあるとしていましたが
古田氏は徹底的に魏志倭人伝の記述を信用する、というスタンスで研究されました。

古田氏の研究は多くの支持者を得、今はどうかわかりませんが、
一時は小学校の教科書にも邪馬台国ではなく邪馬一国と書かれている、と聞いた記憶があります。

しかし、その後安本美典氏が古田氏の説を否定し、
現在では古田氏の説を支持する人は減っているようです。

安本氏は、次のように古田説を否定しました。

(1)「三国志」は3世紀の末頃出来たものである。古田氏の言う南宋の本は12世紀のものであって原本ではない。

(2)3世紀から12世紀までの間に編纂された幾つかの歴史書の全てに邪馬台国」とある。
これらの歴史書は「三国志」を参考に記されたと考えられ、魏志倭人伝の元本では「邪馬台国」となっていたはずである。

http://www.asahi-net.or.jp/~yw8a-kndu/html/tousei_1_yamataikoku_nakatta.htm

安本氏は九州にあった邪馬台国がのちに東遷したと主張しておられます。
その理由は九州甘木市周辺の地名と、大和の地名が酷似しているためです。

一方、畿内説は古くからありましたが
そのネックとなっていたのは卑弥呼の墓とされる箸墓古墳の築造年代でした。

魏志倭人伝によれば卑弥呼が死亡したのは、247年か、248年とあります。
それに対して、箸墓の築造年代は3世紀末とされており、年代が合わないとされていたのです。

ところが、近年、年輪年代法が確立し
池上曽根遺跡で年輪年代法によって年代を調べたところ、3世紀中ごろと出ました。

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai05.html

これにともない、箸墓の築造年代も3世紀中ごろとされるようになりました。

このことが畿内説を有力にしたのだと思います。

また箸墓の被葬者は、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめ)とされていますが
籠神社で発見された最古の系図によれば

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai08.html

始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」とあり
「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。

ここから、卑弥呼とは日女命をあらわしたものではないかとする説が出されました。

質問3
「日本史ミステリー」という番組は見ていませんが
大杉博氏が四国説を唱えているようです。

(1)邪馬台国は「おかしな馬を台にした国」という意味で、それは四国のことである。
(2)魏志倭人伝の方位に誤りがあるとし、投馬国を高知県市毛市あたりとする。
そこから水業10日で徳島県日和市に到着し徒歩一ヶ月かけて四国山中の邪馬台国を目指した。
(3)弥生時代の終わりから古墳時代にかけての遺跡から、丹を使った朱塗りの遺骸や棺が出土している。

http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-30ff.html

あ、今ざっくりみたら、ここに朝鮮半島説が書かれていますね。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-49a1.html

こんにちは。

私も先日このQ and Aで朝鮮半島説があることを知り興味を持っていました。

山形明郷氏の本は読んでおりません。
従って質問1、2のみの回答となります。

質問2.
九州説が有力視されたのは、古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」が出版されてのちのことではないでしょうか。

古田氏は魏志倭人伝には邪馬台国とは記されていない、邪馬一国とある。
従ってあったのは邪馬台国ではなく、邪馬一国だと主張されました。

またその場所については筑前博多だとされました。

http://mug...続きを読む

Q邪馬台国九州説は、どうしてこうも往生際が悪いのか。

邪馬台国九州説は、どうしてこうも往生際が悪いのか。

邪馬台国九州説を唱える人たちは、どうしてこうも往生際が悪いんでしょうねぇ。
最近次々と発見された新証拠によって、邪馬台国は畿内説でもはや間違いないのです。
マキムク遺跡が邪馬台国で、箸墓古墳が卑弥呼の墓。卑弥呼=モモソ姫でもう確定なのですよ。

それを何をいまさら、九州説など唱えているのでしょうか。
じつに往生際が悪い。いい加減に負けを認めたらどうです。
フッフッフッ

Aベストアンサー

C14年代測定法や中国歴代史書からは、近畿説は成立しませんから、九州説はなくなりませんねぇ。

Q高校の日本史の中で出てくる、金輸出禁止とか、金輸出解禁とかあるんですけど、そもそもそれって何を目的に

高校の日本史の中で出てくる、金輸出禁止とか、金輸出解禁とかあるんですけど、そもそもそれって何を目的に行っているのですか?
わかる方いらっしゃったら教えてください!!!

Aベストアンサー

> 日本史の中で
何年頃の事を言っているのかな?
その時その時の目的があるのだから、どれの事を言っているのかちゃんと特定しないと。

近代の話であれば、「金本位制」の維持等を目的にしたものと思いますが。

※「金本位制」の維持を目的
金と紙幣等を等価交換としたので、金保有量でお金の発行が制限され、金を保有していないと紙幣の発行が出来なかったから。
金の保有量を多くしようとして輸出を禁じ、保有量が十分になったら解禁という流れ。


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