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蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭に造営された法興寺が、日本で最初の寺だと思いますので、その寺で僧侶になった日本人が最初の僧侶になるのでしょうか。
女性(尼)は善信尼ですが、男性は誰ですか。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

蘇我馬子の歴史を紐解いてみれば、豊国法師がそうであると考えられなくもないですが。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
豊国法師について調べてみましたが、私の知識ではとても理解できない論争があるようです。
しかし、お陰さまで、豊国法師を調べることによって、私の疑問の一部を解消することができました。
軽い気持ちで質問しましたが、なかなか難問であることが分かりました。

お礼日時:2011/05/20 09:31

南遼よりの帰化人の司馬達等の娘、善信尼が日本初の


尼僧ですが、おなじ達等の息子の徳斎法師が590年に
出家しており、初の出家と思われます。

それ以前にも渡来僧の導きによる渡来人、帰化人の日本
での出家はありましたが、帰化人二世から日本人と見て
の判断です。
純ネイティブ日本人(定義が難しいのですが)に限ると、
研究が必要です。

 「日本仏教人名辞典」法蔵館 より。
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この回答へのお礼

調べてみますと、『日本書記』に「鞍部司馬達等子多須奈、同時出家名徳斎法師」と記述されていますから、史料で確認できる最初の「出家」の例だと思いますね。
帰化人二世は、私は日本人と思います。
日本列島に住む人びとは、すべて日本人ではないでしょうか。
当時のある時期の日本では、列島内で生まれる人より、海外から渡来してくる人の方が多かったのではないでしょうか。
中でも畿内は「多民族」国家だった、と私は思っていますから…。
とても的確なご教示に感謝します。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/20 20:20

 奈良時代の「僧」には2種類の形がありました。

一つは「僧」そしてもう一つは「私度僧」です。なぜ2種類あったのかと申しますと、「僧籍」として僧の資格を裏付ける根拠が律令に依る規定があったからです。つまり「国家公認」の僧であるためには「戒壇院」で制度としての受戒を受けることがその前提条件でした。この「受戒」を受けていない僧が行基に見られる「私度僧」です。
 飛鳥時代の建築である法興寺は蘇我氏がプライベートで建立した寺院でありそこに僧が常駐したかとのと受戒を行っていたかとの疑問が残ります。しかもそれが日本の民間人から僧となったのか否かも不明ではないでしょうか?。
 また同時にその時代には法制度も未整備でしたので公認の僧はいなかった、と考えるのが妥当ではないでしょうか。
 また信仰という側面から見てみますと、それはあくまでも個人の領域であって国家が介入すべきではない、との視点が発生します。この様な視点で考えるならば大阪の四天王寺も聖徳太子と呼ばれる人物「厩戸聡耳皇子」が発願して建てたとの意味で、彼を最初の僧と考えることも可能です。
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この回答へのお礼

仰るように「僧」そのものを定義しておく必要がありますね。
そこまで考えておりませんでした。
ご指摘、ありがとうございます。

日本では、「尼寺」「尼」が先にできて、「男僧」「僧寺」は後からできた、と何かの本で読んで以来、疑問に思っていました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/20 20:44

ANo.2です。

度々申し訳ありません。
今一度、学生時代の朧気な記憶を辿りながら調べて見ました。
 確か聖徳太子には「聖徳太子建立七寺」として法隆寺・四天王寺・中宮寺(中宮尼寺)・橘寺・蜂岡寺(広隆寺)・池後寺(池後尼寺、現在の法起寺)・葛木寺(葛城尼寺、現在の和田廃寺跡とされる)の7つの寺院がありました(「上宮聖徳法王帝説」「聖徳太子伝略」「聖徳太子伝私記」並びに「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」)。このうち4寺は尼寺ですが、その実像を確たるモノとして残した史料は今のところ、みあたりません。尼寺といっても中宮寺の様に開基(創設者)が聖徳太子であるか間人皇后かも不明、とのケースもあります。
 この史料の中には、舒明天皇10(638)年に福亮僧正が、太子のために金堂と弥勒像を造立し
天武天皇15(685)年に恵施僧正が宝塔の建立を発願したとの記述があります。従って7世紀半ばから7世紀末には既に「僧正」の地位にある僧がいた可能性はある、ということになります。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
質問すると、いろんなことを教えていただけるので有難いです。
「聖徳太子建立七寺」は、初耳です。
しかし、回答をヒントにして調べ始めると、次から次へと疑問が湧いてきて
ますます分からなくなってしまいますね。
私は、この質問に寄せられた回答から6世紀末には僧寺があって、
日本人の僧が存在したのではないか、と思うようになりました。

お礼日時:2011/05/21 18:15

 No.3及びNo.4です、昨日「No.2」と書いてしまい、質問者の方とANo.2の方にご迷惑をお掛けしてしまいました。

申し訳ありません。
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