限定しりとり

法然やら、浄土宗に関係あることだと思うのですが、教科書にも載ってなくて意味わかりません。


1 《「孟子」尽心上から》君子の三つの楽しみ。一家の者が無事であること、天にも人にも恥じるところのないこと、天下の英才を教育すること。

2 《「列子」天瑞から》人生の三つの楽しみ。人間として生まれたこと、男子として生まれたこと、長生きしていること。

非器】

その事をする才能・力量などが不足であること。その器量でないこと。


という意味なのでしょうか?


かなり困っておりますので、よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

法然上人のお言葉なら、『三楽非器』ではなく『三学非器』だと思います。



『三学』とは仏教の基本的な修行のことで、別の言葉で『戒定慧』と言います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/36143/m0u/% …

法然上人の浄土宗は、「誰でも念仏を唱えれば阿弥陀仏のお力で極楽に往生できる」という教えです。

法然上人は自身を『三学非器』だと言われたと伝えられており、それは自分が「仏教の基本的な修行(=三学=戒定慧)を極める才能・力量が不足している(=非器)」という意味であり、それゆえに、法然上人自身は阿弥陀仏を信仰し布教するのだと言う事の説明として言ったのだと思います。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/36143/m0u/% …
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浄土宗に関連する言葉であるならば、一般の辞書を見ても意味が通じないでしょう。


孟子や列士など、全く関係がないと思います。

「教科書」云々と書かれていてますが、もしかして宿題でしょうか。
だとしたら、きちんとした回答を書いてしまうのは憚られます。

お近くに図書館などありませんか。図書館へ行けば「仏教辞典」があると思います。
「仏教辞典」であれば、「三楽」の意味は載っていますよ。

ざっとした意味は、

「三楽」というのは、修行などをして「楽」を得るのに三種類あるということです。

そしてそれが「非器」であるというのは、そういう「楽」を得るような人、修行をして満足するような人は、阿弥陀の救いを受ける「器(うつわ)」ではない、というような意味だと思います。

あとは図書館で辞書を引いてみてください。
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