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上古の時代には、格助詞の「が」が使われている文章の体言止めが存在していたそうですので、それが「係り結び」なのではないか、と思いましたが、どういう訳で本居宣長氏がその「が」を格助詞の範疇に入れられたのでしょうか。

逆に係助詞「は」が使われている場合に終止形で結ばれていますので、
奇妙な気がしましたから、教えて下さい。

A 回答 (4件)

>「が」が使われている文章の体言止めが存在していたそうですので、それが「係り結び」なのではないか、と思いました



いいえ、係り結びとは「ぞ・なむ・や・かー連体形、こそー已然形、は・もー唯(ただ)」といわれています。「体言止め」と「結び」は全く違う概念です。なぜ「係り結び」と思いましたか?

>どういう訳で本居宣長氏がその「が」を格助詞の範疇に入れられたのでしょうか

「が」が主格を表すからではないでしょうか。

>係助詞「は」が使われている場合に終止形で結ばれていますので、奇妙な気がしました

上記の通りですから、「はー終止形」は奇妙でもなんでもありません。

この回答への補足

有り難う御座います。

何故に「が」が採用されている時に、
体言止めの状態になるのでしょうか。

補足日時:2011/05/18 14:14
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取り急ぎ回答をまとめてみます。

ケアレスミスがあったらお許しください。

我ゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ(万葉集・十五・三七二七)
ほととぎす鳴くなる声の音のはるけさ(万葉集・十・一九五三)

おそらく上記のような例をイメージなさってのご質問だと推察します。


「どういう訳で本居宣長氏がその「が」を格助詞の範疇に入れられたのでしょうか」というご質問ですが、宣長の『紐鏡』(係り結びの現象を一枚の図にまとめたもの)では、「ぞ」「の」「や」「何(疑問の副詞と不定称の代名詞)」が上にあれば文末が連体形になる旨が指摘されています。「が」は歌語としては多用されないため、ほぼ同じ用法をもつ「の」が取り上げられたものと思われます。

散るとみてあるべきものを 梅の花うたてにほひの袖にとまれる(「る」は助動詞「り」の連体形、古今集・一・四七)

宣長は上記のような例からこんなことを考えたのでしょう。

いずれにしても、係助詞「ぞ」「や」と「の」を同列に扱っているわけですから、現代風にいえば、宣長は「の」を係助詞とみなしていたことになります。

ちなみに、この宣長の考え方を否定したのが萩原広道「てにをは係辞弁」です。

この回答への補足

有難う御座います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%82%E3%82%8A% …
このURLのページの情報では「徒」を加えていますが、
「徒」も一般的なのでしょうか。

補足日時:2011/05/18 14:24
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ご質問の意図を図りかねるのですが、まず、本居宣長は「格助詞」などの用語は当然ながら使っておりません。


したがって、「が」を格助詞の範疇に入れた、ということ自体があり得ません。

また、ご質問をすこしうがって「なぜ係り結びの助詞を「ぞ」「の」「は」「や」「も」「こそ」「何」「徒(タヾ)」に限定したのか」、にかえるならば、それは宣長に聞いてみないと分かりませんが、『てにをは紐鏡』には、

================
「の」
此 の は「春の日「秋の夜 などいふ常の の とはこと也「鶯のなく「花のちるらん「月のかくるゝ「人のつれなき「袖のかはかぬ など下の用ノ語を意の及ぶ の にて句をへだてゝも下へかゝるなり 又「君が來まさぬ などいふ がも此 の に同じ
○ の は輕き故に こそ とかさなる時は こそ の格にしたがふ也
================

と書いてあります。
「又「君が來まさぬ などいふ がも此 の に同じ」というのですから、「が」は「の」と同様、というつもりだったのでしょう。
ま、「が」と「の」の基本は同じですから。

この回答への補足

有り難う御座います。

因みに、下記のページの情報によりますと、「が・の」は連用形の結びを導く事例の存在が報告されていますが、「が・の」の用法が係り結びに属していない様です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%82%E3%82%8A% …

従いまして、その事情を踏まえまして、この質問を致しておりますが、謬見なのでしょうか。

補足日時:2011/05/19 02:37
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#3です。



>因みに、下記のページの情報によりますと、
>「が・の」は連用形の結びを導く事例の存在が
>報告されていますが、
>「が・の」の用法が係り結びに属していない様です。

「連用形の結びを導く事例の存在」なんてことは書いてありませんが。

「が・の」を係り結びに入れていない、ということについては、これは宣長の分析とは関わりのないことです。
宣長は「が・の」+連体形を係り結びとしたが、後代の学者はそうはしなかった、というだけです。

Wikipediaの冒頭部分(以下、引用)
「係り結び(かかりむすび)は、」
から
「具体的には、「ぞ」(上代には「そ」)、「なむ」(「なん」、上代には「なも」)、「や」(反語)、「か」(疑問;単独の疑問詞の場合もある)に対しては結びが連体形、「こそ」に対しては結びが已然形になる。」
までは現代国語学の話です。
宣長の分析はその後に出てきます。

では、なぜ後代の学者は「が・の」を係り結びから外したのか。
「が・の」は本来、名詞と名詞をつなぐ助詞です。「が」であれば
「わがくに」「梅が枝」のように。
「梅が枝」
→「梅が咲ける枝」
→「梅が咲ける」
という感じで、とにかく、最後には名詞が来るのが本筋。
動詞もたとえ名詞が出てこなくなっても、名詞があるのが前提なので、連体形になる。
「が・の」が来て、動詞は連用形、という例もあるが、それは破格とか、ご用とかで説明すればよい。
だいたい、「が・の」は格助詞で、係助詞じゃないし。

というわけで、とにかく、いわゆる係り結びとはちょっと違うんじゃないのか、ということで、今では「が・の」を係り結びに入れない、ということですが、いずれにせよ、それは宣長とは無関係な話です。

この回答への補足

有り難う御座います。

良く分かりました。

補足日時:2011/05/20 23:17
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