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天皇がそのままに元号が変わる

孝明天皇の時代は災害などが起こると元号を変えていましたよね。
このように天皇がそのままに元号が変わるのは歴史上ではよくあることなのでしょうか。
また、今年は大きな災害がありましたが、平成から元号が変わることはありえますか。

A 回答 (5件)

法律などの詳しいことは分かりませんが、


昔は元号といったって実際にそれを利用し、知っていた人は政治に関わりのある一握りの
人だけだったのではないでしょうか。だから元号を変えるのも簡単だったのだと思います。
今は知らない人がいないぐらい元号が普及(?)していますのでやたらに変えるとかえって
混乱の元になるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
昔は元号が変えやすい理由があったのかもしれませんね。

お礼日時:2011/07/23 15:17

よくあることです。



現在は、「皇位の継承」以外では変わりません。
元号法を参照ください(検索サイト等で検索できます)。
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この回答へのお礼

現在では法律で定められているのですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/23 15:19

歴史的に言えば


「元号を変える = 世界を変える」
なので, いいことがあったり悪いことがあったり何かがありそうだったりすると元号が変わります.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね、様々な原因で元号が変わっているようです。

お礼日時:2011/07/23 15:19

「明治」に改元された時に、「一世一元の詔」が発布され、明治以降は新天皇即位時に改元する制度に変更されました。



第二次世界大戦後に、日本国憲法の制定に伴う皇室典範の改正があり、上記の元号の法的根拠は消滅しました。
しかし、慣例的に「昭和」の元号は使用され続けたのです。

その後、昭和天皇の高齢化を配慮して、1979年に「元号法」が制定されました。
この「元号法」により、「元号」は「皇位の継承があった場合にのみ改めること」(一世一元の制)と定められています。

従って、「慶応」以前のように、天変地異などの理由で、改元されることは、現在ではあり得ません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そのような経緯があったのですね。
参考になりました。

お礼日時:2011/07/23 15:20

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>今年は大きな災害がありましたが、平成から元号が変わることはありえますか。


明治維新とともに「一世一元の制」が提唱され、慶応4年(1868)を「明治元年」と改元した。その後、昭和54年(1979)6月6日に「一世一元の詔(みことのり)」が成立し、同月12日公布、同日より施行されました。いわゆる、「法律」として発布されたので、現代では今上天皇の在位中は元号は変えることはできません。


(よもやま話)
和暦の変遷ですが、
(1)帝王(天皇)の交代による・・・代始改元。
(2)吉事を理由にする・・・・・・・祥瑞(しょうずい)改元。
(3)凶事に際してその影響を断ち切るための・・災異改元。
(4)三革を区切りと見なして行われる・・・革年改元。
大別して以上の4つが主なものです。

もう少し詳しく説明すると、
(1)代始改元は、分かりやすいですよね。
天皇が代わったのを契機として元号を変える。
嵯峨天皇の即位「弘仁(810)」、清和天皇「貞観(859)」、令泉天皇「安和(968)」、後三条天皇「延久(1069)」、後白河天皇「保元(1156)」、二条天皇「平治(1159)」などがあります。なお、先の天皇が崩御されたた時などは、その年は「喪に服す」考え方で翌年から「新元号」としたり、隠居をし上皇などとなった時は、先の天皇(上皇)に敬意を表して、やはり、翌年から「新元号」とした場合もあります。

(2)祥瑞改元
大化6年(650)2月に穴門国(あなとのくに=長門国=現:山口県)から白い雉(きじ)が献上されたことを「吉事」として、「白雉(はくち)元年に改元しました。そして、白雉5年(654)まで数えられましたが、その後80年間は、元号の無い時代が続きました。天武天皇15年(686)7月20日に大倭国(やまとのくに=大和国=現:奈良県)から、今度は赤い雉が献上されたため、朱鳥(しゅちょう、すちょう、あかみとり)元年として「元号」が復活しました。しかし、これは「伝説」であって、実際は、天武天皇の病気平癒のための祈願を込めたものだ、とも言われています。事実、天武天皇がその年に崩御されると、朱鳥元年のみで、再び、15年間元号は断絶しました。文武天皇5年(701)に対馬(対馬ではないとの説もある)で産出された「金」が貢進されたため大宝元年が復活しました。

(3)災異改元
京都での地震発生や平将門の乱が起きたため、「承慶」から「天慶元年(938)」に変更。彗星(この星は災いを招くと考えられていた)が多く見られたので「永延」から「永祚元年(989)」・・・陰陽師の「安倍晴明」が活躍していた。平治の乱勃発で「平治」から「永暦元年(1160)」。全国的な飢饉が発生「寛喜」から「貞永(1232)」、関東での大地震発生と全国的な旱魃(かんばつ)で「正応」から「永仁(1293)」。江戸で大火発生「明暦」から「万治(1658)」。江戸で大火と全国的に大風(台風)による水害多発「明和9年(迷惑年)」と呼ばれ「安永(1772)」に。ペリーの来航で「「天明」から「安政(1789)」などがあります。

(4)三革とは
「辛酉(かのととり)革命」・・・昔は、干支(えと)の年号もあり、「甲子(きのえね)」から始まり、60番目の「癸亥(みずのとい)」までを繰り返す第58番目の年の呼び方。
「甲子(きのえね、こうし、かっし)革令」・・・干支の第1番目の年。
「戊辰(ぼしん)革運」・・・干支の第5番目の年。
いずれも、これらの年には、大きな「革命」や「大事件」が起きる、と陰陽道からの考えで、改元をして「運」を呼び戻そうとした考え方。

(5)昔は天皇が在位している間もコロコロ変わった・・・。
長い間「朝廷主導」で、まずは「朝廷関係」を取り巻く出来事があった時のみに「改元」がされ、やがて、朝廷も広く「民」の出来事にも目を向けるようになり、自然災害などでは、「開運」を願って「改元」しました。そして、江戸時代になると、朝廷も「朝廷」や「民」だけではなく「江戸幕府」の動きにも目を配るようになり、江戸で「大事件」や「天災」「火災」、あるいは、「人の生死」などが起きたりした時も「改元」して、「運気」を回復しようとしました。
ですから、日本の「元号」では、初期の頃は、「ゆったりとした」流れですが、やがて、「コロコロ」と替わるようになっていきました。

(7)元号の出展。
書経、易経、後漢書、文選、漢書、晋書、旧唐書、詩経、史記、芸文類聚・・・などが「ベスト10」。

(8)日本が中国を真似た「元号」。
大宝、神亀、天平、大同、仁寿、天安、貞観、承平、天禄、貞元、天福、乾元、元徳、建武、正平、天授、永和、至徳、文明、弘治、天正、元和、正徳、宝暦、天保・・・以上、26例。

(9)日本から中国へ渡った「元号」。
天慶、天暦、天徳、永暦、承安、嘉慶・・・以上、6例。
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございました。
元号について少し詳しくなれそうです。

お礼日時:2011/07/23 15:21

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