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先日、ひょんなことである人から聞いたのですが、今の小学六年の社会の教科書では、堺市にあるあの仁徳天皇陵のことを大仙古墳と教えているというのは本当ですか。
何ですか?、大仙古墳とは。かろうじて、括弧書きで仁徳陵と記載されているそうですが、仁徳天皇陵でしょう?。
私はそう教わりましたし、そう教えているものと信じていました。
しかも、天皇のことを大王と書いてあり、庶民に無理やり古墳をつくらせて、人々はいやいや古墳づくりをさせられたと教えているというのは本当なんですか。つまりは庶民を虐めたように書かれているらしいのですが。
仁徳天皇といえば、応神天皇の第四皇子で、農業を奨励し、民の幸せのことを真剣に思い、情け深い政治を行ったことで有名なのではなかったのでしょうか。
私はそう教わりましたし、それが事実と信じていますが、いったい正解はどうなのでしょうか。
どこの教科書ですか?。是非とも見てみたいのですが。情報、お持ちの方、回答よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (6件)

「そりゃある」ようです。



おそらくご存知のことだとは思いますが、現在天皇陵とされている古墳で、被葬者が確定しているものは少数です。天武持統陵がかなり確実性が高い、という程度ではなかったでしょうか。
天皇陵とされる古墳はだいたい発掘が行われていませんから、口承や後世の文献による伝達があっても、確実な証拠としては弱い。今まではその状態でも「仁徳天皇陵」としてきたわけですが、確実性がないのに天皇名を冠するのは適当ではないだろうと方向が変わったのでしょう。
というわけで「仁徳天皇陵でしょう?」というご質問には「未だ確実なことがいえる状況ではない」ということになります。

ちなみに天皇が実際に使われ始めたのは天武・持統の頃あたりだと読んだ記憶があります。
仁徳天皇などの伝説を記した古事記の成立はそのあとになりますので、古事記の中では天皇と呼ばれます。しかし4世紀に「天皇」という呼称は存在していたと考えられず、教科書の立場がそのあたりを勘案して表現が変わったということでしょう。
陵墓の造営に関しては、人々がどんな気持ちで関わったかは未知数なので、「酷使された」というようなイメージを抱かせるのはあまり良くないことかもしれません。しかし実際酷使されたか、喜んで参加したかはわからないので、何らかの発掘物待ちではないですか。
エジプトのピラミッドだって、二十数年前は「奴隷による強制労働」だったですが、最近は衣食住支給された公共事業だったという風に見方が変わってきているのですから。あれも発掘物によるものですよね。

仁徳天皇の事績については「こうであった」と確実にいえるものではないと思います。「仁であり徳があった」とされてはいますが、その根拠になる古事記・日本書紀は仁徳天皇時から400年弱経ってから書かれたものですし、当時文字が成立していなかった期間があることと、古事記の成立状況を考えると古事記を史実であるとは考えにくいだろうと思います。

これらのことを、多分ご存知の上でのご質問かと思います。
あえて回答しました。では失礼します。
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この回答へのお礼

ご丁寧に詳しく回答いただき、ありがとうございました。
論理的なご回答に、「うーん、なるほど」と考えさせられました。
ただ、なるほどと思いつつも、何か残念な気持ちが残ります。
ところで、私は存じませんでしたです。

お礼日時:2003/10/03 16:43

日本文教出版の中学の歴史教科書でも大山古墳とされていました。

仁徳陵は括弧書きです。ややこしいですね。大山、大仙、仁徳陵。(^^;)
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毎日電車の車窓から見ている者から・・・



ま ちょっと論点がずれますが

>堺市にあるあの仁徳天皇陵のこと
正しくは仁徳天皇陵と「されている」だけですわ

もう何十年も前から、学者が天皇陵を管理する宮内庁に対して調査を申し込んでるんですが、宮内庁が許可を出しません
○○天皇陵というのが近畿地方に数多く存在しますが、そのほとんどが「推定」でしかすぎません。

かなり有名な話です
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現在ではhikokurowさんが教えてもらった頃と見解が違っているようです。



古墳のある堺市でも「大仙古墳」としています。
http://www.city.sakai.osaka.jp/kofun/walk/index. …

また、2001年の記事ですが、こんなのがあります。
http://www.st.rim.or.jp/~adachima/sinpou2001.10. …

教科書がそのような表記になっているということが今でも誰の陵墓だかはっきりしていないということでしょう。(どちらかと言うと否定的?)
考古学では何か新しい発見があると今までの常識が一変してしまうこともあります。
これから先また新しい解釈が出て教科書も変わるかもしれませんね。
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私も少し前、小6の息子のテキストを見て「え?」と思いました。



うちの子の教科書は「教育出版」。しかし、特定の教科書だけを元に作っているのではないであろう、大手の塾が出しているテキストやその他の参考書、問題集にも、今は「大山古墳(仁徳陵)」で出ていますので、「学習指導要領か何かによって名称の規定が変わった??」か、もしくは「私の知らない間に何かの歴史的事実がわかって、仁徳天皇が葬られているとは断言しない方が良くなったのだろう」くらいにあっさり納得しておりました(^^;)
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天皇陵は学術研究よりも政治的意図が先行して「決められた」ものですから、


実際に誰が葬られているのかは分からないものがほとんどです。
天皇は古代には大王(おおぎみ)と呼ばれていたと聞いていますので、
これも問題はないと思います。
> 庶民に無理やり古墳をつくらせて、人々はいやいや古墳づくりをさせられたと教えている
これは問題ですね。
民主制ではない=圧制というのは偏見です。

参考URL:http://www.mediajoy.com/chikatsu/cs/cs09.html
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